一周忌に改めて明かされた菅原文太の憂国の思い...「安倍首相は深く考えていない」「憲法9条は死守せねば」

12月13日(日)20時0分 LITERA

『菅原文太 日本人の底力』(宝島社)

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 戦後70年という節目の最後の月に飛び込んできた、作家・野坂昭如氏の訃報。戦争の悲惨さを訴え、最期まで安倍政権に警鐘を鳴らしつづけた野坂氏だが、またひとつ、戦争を知る世代の貴重な声が失われてしまった。


 だが、野坂氏が小説やエッセイに思いを記してきたように、言葉は死しても人の心、そして紙の上に生きつづける。それはちょうど約1年前に亡くなった、俳優・菅原文太氏も同じだ。


 先月末、一周忌にあわせて発売されたのは、『菅原文太 日本人の底力』(宝島社)という本。これは2003年4月から14年12月まで放送された同名ラジオ番組を書籍化したものなのだが、それがまるで、菅原氏がいまの日本に生きる人びとへ「考えつづけることを止めてはいけない」と鼓舞しているかのような内容なのだ。


 力を入れていた食と農業の問題だけでなく、晩年は沖縄基地や原発の問題に積極的に反対の意志を示し、憲法改正の動きを警戒していた菅原氏。なかでも第二次安倍政権後の2013年には、はっきりとした安倍政権への危機感を口にしていた。


「安倍さんの言動は、われわれのような政治の素人から見ても、いろんなボロが見えてきます。深く考えていないのではないかと疑ってしまうぐらい、ポロポロとおかしなことが出てくる」


 しかも、それは漠然とした不安から発せられたものではない。菅原氏は一例として内閣法制局の人事を俎上に載せる。


「先月、(2013年8月)、内閣法制局の長官が小松一郎さんという人に替えられたじゃないですか。彼は外務省出身で、法律家ではない。そんな人が「憲法解釈の変更がおよそ許されないことはないと考えられる」という発言をする。そうなると、これはもう出来レースなんじゃないかと思わざるを得ない」


 この指摘は、その後の"暴走"を見事に言い当てているかのようだ。実際、この人事を皮切りに内閣法制局は政権に完全服従、過去40年以上も違憲としてきた集団的自衛権の行使容認を認め、挙げ句、憲法解釈変更の検討過程の資料さえ公文書として残していないことが毎日新聞のスクープによって明らかになっている。


 タガが外れた瞬間を見逃さなかった菅原氏は、このように言葉をつづけている。


「われわれ国民にしてみれば、憲法の冒頭にはまず「主権在民」とあるでしょ。主権在民ということは、主権は国民にあるわけです。そこのところを今の政治家は勘違いしているんでしょうかね」


 この「主権在民」をまったく無視した安保法成立や、現在の普天間基地の辺野古移設問題など現在の政権の動乱を、菅原氏が生きていたなら何と発言していただろう。きっと、こんな言葉だったのではないかと思えるものが、本書には散りばめられている。たとえば、菅原氏が沖縄の基地問題を語る際、何度も「日米地位協定」の不条理さを訴えていた。


 まず、13年8月11日、18日の放送では、ゲストの前泊博盛・沖縄国際大学大学院教授に"フィリピンやイラクは米軍を追い出しているのに、どうして日本はできないのか?"と疑問をぶつけ、こう述べている。


「そういう国があるにもかかわらず、日本だけが戦後70年になろうとしているというのに、唯々諾々とアメリカから言われるとおりに行動している。言うなれば「操り人形」のような状態がいまだに続いている。それに対して、「いったいなぜなんだろう?」と。一片の気概もないんだろうかと思わざるを得ないんだよ」


 また、元外交官の佐藤優氏(13年5月5日、12日放送回ゲスト)には、「アメリカにとってフィリピンが沖縄ほど重要じゃなかったということなのか、それともフィリピンの人たちの強い意志だったのか」と質問。佐藤氏が「後者でしょうね。(中略)アメリカはやはり民主主義国ですから、米軍が配備された国の人たちが「本当に嫌だ」「出ていってくれ」と本気で言っている場合は無理強いはしないです」と答えると、菅原氏はやはり「それだったら、どうしてね、日本は安保条約や地位協定を変えようとしないんだろう。別に気色ばんで言うことでもなく、普通にアメリカに「出ていってくれ」と言えばいいんでしょ。それをどうして今まで言えなかったんだろうかと思うと、日本人として情けないなぁと」と話している。


