祖父を虐待する毒親 娘には1日何十通のメールで束縛

12月21日(水)16時0分 NEWSポストセブン

祖父が亡くなりやっと母の呪縛から逃れられた…(写真/アフロ)

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 嫉妬、裏切り、無視、侮辱…。人生の中で、辛い経験をした人は数多い。向井美千代さん(仮名、東京都・31才)もそんな一人だ。「自分を変える」ために、辛い経験を告白する。


〈前回までのあらすじ〉

 母親がいわゆる“毒親”に変貌したのは、私が小5の夏に、初潮を迎えたときから。少女から女に変わる娘に、殴る蹴るなどの暴力をふるい、生ごみや包丁が飛んできたことも。母との葛藤に疲れ、部屋に引きこもると、なぜか母は上機嫌。その代わり、同居しはじめた祖父の悲鳴が家の中に響くようになった。


 * * *

 祖母が亡くなった後、3人きょうだいの中でいちばん折り合いの悪かった母が、なぜ祖父を引き取る気になったのか、私は不思議でした。「専業主婦で時間にゆとりがある私が面倒を見ないで、誰が見るの」と、母は歌うように言っていましたが、はたしてあれが「面倒を見る」といえるものだったのか。


 祖父と私のために食事を作ることは、母のプライドになったようで、以前のように、私を食事抜きにするようなことはしなくなりました。


 が、もともと食べることに興味のない人の作る料理がおいしいわけがありません。上手下手の範囲を超えた、味覚オンチだったのだと思います。


 高校浪人して自室に引きこもっていると、祖父が母に見つからないようにやってきて、「いっしょにご飯を食べてくれ」と言います。母の「食べろ」の集中攻撃から逃れたいのです。大会社の役員まで務めた80才過ぎた祖父から泣きそうな顔で頼まれると、断れません。


 とはいえ、母の用意した食卓は、動物のエサか、それ以下でした。たとえば、夏に2日続けておでんを出して、ツンとするにおいがしても、「好き嫌いを言わずに食べなさい」と命令します。


 みそ汁に蝿が浮かんでいたので指摘したときは、よほど逆鱗に触れたのでしょう。「それはごまだから健康にいい。食べなさい」と言い張って、のみ込むまで席を立たせてもらえませんでした。


◆耳の遠くなった祖父を母は虐待した


 それだけではありません。母は祖父を虐待しだしたのです。冬の朝、私がトイレに立つと、パジャマ姿の祖父が、玄関で震えています。


「あんたなんか出て行け」と叫びながら、母が祖父に玄関マットやスリッパを投げつけるので間に入ると、私が平手打ちされました。狭い玄関で、よほどいいところに当たったのでしょう。「ピシーッ」という音ほど痛くなかったのですが、母は自分のしたことに驚いたみたい。


「私は悪くないから。お父さんが死んだ方がマシだと言うから、私は止めたんだから」



 必死に私に言い訳していましたが、なぜ祖父が「死んだほうがマシだ」と言ったのか。トイレに立つ回数から箸の上げ下ろし。耳の遠い祖父の反応が遅いこと。それから昔の恨み言。興奮する材料には事欠きません。


 私の部屋まで、祖父の「ひぃ〜、ひぃ〜」と、のどの奥から絞り出すような泣き声が届くようになると、私は家にいることもつらくてたまらなくなりました。逃げ場所がほしかった私は、高校に通うようになりました。


◆深夜2時3時まで母の繰り言は止まらない


 大学生になると、心理学を勉強したことがきっかけで、母は孤独なんだと思うようになり、母の話に耳を傾けてみました。


 最初は、「あんたなんかに話しても仕方がないことだけど」ともったいをつけていましたが、根気よく聞いていたら、母の態度が少しずつ変わってきました。


 私や祖父に対する態度が、前のように攻撃的ではなくなってきたのです。大きな声を上げることも少なくなりました。その分、いつ果てるとも知れない繰り言と説教と愚痴。


「あんなパパと結婚なんかするんじゃなかった。私だって商社で働いていた時は『いちばん仕事を任せられる女性』と言われたのよ」と。これが出ると話が長くなります。


 37才になるまで家の犠牲になって働いたのに、妹はこう言った、父親にはこう言われた。そんな時に、「明日朝から予定が…」などと言おうものなら、「私と予定とどっちが大事?」。深夜2時3時まで離してくれません。


◆会社の飲み会が開かれる店の前に母が立っていた!


 社会人になってからも、母親の束縛は続きました。新入社員は覚えなくてはいけないことがいっぱいで、母のことで悩んでいるヒマはありません。経済的に自立することは、母と離れられること。私は張り切っていました。それが母は気に入らないのです。


 会社にいる間も携帯が鳴り、「今、何をしているの。いい? 仕事は要領よくするのよ」。電話に出なくなると、今度は、「何しているの」とメールが何十通。


 カウンセラーに相談すると、逃げようとするから追いかけられるんだと言われ、それで、一日の予定を書いたメモを朝、テーブルの上に置いて母に渡していたこともあります。



「これを見ると安心するわ」と、笑顔を見せてくれたのもつかの間。「夜、課内の飲み会」と書いて渡すと、「どんな店?」と聞くので、正直に店名を教えたら、なんと、その店の前に母が立っていたのです。「あなたが心配で、来ちゃった」と、満面の笑みで言われたときは、その場に泣き崩れそうになりました。


 いい大人なんだから、早く家を出た方がいいというアドバイスは何人からも言われました。「でも、母には私がいないと」とつぶやく私に、周りはだんだん何も言わなくなりました。今考えれば、私も母にどっぷり依存していたのだと思います。


◆私の突然の家出に母は「恩知らず」と激怒した


 あれは私が24才の春先のことです。祖父が亡くなり、葬儀と四十九日が終わったら、私の中の何かがコトンと地に落ちたような感覚がありました。「あぁ、もうがまんしなくていいんだ」と思ったら、体が勝手に動いて、私は荷物をまとめて家を出ていました。


 アパートを借りるのに保証人になってもらったのは、父方の従妹。母とはまったく接点のない人。私の突然の家出に、母は怒って「あんな恩知らず、私の葬式にも来なくていい」と父に何度も言ったそうです。


 以来6年間、一度も会っていません。その間、「ママ」とか、「母親」と言うこともなくなり、「あの人」がしっくりくるようになりました。それでも私が母の無事を知っているのは、ときどき父から入った母の愚痴話と、週に3、4度、携帯に入る無言電話。私が出ると切れてしまいますが、母に決まっています。


 最初は無言の母に向かって怒っていましたが、最近ではそんな感情もなくなり、「あら、元気なのね」と、出ない電話に話しかけています。


 変な話ですが、母とは、会わなければ「大学まで行かせてくれてありがとう。不器用な愛情で育ててくれて感謝」と思うこともできます。


 つい最近、母は父と離婚の調停を始めたとか。ということは、一人っ子の私が、何かあったら母親の面倒を見るのか。それを思うと胸の奥がざわめいて、どうしようもありません。〈了〉


※女性セブン2017年1月1日号

NEWSポストセブン

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