『FGO』奈須きのこと『チェンクロ』松永純が語る、スマホならではの物語の見せ方とは

12月22日(火)11時30分 電ファミニコゲーマー

 スマートフォン向けゲームの歴史をふり返ると、いくつかのエポックメイキングな作品があるわけだが、その中でも『チェインクロニクル』(以下、チェンクロ)は、スマートフォンRPGのフォーマットを作り上げた先駆的な作品として知られる。
 後に続く『グランブルーファンタジー』『Fate/Grand Order』(以下、FGO)などといった大ヒット作の下地を作ったタイトルであり、今日のスマートフォンゲームにおける一大ジャンルを築き上げたといっても過言ではない。

『チェインクロニクル』第4部キービジュアル

 本作の凄かったところは、いまや当たり前となっているキャラクターに紐付くシナリオ構造や、章立て&イベント単位のストーリー構成など、数々の仕組みを発明した点にある。
 ややもすれば無機質と言える世界観や物語が多かったそれまでのソーシャルゲーム(スマートフォンゲーム)という分野に、重厚な世界観やストーリー、魅力的なキャラクターといったものを持ち込み、それを表現するシステムを含めて定着させた最初の作品が、この『チェインクロニクル』だったのだ。
 
 そして、その本作の凄さや面白さにいち早く共感し、自身のゲーム制作へと繋げていったのが、何を隠そう、『FGO』を世に出したクリエイター・奈須きのこ氏であった。
 事実、氏はことあるごとに『チェンクロ』を参考にしたと公言しており、その大いなリスペクトの念を隠さない。

(画像はFate/Grand Orderの世界|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 そうした背景を踏まえて、電ファミでは『チェインクロニクル』の生みの親であり、現在も総合ディレクターを務める松永純氏と、奈須きのこ氏による対談を実現。スマートフォンゲームにおけるRPGの歴史、ひいてはスマートフォンにおける「物語」の見せ方にフォーカスした取材を行ってみた。

 スマートフォンというプラットフォームのうえで、どんな試行錯誤が行われて、作品が進化していったのか? 他に類を見ない『FGO』の持つ熱狂とは一体なんなのか?──そこには、『チェンクロ』が指し示した土台を引き継ぎながらも、また違った視点で「物語」を届けようとした、奈須氏の挑戦があった。

聞き手/TAITAI
文/tnhr
編集/実存
撮影/増田雄介


『チェンクロ』と『FGO』はどのようにスマホゲームで物語を見せたのか

──今日は、物語の「読ませ方」や「伝え方」が、時代によってどう変わってきたのか?みたいなお話ができればと思うんです。
 漫画や小説のような紙媒体から、テレビや映画のような映像媒体、ゲームでいえば、RPGやADVなど、物語はさまざまな形で作られて提供されてきましたが、それが現代のネット時代、ひいてはスマートフォン全盛時代においてどう変わってきたのか?
 『チェインクロニクル』(以下、『チェンクロ』)や『Fate/Grand Order』(以下、『FGO』)は、実は「物語メディア」としての最先端のフォーマットじゃないかという思いがあって。それで今日の対談をお願いしたんです。

奈須氏:
 『物語の提供形式』についての対談だったのですね。それはたいへん光栄です。よろしくお願いします。

──まず、両タイトルの簡単に流れや立ち位置を説明しますと、2013年に『チェンクロ』がスマホゲームでストーリーを主軸にして成功を収め、それに衝撃を受けた奈須さんが『FGO』の制作に乗り出したという経緯があります。まずはおふたりに、お互いのタイトルについてどうお考えなのかをお聞きできればと思います。

奈須氏:
 分かりました。松永さんの前でお恥ずかしいですが(笑)。

松永氏:
 いえ、こちらこそ本当に恐縮です(笑)。そもそも『Fate』シリーズはスマホゲームになる前からすごく好きな作品でしたし。

松永純氏

 僕としては『FGO』の素晴らしいことのひとつに、なんというか、「ライブ感」に満ちている点があるかと思っています。『FGO』には「アニメの最新話を皆で同時に観て盛り上がる」というのに近い感覚が強くあるなと。奈須さんの描く物語が圧倒的に面白いからというのはもちろんですが、節目節目を盛り上げて、配信のタイミングにその盛り上がりのピークを持ってくるような仕掛けを、徹底してやってらっしゃるからだと思います。メディアの壁も越えて多方面で展開されていますが、常にそこの意識が感じられるのが本当にすごいなと。

 『チェンクロ』は、「だれでもいつでも同じ体験ができる」というところを重視していました。「だれもが楽しめる王道RPG」になれればと思っていたのですが、物語を運営するという部分で、そこのスタンスが違う部分もあるのかなと思います。

奈須氏:
 そうですね。スタッフ全員、それは常に意識していると思います。いつはじめてもいいけど、『その週の思い出』にいちばん寄り添えるのがスマホゲームの良さなのかな、と。

松永氏:
 『チェンクロ』も最新話を配信したりするわけですが、遊んだ人がファミコンの新作RPGを遊んだみたいに、「あれ面白かったよ」「じゃあ俺も時間できたらやってみようかな」みたいな感覚で付き合ってもらうようなイメージをしています。

──松永さんの中では、やはりコンシューマRPGが根っこにあるんですね。

松永氏:
 はい。最初は「古き良きコンシューマRPGの新しい形」をイメージして作っていましたね。

奈須氏:
 僕たちも、「やっぱり最終的にはコンシューマRPGに行きたいよね」と思いました。実際、『FGO』で自分も「1部終わったらいつでもプレイできるように、パッケージ化してアーカイブにしたい」と思っていたんですけど……。
 パッケージ化するうえで、メインストーリーと期間限定イベントの時系列は並べられるけれど、ゲームデザインそのものがスマホゲームである事を前提にしたものなので、システムから見直さないといけなくなって……これはとても今できる事ではない、と断念しました。

『チェンクロ』には、RPGに欲しいものが全部詰まっていた

──奈須さんが『FGO』を立ち上げるきっかけとなった『チェンクロ』ですが、当時触ったときはどういう印象だったんでしょうか。

奈須氏:
 『チェンクロ』が登場する前は、スマートフォンのゲームと言えばまだ「ポチポチやるだけのゲーム」というイメージが強かったです。
自分は「ゲームは遊びだけど遊びじゃねえんだ」みたいな矛盾した言葉を言うタイプの、昔ながらのゲームマニア信仰があったんですね。お手軽なゲームに対して忌避感があった。ゲームって土日の休みに、ひとりで、誰にも邪魔されないようにどっぷりつかって『ひとつの世界』に埋没する贅沢な遊びであるべきだ、という。

松永氏:
 わかります。

奈須氏:
 2010年ごろ、はっきりと公言していた人はあまりいないと思うんですけど、「スマホの普及によってPC文化は終わるかもしれない」という危惧はありました。その時のために、そろそろアプリを開発しないとゲーム会社としては難しくなるだろう、と。でもその時の自分はまだ意固地で、「やりたくはないものはやりたくない」というスタンスでした。

