大映三大女優 京マチ子、若尾文子、山本富士子の横顔

12月8日(金)16時0分 NEWSポストセブン

「偽れる盛装」(1951年 監督:吉村公三郎)より

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 48作品を一挙公開する「大映女優祭」が12月9日〜1月12日に角川シネマ新宿で開催される。伝説の映画人を輩出した映画会社・大映の創立75周年を記念し、“三大女優”と呼ばれた京マチ子、若尾文子、山本富士子らの傑作が特別公開される。


 京マチ子(93)は色気と風格を兼ね備え、大映三大看板女優のトップに君臨した。大阪松竹歌劇団で人気のダンサーとして活躍していた頃に、その魅力的なマスクとグラマラスな肉体を買われて映画界からスカウト。1949年に上京して大映に入社した。


 デビュー後まもなくして、米アカデミー賞最優秀外国語映画賞、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明監督の『羅生門』(1950年)を皮切りに、溝口健二監督の『雨月物語』(1953年)、衣笠貞之助監督の『地獄門』(1953年)などの大作に出演。これら出演作が相次いで海外の映画祭で高い評価を受けたことから、「グランプリ女優」と呼ばれるようになる。


 世界的にも注目され、大映協力の下で撮影されたハリウッド映画でマーロン・ブランドと共演を果たし、ゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされた。1971年に大映が倒産すると、テレビや舞台に活躍の場を移した。生涯独身を貫いている。


 若尾文子(84)は疎開先の宮城県仙台市へ舞台公演に訪れた長谷川一夫の演技に感銘を受け、自ら楽屋に押しかけて俳優志願。その熱意が認められ、長谷川の推挙で1951年に第5期ニューフェイスとして大映に入社した。デビュー1年目にして9本もの作品に出演し、その翌年には『十代の性典』(1953年)で主演に抜擢。同作品が大ヒットし、人気女優の仲間入りを果たした。


 娯楽作品に出演してアイドルのような人気が続いたが、溝口健二監督の遺作となった『赤線地帯』(1956年)で金にがめつい女という初の汚れ役に挑んで演技に開眼。増村保造監督の『妻は告白する』(1961年)では、複雑な人妻の心理を表現し、鬼気迫る悪女を演じて演技派としての一歩を踏み出した。以降、『清作の妻』(1965年)をはじめ、通算20作もの増村作品に出演。一連の作品を通じて、欲望に忠実な、破滅的で情熱的な女性を好演し、戦後日本の新たなヒロイン像を創造した。


 山本富士子(85)は、1950年に開催された、第1回ミス日本において優勝。それをきっかけにスカウトを受け、各映画会社の争奪戦の結果、1953年に大映に入社。女優デビューは、主演の長谷川一夫の恋人役を務めた『花の講道館』(1953年)。その後、気丈で情熱的なヒロインを演じた『夜の河』(1956年)のヒットで、京マチ子、若尾文子らと並ぶ大映の看板女優のひとりとなった。


 文芸作品の映像化を得意とする衣笠貞之助の監督作品である泉鏡花原作の『白鷺』(1958年)では、ブルーリボン主演女優賞を獲得。衣笠とはこのほか、同じく鏡花原作の『みだれ髪』(1961年)や、谷崎潤一郎の代表作『春琴抄』を映画化した『お琴と佐助』(1961年)といった文芸作品などで多くコンビを組んだ。


 1963年に他社作品に出演を希望したことから五社協定に抵触し、スクリーンから遠ざかることとなった。それ以降は、主戦場を映画界から演劇界へシフトしている。


『大映女優祭』

■上映館:角川シネマ新宿(東京都新宿区新宿3-13-3新宿文化ビル)

■プログラムなどの詳細は「大映女優祭」http://cinemakadokawa.jp/daiei75-joyu/

★連動企画として、神保町シアターで「女優で観る<大映>文芸映画の世界」(〜12/22)、

新文芸坐で「大映女優祭 in 新文芸坐 百花繚乱」(18年1/26〜2/9)なども開催。


◆写真提供/KADOKAWA


※週刊ポスト2017年12月15日号

NEWSポストセブン

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