 なぜ、アメリカにはっきりと主張ができないのか。なぜ、日本は敗戦から得た教訓を手放そうとするのか。そのことについて考える菅原氏は、"日本の民主主義"を疑う。


「敗戦を迎えたとき、日本人があらゆることをあいまいにしたまま、戦後という時代に突入してしまったことは間違いない。それまで「撃ちてし止まむ、憎きアメリカ」と言っていた大人たちが、敗戦を境にして急に口をそろえて民主主義、民主主義と言い出した。国民が突然民主主義者になった、奇妙な国なんだよ、日本は」


 この言葉には、菅原氏の戦争体験がもとにある。


「自分はあのとき10歳だったのかな。われわれは子供だったけど、大人よりも大きな声で「撃ちてし止まむ」とか「鬼畜米英」とか、言っていたんですよ。竹やりなんかを持たされて。子供は敗戦の次の日に民主主義者にはなっていない。わけがわからないまま、ただ何となく「負けたんだ」「終わったんだ」ということで敗戦を通過してきただけで。
 だから、どうなんだろう、あのときの大人たちはやはり罪の意識を感じながら民主主義者になったんだろうか」


 この夏、民主主義を見つめ直そうという声がさまざまな場面で立ち上がっていた。それはひとえに安倍政権が民主主義を軽んじ、何の躊躇もなく否定してみせたからだが、菅原氏が言い残したように、ほんとうにいまこそ、主体的に民主主義を選び取るという強い意識をひとりひとりがもたなくてはいけないときがきているのだろう。


 そして、そのためにも戦争を憎み、徹底して戦争へつながる可能性の芽を摘まなくてはいけない。菅原氏は言う。


「やはり憲法9条は死守していかなければならない。広島や長崎に原子爆弾が落ちたのも、普天間の問題がくすぶっているのも、そもそも戦争がなければなかったことですからね」
「(原爆を)わが身で経験された方が亡くなっていくとともに、人々の記憶が薄れていくかもしれない。しかし、大げさに言えば、世界が続くかぎり、人類が続くかぎり、再び同じような悲劇を起こしてはいけないと訴え続けなければいけないわけで」


 ......それにしても、あらためて菅原氏の言葉に触れると、その勉強熱心さ、政治や社会問題を他人事にしない主体者意識の強さに脱帽させられる。同番組のディレクターを務めた加藤晋氏も、本書のなかで〈お迎えする客人が決まると、菅原さんは多くの時間を割いて、入念な予習をされました〉と菅原氏の姿勢を振り返る。


〈オンエアするときには菅原さんが聞き役になるように編集をしていましたが、収録では客人の方だけではなく、菅原さんもご自分の意見や思いをよくお話されていました。ただ、そんなときはたいてい、収録後に「今日は俺、しゃべりすぎちゃったから、俺の話はカットしておいて」「客人がいい話をしてくれたから、そこの話は絶対に切らないで残しておいてくれ」と電話がかかってきました〉


 菅原氏のことを、〈客人に向ける真っ直ぐな視線は、「輝かしい経歴を持つ往年の銀幕の大スター」ではなく、みずみずしい青年のようでした〉と述べる加藤氏。氏によれば、菅原氏はこんな言葉をよく口にしていたという。


「俺はもうすぐ死んじゃうけど、このままの日本じゃ、子供や孫の世代がかわいそうじゃないか」
「今きちんとこの問題に向き合っておかないと、これからの日本がダメになってしまう」
「自分はこれまでヤクザ映画の俳優をやってきたけど、世間の人に何の貢献もしてこなかった。だから、老い先短い年齢になって、少しぐらいは人の役に立ちたいと思ったんだ。こんな地味な番組だけどね」


"文太兄ぃ"の、静かだけれど熱いこの思い。再びその声に直接触れることはできなくても、しかし、残された者は思いを引き継ぐことができる。ぜひ、この機会に菅原氏の言葉に接してみてほしいと思う。
(水井多賀子)


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