 そんなときに、相方の武内(崇氏)【※】が「奈須でも、これだったら面白いと思うんじゃないですか?」と言って『チェインクロニクル』を紹介してくれたんです。

※武内 崇
有限会社ノーツ代表取締役、およびTYPE-MOON代表。奈須きのこ氏とともにTYPE-MOONを立ち上げ、『Fate/stay night』『月姫』など初期作品の原画・彩色を手がける。

松永氏:
 そうだったんですか!めっちゃ光栄です。

奈須氏:
 僕は頑なにスマホを持とうとしていなかったんですが、そのとき初めてスマホをゲーム用として買い与えられて。
 軽い気持ちで『チェンクロ』をやり始めたんですけど、忌憚なく言えば「自分が好きなメガドライブのゲームの匂いがする」って思いました。

松永氏:
 古き良きRPGを目指していたので、そういうふうに言っていただけるのは嬉しいです(笑)。

奈須氏:
 『チェンクロ』はスマホという小さい端末向けにダウンサイジングしたRPGなんですけど、そこには「RPGに欲しいもの」が全部詰まっていたんです。テーマの導入からゲームが始まって、世界観を説明しながらまずはこのパーティーで戦って、という流れを体験したら「あっ、由緒正しい王道のRPGだ。楽しい!」と嬉しくなっちゃって。

 そこから1年間近く、毎日プレイしていました。デイリークエストも「そうか、日課は毎日触れることに意味を持たせているのか。朝起きて新聞を読むくらいの“日常”になれるのがスマホのゲームなんだ」と。あと一番の驚きは、このゲーム(チェンクロ)を日課にしていたら、毎日にメリハリがついたことですね。

 会社に行くまでの通勤時間でやれるし、帰ったら残りを進めたり、今日はストーリーを3組分進めようだとか。これって、コンシューマにはない「自分の生活に寄り添ってる」ゲームなんですけど、それがRPGでできるとこんなに楽しいものなのかと。そういうことを教わりました。大先生です。

松永氏:
 奈須さんが最初におっしゃったように、当時のスマホゲームが昔ながらのゲームじゃないという感覚は僕にもありました。「スマホゲームは暇つぶし」みたいな言われ方がされてて、すごく嫌だったんです。ポケットから取り出して軽く遊べるのは利点だけど、だからって暇つぶしじゃないだろうと。

 「だから手軽に遊べたうえで、ユーザーの思い出に残るものを作らないと意味がない」みたいな考えがありました。いま奈須さんに、当時の思いをまさしくそのままに言っていただけたので、すごく嬉しいです。

 スマホ以前から、PCのMMORPGなんかでも「毎日ログインする」ような感覚はあったと思います。でもあれって、究極的にはユーザー同士のコミュニケーションツールじゃないですか。そうではなくて、その日課感を「運営する側から作品を届ける装置」として使いたいという気持ちがありました。

奈須氏:
 そうですね。自分はMMOが流行っていた2000年代のころはゲーム開発が忙しくて、プレイする機会がなかったんです。『FF11』『ラグナロクオンライン』も、知り合いの作家がやってるのを横目で見ながら「いつか自分もプレイするぞ……」と羨望の眼差しで見ていましたが、結局やれずじまいで。

(画像はラグナロクオンラインとは | ラグナロクオンライン 《公式サイト》より)

 だから、あのころのみんなで集まって、チャット代わりにゲームをするという「MMO文化の楽しさ」をあまり知らない。なので奈須きのこはネットワークを介するゲームに対する偏見があったんですね。

 それでいま松永さんがおっしゃられた通り、スマホになって、「積極的に関わる必要はないけど繋がっているよ」という良いバランスの距離感が生まれて、それがRPGを完成させる。
 『チェンクロ』ではこの可能性がはっきりと示されていたので、『FGO』ではこのフォーマットで自分たちのマックスを出せばいいんだ、という気持ちで制作しました。

 そういった意味では本当にやりやすかったというか、松永さんには本当に、先にレールを引いてもらっていたのです。ありがとうございます。

松永氏:
 恐縮です。でも自分なりに「新しい形が作れたな」と思っていたので、本当におこがましいですけど、こういうゲームが『チェンクロ』だけじゃなくて、もっとたくさんあってほしいと思っていました。
 漫画や小説、映画とかでもそうですけど、物語って、面白いものがたくさん並んでいるから素晴らしいじゃないですか。

奈須氏:
 そうですね。おいしいものが沢山あるから毎日が楽しくなるし、まわりまわって、自分の好みも分かってくる。

松永氏:
 やっぱり、ユーザーにとって「選ぶのが楽しい」という状態は大事というか。
 だから、自分も好きだった作品に、同じレールに乗ってもらえたというのが、すごく光栄だし嬉しいです。

RPGの醍醐味は、大きな物語のなかで戦闘を擬似的に楽しむこと

奈須氏:
 あのころ、セガさんって『チェンクロ』成功の後に、似たようなアプリの開発ラインが複数できませんでしたか?

松永氏:
 はい、できました。

奈須氏:
 『チェンクロ』が2部に入ったばっかりなのに、新しい形式のものがばんばん出てきて、それはそれで先ほどいった多様性の提供で大アリなんだけど、『チェンクロ』ユーザーとしては「そのリソースをもっと『チェンクロ』に……」と思ったりもしました。

松永氏:
 そうですね。僕は関わっていなかったですが、社内で「『チェンクロ』のエンジンをうまく使おう」みたいな流れがありました。弊社、すぐ新しいことやろうとする性があるんですよね……(笑)。
 あのころは他社さんからも、同じフォーマットで本当にいろいろなジャンルの作品が出ていて、個人的にその状況は嬉しかったですが。

 でもその群雄割拠を『FGO』が吹き飛ばしましたよね。『チェンクロ』がやろうとしていたことって、メインストーリーを作ったり、キャラクターが仲間になる部分でガチャを活用して、スマホで新しいRPGのフォーマットを作る、ということでした。
 そのうえで奈須さんたちが『FGO』で作られたのはその進化形というか、ユーザー全員が一緒になって、1個のコンテンツを共有しながらライブ感を楽しむという状況だったと思います。そのようなソーシャルコミュニケーションを越えた新しい盛り上がりみたいなものを作り上げられたのが、本当にすごいなと思っています。

奈須氏:
 そうですね。ライターチーム含むうちのスタッフも、ディライトワークスさんのスタッフも、本当に毎日、熱心に開発を続けてくれています。
とはいえ、『FGO』は『Fate』という2000年から積み上げてきた財産があったから、あんなことができたと思うんです。ある程度ユーザーを信頼したうえでの旗振りでした。

 でも、新規タイトルというのはユーザーの信頼をまず勝ち取ってから勝負しないといけないですから、そんな冒険は許されない。『自分たちの作品に興味のない人にどうやって楽しんでもらうか』という試みは、あらゆる創作において最も高いハードルですから。

 その点においても『チェンクロ』は志が高かった。ユーザーに『面倒くさいことはさせない』というプレイ感覚が『まず手に取ってもらうための条件』だったころに、それに真っ向から立ち向かっていた。それにとても勇気づけられました。
 ……とはいえ。『チェンクロ』も最初のころ、「テキストはあまり長引かせない」というそれまでのスマホゲーム特有の縛りがありましたけど……。

松永氏:
 ありました、ありました(笑)。最初のころは、テキストの量は苦戦しましたね。

奈須氏:
 ですよね……。話が始まったと思ったらバトルが入って……というのが続いていて。「こんなに立派な舞台が用意されているのにもったいない、もっとストーリーに寄っても、ここまでプレイしてくれているユーザーなら読み込んでくれるのでは?」と思っていました。

 でも、当時はそれが相当難しかった。『FGO』の企画段階のときに「バトルなしでストーリーだけで進むクエストがあってもいいじゃない」と言ったら「それは絶対にNG」と運営サイドにお願いされました。とはいえ、それなら自分が『FGO』に関わる理由はない。シナリオライターをプロジェクトのトップにした意味がない。バトルシステム班に任せて、自分たちはサーヴァントの設定とデザイン、セリフとボイスを作ればいいだけになりますから。

 なので、開発当時の落としどころとして、「シナリオの分量が1KBだろうと5KBだろうと、そのブロックが終わったら必ず戦闘を入れる」という方針で『FGO』を始めました。
 サービス開始から一年後、ユーザーさんからも「別に必ず戦闘がなくてもいい」という声も増えて、無理にバトルを挟まなくてもよくなりました。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

松永氏:
 たしか、『FGO』の1.5部ぐらいからですよね。

奈須氏:
 そうですね、1部終了時から、「RPGしているならシナリオだけの節があってもいいよね」と。RPGの楽しみって、疑似戦闘でドラマを楽しむことじゃないですか。育てたユニットでバトルしていくのも楽しいけど、同じくらい『シチュエーションの妙』……ロールプレイに楽しみがある。

松永氏:
 そうですね、はい。

奈須氏:
 いまは3Dも多いからそうでもないとは思うんですけど、当時はRPGが「一番安価にドラマを作れるジャンル」だと思っていたんです。
 大きな物語の骨組みの中で、戦闘を擬似的に楽しむ。要するにごっこ遊び=ロールプレイングですよね。「こういう状況でこういう役になりきって、こういう局面を乗り越えるんだ」というインタラクティブな興奮は、ゲームでしか味わえない。

 漫画も小説も、つまるところ読者は『作家が用意した世界を楽しむ観測者』になりますが、『作家が書いた絵図を自分で動かして乗り越える』というのは、ゲームだけの物語体験だと思います。

 その物語体験は『チェンクロ』できちんとで提供してもらってるんだから、『FGO』では1部の5章からフォーマット的に戦闘を入れるんじゃなくて、「ピンポイントでバトルを用意して、大きな物語の結節点としてドラマチックに見せていこう」という方向に舵を取りました。

 「部屋の中でならともかく、移動中に5KB以上のテキストを読まされても困るのでは?」という恐れはあったんですけど、ユーザーのみなさんはあんまり困らず、それぞれのプレイスタイルで適応してくれました。……そうですね。この結果が、『FGO』でいちばん嬉しかった事かもしれません。

 それで、1部5章あたりから「過去の成功例的なフォーマットはもう忘れて、やりたいことをやろう」という方向に向かっていきました。幸運なことにそのやりかたがヒットしてくれて、『FGO』は今の形に落ち着いたんだと思います。

松永氏:
 『チェンクロ』も2部ぐらいから文章の量を増やしていって、という点では同じ流れでしたね。うちでも、ユーザーのみなさんは付き合ってくれて、物語で表現できることがぐっと広がりました。

奈須氏:
 ですよね。ライターとして嬉しいです。……とはいえ、ユーザーさんのプレイスタイルは十人十色なので、別にシナリオに関係なくプレイしてくれるユーザーさんもいる。
 『シナリオ』『キャラクター』『バトル』、それぞれは独立したもので、全部好き、というユーザーさんもいれば、ひとつだけ好き、というユーザーさんもいるでしょうし。

松永氏:
 そうですね。とはいえ、うちはバトルに関しては今も「シナリオ的にちょっと無理があっても入れる」というふうにしています。やはり、ストーリー以外の部分がRPGとしての体験を補完する力は捨てがたいです。
 だから、『FGO』ほど思い切ったやり方は「奈須さんだからこそできた」ことなのかなと思います。そういう意味で、僕が『FGO』を初めてプレイしたときにぶっとんだのが、「プロローグからめっちゃ読ませるな!」というところですね。

 もちろん長さだけじゃなくて、その内容に痺れました。というのも、スマホRPGには「基本プロローグパターン」というのがあると思っていて。
 どういうものかというと、突然クライマックスからシーンが始まって、主人公が最強の英雄たちと一緒にいて、魔王と決戦するんです。で、バーン!って最強技が飛びかったら、そこで光に包まれて、全てが無かったことになって、主人公が「俺はいったい…」と言ってレベル1から始まるというものですね。

 ちょっと揶揄したような言い方になっちゃいましたが、でもこれってスマホゲームでユーザーさんの心を最初に掴むための、すごく大事な文法が詰まってるんです。
 スマホゲームは初期離脱を恐れます。だからいきなりテンションを上げつつ、魅力的なキャラクターを全員見せて、派手で気持ちいいバトルを体験させて、でもそのキャラは売り物だからいったん取り上げて、そのうえで新しい冒険のワクワクを描く……というふうに必要なものを全部盛り込んでいくと、自然とそのパターンになるんだろうな、というのがあります。

奈須氏:
 たしかに(笑)。

松永氏:
 だからいつも「すっごいかわいい子いるけど、どうせこのあと離ればなれになるんでしょ…」とか思いながらやっていました(笑)。だから、純粋に物語として全力で振り切られた、『FGO』のあのプロローグには痺れたんです。

スマホゲーム運営が取りうる最良の手段は、ゴールまで走り続けること

──サービス開始時までの『FGO』はどのように作られていたんでしょうか。

奈須氏:
 プロローグをまず自分が書いて、1章から4章はライターチームに任せていました。そのほか自分は全体監修や全体フレーバーテキスト作成、あとはサービス開始から半年まではメイン章担当のライターさんには余裕がないだろうと考慮してイベントシナリオの作成も、といった体制で進めていました。

 プロローグ(序章)はライターチームに『FGO』におけるテキストのラインを示すために制作したものです。実はあれ、最初はずっとテキストだけを読んでいる状態だったんですが、先ほどの話にあった通り、「それだとまずい」ということで、尺を調整してシナリオをバラバラにして、バトルを挟めるようにして、現行のものにしてあります。

それでも「長いのでは」と危惧されましたが、TYPE-MOONが作る以上、「シナリオ読みに慣れたユーザーがプレイするものだ、これぐらいは読ませないと絶対にまずい」と考えました。「もう少しビジュアルノベル感を出すべきか、いやでもこれはRPGだから……」ということで、今のバージョンに落ち着いたんですけどね。

松永氏:
 そうなんですね。実際、ノベル感もRPG感も感じられる絶妙なバランスだったと思います。

奈須氏:
 『FGO』がサービス開始したとき、1部終章の構成をきっていたのですが、ゲームが軌道にのったので『1部の後』も用意してほしい、と正式に打診がありました。
 そのときにちょうど『チェンクロ』で2部が始まって。1部で大きな物語が一度終わっているので「いやまあ、続くのは嬉しいけど、どう続けるんだろう?」と思ったら、大陸を離れて大海原に出るじゃないですか。あれが本当に素晴らしくって。

 単なるシステムの延長じゃないし、世界も広がったし、今まであえて触れなかった海の話も出てきて「すごい、本当に新しい物語が始まった!」って思いました。
 しかも、新しい世界を提示したあとに、さらに新しいいくつもの大陸があるんだよって知らされるじゃないですか。1部が終わったあとの2部というのは、これぐらい新しいことをして、ガラリと変えなくちゃいけないんだと。それがすごく印象に残っています。

『チェインクロニクル』第2部キービジュアル

松永氏:
 ありがとうございます。あれもコンシューマRPGの『2』をイメージとして目指していました。大きな節目は、あらためてタイトルの特色が出ますね。
 『FGO』でも、1部から2部の間に準備期間があったじゃないですか。あの期間の仕掛けはすごくドキドキしました。運営と一体になるライブ感を本当にうまく活用していて、その間の期間でさえユーザーさんの期待をしっかりと盛り上げてから2部を始めていて、本当にすごいなと思いました。

奈須氏:
 ありがとうございます。2部で世界観や美術を一新するので、その土台を作るための制作期間として1.5部を作ろう、という理由もあったのですが、なにより次の新しい展開に向けて、ユーザーさんの『FGOはこういうゲーム』という固定観念を壊しておこう、という意図がありました。この先、いろんな価値観がやってくるよ、と。

──奈須さんの『チェンクロ』に関する話を聞いていると、業界人としての分析的な視点もある一方で、もうちょっと手前のプレイヤーとしての感情も捉えている印象を受けました。その感情も、しっかりと『FGO』に盛り込んでいる感じがあります。

奈須氏:
 たしかにそうですね。やっぱり根っこはゲーマーなので、面白いゲームを遊んだら影響を受けるし、「そこまでやるならこっちもやってやろう」みたいなキャッチボールもしたくなります。
 でも『FGO』を作る前に遊んだスマホゲームって、『チェンクロ』とあとひとつぐらいでしたから、そこは本当に幸運でしたね(笑)。

松永氏:
 スマホゲームだからこそ、やっぱり直感的に「楽しいな」と思える体験を活かすのは本当に大事ですよね。

奈須氏:
 「生活に寄り添って、RPG+ストーリーを提供できる」というものが、スマホゲームという場所で実現されていたわけです。まさに自分が学生のころに夢見ていた形式じゃないか、と。

──『週刊少年ジャンプ』をみんなでワクワクしながら読んでいたあの感覚を、どうやったら再現できるか?というのは、以前から話されてましたよね。

奈須氏:
 でも、実際やる側になると血を吐きながら走り続けるマラソンみたいで、大変なんですけどね(笑)。大きく動いた車輪って、たとえブレーキが「止まれ!止まれ!」って言っても止まらないじゃないですか。
 なので、「どうやって終わらせるか」が大事なんだと、最近は痛感しています。たいていは「最後まで走りきる」か「空中分解する」かという結末を迎えるんですけど、空中分解はユーザーへの裏切りになってしまうので、できれば避けたい。

松永氏:
 そうですね。

奈須氏:
 スマホゲーム運営が取りうる最良の手段は、この巨大機構を「ゴールまで走らせる」ことだと思うんです。そうは言っても、実際はそれをやりきるには制作の努力だけでなく、ユーザー数、ビジネスモデルの成否、といった問題もあるので、個人の力ではどうしようもないのですが。

松永氏:
 いやー、本当に血のマラソンですよね(笑)。最悪の場合、空中分解しても漫画とかなら「残念な結末だったけど、仕方ない」って思われる場合もあるんじゃないかと思うんですけど、運営型のゲームって、ユーザーさんがもう膨大な資産を注ぎ込んでしまっていますからね……。

 なにしろ、「キャラクターを育てる」という過程のすべてが注ぎ込まれていますからね。やっぱり、「キャラクターを育てる」ってすごく大事なことだと思うんですよ。

奈須氏:
 大切です!

松永氏:
 それって、「キャラクターが自分のものになる」という何よりの証ですし、それが空中分解してしまったらやっぱり悲しいし、許せないですよね。それを知ってるから、止まれない。

奈須氏:
 いずれ終わりが来るとはわかっているけど、もしそれが「美しい終わり」だったら、納得がいくかもしれない。冷静になってみれば、現実でも永遠に残るものはない。最後に手元に残るものは、それまでの思い出だけですので。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

松永氏:
 そうですね。

奈須氏:
 「俺がルーラーをすり抜けで限凸するまでにかかったこの○万は、いい思い出になるだろう。チクショウ、なれ!」みたいな(笑)。面白かったところ、面白くなかったところ、そのふたつは必ず存在するんだけど、最後の思い出の総括が『でも、とても楽しかった』で終わってくれれば、もう何も言うことはありません。

松永氏:
 本当にそうです。


なぜ、スマホゲームはIP化するのが難しい?

──松永さんの著書【※】で、「スマホの作品はIP化するのがめちゃくちゃ難しい」と書かれていましたよね。その「IP化」という課題は、『チェンクロ』でもこれから立ち向かっていく挑戦になる思うんですが、まさにいまお話しされていた「終わり方」が重要な要素になってくると思います。

 オンラインゲームやスマホゲームって、「飽きて辞める」だとか「運営が何かやらかして辞める」だとか、ユーザーさんにとって不幸な終わり方になってしまうパターンが多いですよね。逆に思い出に残るゲームって、数十時間遊び切って「あー楽しかった!」という美しい思い出として残るじゃないですか。
 だからこそ、「次への期待」が生まれる。その次への期待こそが、実はIP(≒ブランド)なんじゃないかって、最近思うんです。

※『チェインクロニクルから学ぶスマートフォンRPGのつくり方』
松永氏が2018年に出版した著書。スマホRPGだからこそできる最適な物語体験のための設計や、チームでゲームを作る組織制作論、クリエーターの意欲を刺激し続ける方法など、いまなお実践し続けるスマホRPG制作の極意を語る一冊。
(画像はKindleストア | Amazonより)

奈須氏:
 いや、本当にその通りですよね。

松永氏:
 そうなんです。運営型ゲームって「感動した!終わる!」というのはなくて、楽しかったら続けてくれるので、「飽きた」か「運営にムカついて辞める」の2パターンしか辞め方がないんですよね。

 本来は万人が満足するゴールにたどり着いたとき、やっとそこで終われるんだと思うんですけど、それ以外の終わり方って本当にネガティブなものしかないので、それがきついです。

 IPになるものって、ユーザーさんの中で「すごい美しいもの」というか「いい体験」であるということが、絶対の大前提だと思います。そうなると、やっぱりスマホゲームの形式って、すごくIPになりにくいですよね。
 だって、ムカついて辞めた人は「新しくなったよ」って言われても多分やらないでしょう。

奈須氏:
 そうですね……。『チェンクロ』も『FGO』も、最大の特徴はストーリーでキャラクターを見せて、「このキャラクターと旅がしたい」と思ってもらうことです。
 なので、ガチャでキャラクターが引けたら最高に嬉しいという一方で、裏を返せば、ストーリーで本当に気に入ったのにキャラクターが引けないと逆に「憎しみ」が生まれてしまう。

松永氏:
 そうですね。

奈須氏:
 そこでプレイが止まってしまう人もいるでしょう。そういうネガティブな感情でストップがかかってしまうのはとても理解できます。好きなものを憎まなくてはならない、というのは多大なストレスです。……なので、「ただひとりの運命の相手に出会えた……! このキャラクターだけは来て欲しい……!」と思ってもらえたャラクターを召喚できるよう、できるだけ召喚チャンスは増やしてもらってはいるのですが……。

 その点で言うと、『チェンクロ』はユーザーに「ここで俺の『チェンクロ』は終わりでいいや」みたな「区切り」を用意してくれているじゃないですか。

松永氏:
 そうですね。最近ようやく、まさにその「区切り」はひとつの答えかもしれないと思ってきています。実際、奈須さんのように『チェンクロ』2部まで遊んでくださって、しばらく離れてはいたけど「良い思い出」になってきてるよ、という方は多いです。

 最近、第4部を始めたんですが、それで戻ってきてくれるユーザーさんもいたりして。さっきはちょっとぼやいちゃいましたけども、ちゃんとそういう風に捉えてくれている方もすごくたくさんいるんだなと思えることが増えてきました。

奈須氏:
 自分としての課題は、IP化というよりは「アーカイブ化」ですね。『FGO』は自分の時間に寄り添う、人生に寄り添うゲームであるがゆえに、3年目を越したあたりで、もう全てのカードが揃ってしまう。

 そこからはもう新鮮な驚きはない。単純な「付き合い」になってくる。結婚3年目を迎えたあとの夫婦が、毎年うまくやっていくためのルーチンみたいなものになってくると思うんです。何事もはじめは楽しいものです。そういった意味では、『FGO』というゲームの真価が発揮されていたのは初めの3年だったと思うんですよね。

 2016年から2018年あたりが、『FGO』が最も『なんだかよくわかんないけど、とにかく新しい何か』なころだったと思います。その時期に付き合ってくれたユーザーさんにとって、『FGO』は『一緒に成長していっている、なんか面白いもの』として記憶されたのではないでしょうか。
 でも、それ以降に始めたユーザーさんにとっては「誕生から大人になるまで」の時期の空気を知らないわけで、その熱量は一段階下がってしまう。

松永氏:
 それはあると思います。

奈須氏:
 こうなってくるとライブラリ化がしづらい。『FGO』の一部をパッケージにして『チェンクロ』みたいに「コンシューマで出します」と言っても、これはやっぱり「別もの」になってしまう。『2017年の時間神殿』を体験したユーザーさんにとって、あの総力戦を再現できない『FGO』は『FGO』ではないでしょう。

松永氏:
 そうですね。

奈須氏:
 「時間と寄り添ったもの」をどうやってライブラリ化、アーカイブ化するかというのは、最後の課題だと自分はずっと思っていたんですけど、現状は全然答えがなくて。

 あのころの熱狂を、永遠にパッケージングするのは不可能なんじゃないか。
 そう考えると逆に、「偶然この時代に、同じ年代に生まれた、同じゲーム好きの者たちが集まった6年間」を、やっぱり大事にすべきなんだろうなと。申し訳ないけど、でもそれがスマホゲームの魅力なんだなとも思います。

松永氏:
 そうですね。やっぱり、「どこまでもいってもオンライン」なんだなという。

奈須氏:
 いいですね。たしかに「どこまでもいってもオンライン」ですね。

松永氏:
 はい。ユーザーさん自身は「ひとりで楽しめる」という部分で楽しんでくださっていると思うんですよ。でもやっぱり、いちばん本質的部分は「オンラインで同時に共有できている」ことなんだろうと思います。

奈須氏:
 そうですね。「あのころの熱狂」は伝わらないけど、とはいっても「その熱狂があった」という歴史は残るので。
 その残った歴史というIPを、今度はどういうふうに他の媒体で切り出していくのか。それが唯一の道なのかなと思います。

松永氏:
 スマホゲームというジャンルを抜け出して、違う媒体で表現していくということですね。

奈須氏:
 それがスマホゲームの宿命だから、これからも続けていくことがあればそうするしかないのかなと思います。

テキストが読まれなくても、キャラクターの奥に用意した深みは感じ取られる

──「黄金期の『ジャンプ』やテレビアニメが持っていた熱や面白さみたいなものを、どうやって現代で再現できるのか」という課題ですよね。昔は100万人がバッと何かひとつのものを遊んでいたのが、インターネットで趣味趣向が細分化された結果、今は1万人が100個のものをバラバラに遊ぶような時代になってしまいましたよね。
 以前取材したとき、奈須さんが「その断片化に対するアンチテーゼとして『FGO』をやりたいんだ」という発言をされていて、それがすごく心に残っています。

奈須氏:
 『FGO』を始める前のTYPE-MOONのテーマは、「わかりやすい物語を提示して、100万人に見てもらう」よりも「コアなユーザーを20万人捕まえて、その20万人を永遠に喜ばせよう」でした。

 ゲーマーにとって「文字を読む」という行為は、基本的に苦痛なんです。ゲームはインタラクティブなものだから、そういうものを求めてきたユーザーに「ひたすら文字だけ読め」というのは、キュウリが嫌いな子どもに「キュウリを食べろ!」と強要しているようなもので。なのでTYPE-MOONのゲームは「純粋なゲーマー」向けのものではなく、「映画もアニメも小説もゲームも楽しむ、雑食なひと」に向けたものでした。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 システムが面白くて、話も面白いというのが一番バランスがいいんですが、『FGO』はシステム4割・物語6割なので、どうしてもテキスト重視になってしまう。
 だから、当時は「『FGO』がどんなに頑張っても、多くのユーザーには届かないだろう」と思っていた。実際はこういう状況になりましたけど、それでもテキストをいちばん重視するというユーザーは、全体の10%程度です。残りの90%は、キャラクターの魅力や共有できる情報源、運営の楽しさといったものを楽しんでくれています。

 そういう割合なので、ストーリー作りも大事だけど、ユーザーにとって理想的なキャラクターを生み出せるように、キャラクター作りも大事にしています。「やっぱりなんだかんだ言ってキャラクターコンテンツだから」というのは、忘れないようにしてやってきましたが、それはそれで今みたいな規模のIPになるとは思わなかったです。
 キャラクターを愛してもらうのにも限度があると思っていたんですが、思いのほか、生き残っちゃったなーという。

松永氏:
 「生き残る」というレベルじゃないですよ(笑)。
 『チェンクロ』でも始まった当初ぐらいから、ストーリーを読まない人は、3割ぐらいはいましたし、今もこまめに遊んでくださってるユーザーさんの中でも、「昔からストーリー読んでないです」という方も少なくないですね。

 僕は元々アーケードゲーム出身なんですが、カードゲームの『三国志大戦』を開発していたときにストーリーモードを入れようとなったんですね。
 武将ごとにそれぞれのストーリーを入れていたんですが、もう7割ぐらいの人はストーリーなんか読まないんですよ。それでも対戦重視のユーザーさんからも、「このキャラすごくいいんだよ」という声が増えて。

 だから、ユーザーさんにとっていちばん大事なのって「このキャラクターの奥にちゃんとストーリーやバックボーンが用意されている」ということ自体なんだと思っています。もちろん、読んでくれるのは一番ありがたいんですけども。

奈須氏:
 なるほど、たしかにそうですね。

松永氏:
 「バックボーンがある」という事実自体が楽しさに繋がっているところがあるんだろうな、と。
 さっきのキュウリの話に例えると、刺身のツマみたいな(笑)。食べないんだけど、刺し身がツマに乗ってると、さらに美味しそうに見えるよねという。それも含めてユーザーさんが楽しんでくれているというのも、ゲームらしいといえばゲームらしいのかな、と思ったりもします。

奈須氏:
 さっき「ユーザーはテキストを読まない」って言いましたけど、誤解されないように注釈すると、「読めない」んじゃなくて「読まない」んです、きっと。そこを重要視していないから読まないだけで、文脈や空気感、雰囲気を読む力が当然ある。

 だから、そのキャラクターに背景設定や深みがあると、テキストを読まなくても、ゲームを遊んでいればそこから滲み出てくるものを感じ取れる。「なんとなくこのキャラが好き」というのは、受け取り方が違うだけで、実はちゃんと「読み取っている」のだと、自分は思います。
 たとえ読まれなくても、世界観を作ることには意味があるのです。

松永氏:
 実際『チェンクロ』を作った当時、ほかのスマホゲームにはキャラクターの絵とパラメータしかなかったんです。めっちゃかっこいいキャラクターがたくさん並んでいるけど、そこにHPと攻撃力の数字が付いているだけ、というようなゲームが当時はたくさんありました。
 「キャラクターを立たせる最高の素材が揃っているのに、キャラクターになってない」という「何が起きてるんだ?」みたいな感じだったんです。

 そういう状況で、まずは「キャラクターにする」ことが『チェンクロ』を作る最初の目的でした。でも、ガチャを引いたらキャラクターが出て、そのあとにそのキャラクターのストーリーが開いて……という今の構造のプロトタイプを作ったんですけど、全然面白くなかったんですね。

奈須氏:
 それはなんでですか?

松永氏:
 僕もなんでかな?と思ったんですけども、答えはキャラクターが登場した瞬間に「カードに見えちゃってた」ことだったんです。

 だから、ガチャからキャラクターが出た瞬間にちょっと挨拶みたいに、3セリフほど喋らせるようにしたんですね。出会ったときの挨拶みたいなものです。
 3セリフぐらい喋って、そのキャラクターの個性や空気感みたいなものがユーザーが感じられるようになった瞬間に、急にそいつが「キャラクター」になったんです。それが『チェンクロ』を作っていたときの、一番思い出深い瞬間ですね。

奈須氏:
 あれって『チェンクロ』からだったんだ……。当たり前だと思ってた……。
 でも、正しくその通りだと思います。いちばん始めの挨拶に自己紹介がないとは何事だって。だって、一番自分をアピールできるタイミングですよ。自分は『ユニット』じゃなくて『キャラクター』なんだよ、と。

松永氏:
 どんなコンシューマRPGでも、新しい仲間はパーティに入る前に挨拶しますからね。自然な感覚だと思います(笑)。

奈須氏:
 そう感じられたのは『チェンクロ』を遊んでいたからだったんですね……。
 挨拶も短いセンテンスの中でどのくらいキャラクターの特徴を出せるかという、大切な戦いですよね。「こいつ好きになれそう」とか、「こいつ生理的にダメ」とか、「また石田彰か」とか。

一同:
 (笑)。

ガチャを引くだけで、それは「運命の出会い」になる

──松永さんは昔の画一的なスマホゲームはあんまり好きじゃないけど、ガチャの「出会う」感覚はすごくいい、みたいな話をされていましたよね。あれってなんでいいと思ったのでしょうか。

奈須氏:
 あれ、ズルいんですよね(笑)。

松永氏:
 はい(笑)。ズルいんです。

奈須氏:
 ガチャはズルいんですよ。本当に悪しき文化。もし僕が宇宙の神だったら、まずガチャを滅ぼします(笑)。

一同:
 (笑)。

奈須氏:
 今回、ネモを出すのにいくらかかったと思いますか!?「虹回ったー!」と思ったら、まずモーさん、ガネーシャ、それで虹回転来て「あ、キター!」って、エウロペって。「〇すぞ!!」と思ってしまいました(笑)。

 でもまあ、4回目でネモが来たときの喜びときたら。さんざん酷い目に遭わされてるのにこの喜びですよ。ひどい……ガチャ、ズルい……と思って。

──『チェンクロ』でも『FGO』でもそうですが、ガチャでSSRを引くと、やっぱりそいつを軸に育てるかという気持ちになりますもんね。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

奈須氏:
 そうです。お気に入りのキャラクターがいるかいないで、旅の面白さは変わってくると思います。単純なんですけどね。

松永氏:
 そこが良さですよね。キャラクターとの「縁」みたいなものを、よくもまあこんなに簡単に感じさせてくれちゃって……と思いますね。

奈須氏:
 それそれ!! そうなんですよ……。

松永氏:
 その点ですごい発明だと思うんです。まあ、悪しき発明なんですけど(笑)。

奈須氏:
 あらゆるクリエイターが一生懸命頑張って頑張って頑張って作る「絆」を、「てめえ、5秒で作りやがったな!」みたいな(笑)。

──元・週間少年ジャンプの編集長の鳥嶋さんが、漫画や小説が苦労して作る「主人公を自分と思ってもらう」感覚を、「ゲームは操作してキャラクターを動かした瞬間に得られる、これはすごいことだ」とおっしゃっていたのを思い出します。

松永氏:
 それに近いですね。もしガチャを使わずにキャラクターとの縁をユーザーに感じてもらうとしたら、ものすごく分岐が複雑なストーリーを描いて「お前がこの選択をしたから、このキャラクターと出会えたんだぞ」という過程を経ないといけないですよね。
 でも、そんなことゲームでやろうとしたら、物量がすごくなってしまって誰もやれないですよね(笑)。

奈須氏:
 ある意味、ガチャはそれだけで「運命の出会いの場」ですからね。

松永氏:
 それってまさに、物語をゲームでやることの最大のメリットだと思うんです。縁や絆を感じるような運命的な出会いに、インタラクティブに立ち会うことができてしまう。

 主人公と自分を重ね合わせて、一本道の物語に没入するという昔ながらの楽しみ方もわかるんですが、そこには何かが足りないんじゃないのかと思っていたんです。結局のところ、一本道の物語は誰かが書いた物語であって、自分だけの物語にはならないんじゃないかと。

 でも、たとえメインストーリーが一本道だとしても「初めて引いたSSRのキャラと一緒に冒険する」というだけで、誰が読んでも同じになるはずだった物語が、自分だけの特別なものになる。やっぱり、これってすごいことだと思うんですよ。

奈須氏:
 わかります。いわゆる「骨太のストーリー」って、普通のメディアだったら、本当に誰が読んでも同じになるはずなんですよ。
 でも、我々の場合はしっかりと土台となるお話を用意したあとに、AさんはSSRキャラを引いた、BさんはSRキャラを引いた、という具合に、同じものを味わっているのに異なる視点が生まれているんですよね。

 大きなストーリーの流れはありながらも、実質的には個人の物語になっていく。私だけの、あなただけの記録になっていくという。

松永氏:
 はい。ハイブリッドですよね。
 確定されたメインストーリーの体験と、ユーザーそれぞれの個人的な体験がうまく融合していく。だからこそ作れた楽しさだと思います。分岐選択型のゲーム性で、ユーザーが選択することで個人の物語を感じさせるという手法では、分岐が複雑になるほど物語の骨太感はどうしても減りますし。
 正直、ガチャというものには功罪があると思いますが、少なくとも射幸心を煽る装置から、そういう価値ある体験には進化させられたのかなと思います。

奈須氏:
 松永さんと話していて、『チェンクロ』にしろ『FGO』にしろ、ゲームとしてかなり優れているものだったんだなあと、ちょっと再認識しました。そりゃあ、スマホゲームって面白いよねえ。

──骨太なストーリー、『ジャンプ』的なライブ感に加えて、運命的な出会いや自分だけの特別感みたいなものの融合ですもんね。そりゃハマるよと。

松永氏:
 そうですよね。だから「暇つぶしじゃないだろ!」と言いたいんです(笑)。

奈須氏:
 そうですね(笑)。

松永氏:
 ボタンを押してポンッと出てきたキャラクターは、データじゃなくて「お前と一緒に思い出を作っていくキャラクターだろ!」と言いたかったんです。今では、スマホゲームでもちゃんとそういう部分を大事にしている作品が増えてきていて、嬉しいです。


『Fate』システムはストーリーとキャラクターコンテンツの「いいとこ取り」

──松永さんは著書の中で、キャラクター個々のストーリーの重要性を強調する一方で、「やはりメインストーリーはちゃんとあるべきだ」と書かれていますよね。
 一方で『艦これ』『アイマス』のように、メインストーリーがなくてもIP
として成立している作品もあるわけじゃないですか。このあたりの作品との違いはどうお考えになっているのでしょうか。

松永氏:
 今挙げられたタイトルなどの、いわゆるキャラクターゲームは、意図して想像の余地や行間を残していると思うんですが、『チェンクロ』を作るときには「もうとにかく行間は全部埋めちゃおう」という話をしていました。

 行間の多いもの、二次創作的な面白さを生み出すものって、楽しむモチベーションがあって想像力があって、作品への親和性が高い方はすごく楽しめる一方で、そうでない方はなかなかついていけないとも思っていまして。

 『チェンクロ』はスマホで誰でも楽しめる王道RPGを目指していたので、行間がありすぎると、たぶん「どんな人も楽しめるRPG」にはならないんじゃないかと思ったんですね。「行間を想像できないと楽しめない」のでは、「誰でも楽しめる」とは言えないだろうと。
 だから、メインストーリーはあえてしっかりと細かくやるし、その間をつなぐキャラクターストーリーでもあまり余白は残さないようにしました。

 一方で『Fate』シリーズって、ボリューミーなストーリーがちゃんとありつつも、英霊たちの行間はやっぱり設けられていますよね。

奈須氏:
 『FGO』は「いいとこ取り」なんだと思います。2008年ごろ、ストーリーを極力排除したキャラクターや二次・三次創作がメインストリームになったとき、僕は正直「ああ、それでいいんだ」と敗北感を感じていました。たしかに今の時代に合っているとも思いましたし。

 作家がひとりでコツコツ話を作っても、自分とチャンネルが合う人間しか楽しめない。でもこの「キャラクターコンテンツ」だったら、チャンネルが違う人間でも全員楽しめる。
 これが新しい「場」なんだ、じゃあ自分はライブステージの外側、二階席の方で自分を楽しませるライターやってればいいなー、と。それもあって、さっき言った「20万人だけにウケてればいいかな」という意固地な思いがあった。

 でも、ちょうどそのときに「アプリやって」と言われて。まあ、一度もやらずに全否定するのも大人げないということで、『チェンクロ』を遊んだら「おもしれえじゃん!」となって。
 これだったら、「ストーリー提供型でありながら、コンテンツ提供型にできる」と思ったんです。そこからは本当にクルッ!と手の平を変えました。

──その「いいとこ取り」をするうえで、どういった工夫や配慮をなされたんですか。

奈須氏:
 基本的には「ユーザーの夢に応える」というのが第一ではあります。キャラクターコンテンツ的には、「古今東西の英雄を使う」ということ自体がズルいですよね(笑)。英雄は人類規模の共通認識なので。

 『Fate』は人類史の共通認識を使ってドラマもキャラクターも作っているので、ラクをしているんですよね。『Fate Stay/night』のころ、何度か取材で言っていたのは「奈須きのこに唯一いいところがあるとしたら、それは文才じゃなくて『Fate』システムを作ったこと」というものです。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 7つのクラスに、英霊をそれぞれ当てはめて召喚する。当時は、その発想の著作権で食っていけるんじゃないかとまで思っていました(笑)。
 でも実際、そのシステムは『FGO』でキャラクターコンテンツになってしまって。「その英雄、そこに当てはめるんだ」みたいな驚きだとか。それだけで面白いのに、そこからちゃんとストーリーも出てくるし、キャラクターも立ってくる。

松永氏:
 『Fate』システムは本当にすごいです。

奈須氏:
 当時は「ライターとしてはともかく、あのシステムだけはたぶん胸を張れますよー」なんて言っていたんですけど、10年経って「本当にそうだったわ」ってなりました(笑)。

松永氏:
 いま説明されてハッとしました。三国志や戦国時代のゲームでストーリーを作るときって、その武将や英雄たちの歴史上のバックボーンがあるのでたしかに作りやすいんですけど、やっぱり天井があるんですよね。彼らが辿った人生以上のドラマには、どうしても仕上げられないという側面がありまして。

奈須氏:
 そうですよね。

松永氏:
 かといって、単純にカードゲームみたいな感じで武将を召喚して戦わせるというのだと、どうしても浅さが透けて見えてしまうというか。
 『FGO』も基本は「召喚して戦わせる」ですけど、このシステムによって深みが出ているんですね。たしかに僕もユーザーとして、「なんでこの英霊が、このクラス!?」みたいな想像を楽しんでいたのを、改めて思いだしました。

『鬼滅の刃』は「テーマコンテンツ」

──奈須さんからすると、たとえば『鬼滅の刃』はストーリーコンテンツなのか、キャラクターコンテンツなのかどっちなのでしょうか。

(画像は鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス) | 吾峠 呼世晴 |本 | 通販 | Amazonより)

奈須氏:
 あれはどう見てもテーマコンテンツですよ。

──なるほど、テーマコンテンツ。それはどういう意味なのでしょうか。

奈須氏:
 『FGO』の1部が終了したころに、インタビューで「いま一番好きなコンテンツは?」と聞かれて『鬼滅の刃』と答えた覚えがあります。読んで感性が合う人には絶対面白いから、「読めばわかる」とだけ答えたんです。

 作者の吾峠さんのあらゆる配慮が行き届いていて、悪人にしろ善人にしろ、どんなキャラクターにも嫌悪感が湧かないんですよ。それに加えて、吾峠さんの感性が活きているものなので、あの人の価値観、あの人の言いたいこと、あの人の心の優しさというか、その信念が分かる人だったら絶対面白い。

 とはいえ、合わない人は絶対いるから、そういう人には「漫画として何が面白いか」と問われると強くお勧めはできない。だからとにかく読んでみて、感性が合うんだったら間違いなく最後まで目が離せないはずだ、と。たとえ物語がどんな結末を迎えようと、そのテーマ……作家の感性だけはブレないだろう、とたぶん、一巻を読んだ漫画読みの人はみんな思ったんじゃないでしょうか。

松永氏:
 あの世界の死生観とか、特に良いですよね。以前、とにかくキャラが不条理に死ぬ物語が流行りましたが、さらにその先にあるというか。

奈須氏:
 そうですね。あの死生観をもうちょっとハードに、娯楽的あるいは露悪的にやる作家さんもいらっしゃいますが、『鬼滅の刃』は死を娯楽として扱っていない。斬られたら死ぬし、目の前で家族を奪われれば心が死ぬ。ごく当然のものとして扱っている。
 ドライで無常観に満ちているんですけど、そういう困難を前にして「何をするべきか」「どう考えるべきか」を、とても真摯に伝えようとしている。善人も悪人も乱舞する漫画ですが、どこを見ても嫌悪感が湧かないのは、『人を貶めようとする悪意』が作品内にないからです。最大の悪である無惨ですら、「他人が幸せだから汚したい」なんて思考は一切ない。単純に「生きたい」だけの害悪として描かれている。

 あれ。でもこの対談にこの話、必要? いや、ここから丸一日、2020年のジャンプがいかに凄まじかったか、語っていいならしますけど(笑)。

──すみません(笑)。でも、せっかくの機会なのでお聞きしたくて。松永さんはどのあたりが刺さったのでしょうか。

松永氏:
 やはりあの独特な死生観の素晴らしさです。死ぬから刺激的でしょ、死んだから泣けるでしょ、ではなくて「一生懸命生きたね」という。
 決してわかりやすい感覚ではないと思うんですが。ストーリーが王道だから、キャラが魅力的だからとかもあると思うんですけど、それでもやっぱり、この世界観が、これだけのユーザーに受け入れられて喜ばれている状況ってすごいなと思います。

奈須氏:
 『鬼滅の刃』の根底にある死生観や無常観は多くの人が持っているものだと思います。吾峠さんの素晴らしいところは、それを「善性」で描いていることではないでしょうか。

 『ジャンプ』という媒体において、あそこまで善性を貫き通して描かれた漫画が、多くの読者に読んでもらえたのは、本当にいいことだと思います。それでいて、「人生って無情なことが起きるよ」ということをも提示する。

 「誰もお前には優しくしてくれないけど、だからといってお前が他人に厳しくする権利はないからな」という。要するに、鬼側のキャラクターと、柱という期待されているキャラクター、「お前はどっちになりたい?」「どっちがみっともないと思う?」という問いかけを、若い子にやってあげられるのはすごく良いことだと思います。

──なるほど、そういう問いかけが描かれているのがテーマコンテンツであるということなんですね。そのテーマを伝えるにあたってなされている工夫などは、どのように読み取れるのでしょうか。

奈須氏:
 技術的なことで言うと、「キャラクターの感情をセリフにしている」ということですね。『鬼滅の刃』では、それがすごく分かりやすいんです。逆に、短編集では明らかにそれをやっていない。

 あそこまで作風が違うということは、あえてそうしていると思うんですよね。だからこそ、多くの人に理解してもらえる。感情を台詞にする、ということは本来難しくて、「いまとても怒っているけど、これを声に出して伝えたら怒りの重さが変わってしまう」ということも往々にしてある。日本語は特にそうです。それを『鬼滅の刃』では力強い言葉で、大上段で斬りかかる道を選んだ。少年ジャンプという場において、それはとても強いことだったのではないでしょうか。

 この文法って、『覚悟のススメ』の山口貴由先生が『シグルイ』を始めたときにやった、「小説のモノローグを漫画に落とし込む」という技法に近いんだと思います。

(画像はAmazon.co.jp: シグルイ 1 (チャンピオンREDコミックス) eBook: 山口貴由, 南條範夫: Kindleストアより)

 小説の最大の利点は、感情を文字にできること。それは映像では絶対にできない。感情を映像で表現せずに、全部セリフで言うのなら演技は必要なくなりますから。
 でも、『シグルイ』はそれをあの画力で、あの緊迫感でやってのけたんです。「うわー、これすごいことやってる!」って、多くの漫画家がショックを受けたはずです。ライターである自分でさえもショック受けましたもん。

 「これやっていいんだ」となって、それをエンタメに落とし込んだのが冨樫先生の『HUNTER×HUNTER』のキメラアント編終盤戦ではないでしょうか。キメラアント編の後半、連載が再開してから明らかにモノローグが増えていますし。さらに、その文法を善性を軸にしても描けると証明したものが『鬼滅の刃』なのではないでしょうか。

 ……長くなっちゃいましたね。あくまで自分がそう感じているだけの所感なので、資料にはせず、与太話として流してください。

──いやいやいや、素晴らしい視点だと思いますし、とても面白いです!

奈須氏:
 でも、僕はそう感じています。『鬼滅の刃』は突然現れたものではなく、今まで漫画界が培ってきた色々な努力、技術、感動を食べて育ってきた『とあるひとりの漫画家』が描いた、最新漫画のひとつ、なんだって。

──でも、吾峠先生がそれを最初から計算してやったようには感じられませんよね。

奈須氏:
 そうなんですよね。ただ、「感情をセリフにしよう」というのは確実にあるかとは思います。それ以外のところは単純にハイブリッドで、吾峠さんはまだ30歳くらいでしたっけ……? その年齢だからこそ駆け抜けることができたんじゃないかと。

 最終決戦に入ってからの連載は毎週毎週、ものすごい緊迫感でした。それは油断してたら人が死ぬからなんです。僕も、毎週頭にコンビニに行って『ジャンプ』を買うという、小学生みたいなことをやっていたんですよ。

(画像は鬼滅の刃 22 (ジャンプコミックス) | 吾峠 呼世晴 |本 | 通販 | Amazonより)

──たしかに、「油断したら人が死ぬ」という緊迫感はすさまじかったですよね。

松永氏:
 各キャラの描きたい信念をちゃんと見せて、物語の文法的に消化している途中でも、「ここでやっぱり死ぬんです」と描くのは、無常観と同時に緊張感も生んでますよね。
 ちょっと前の、突然死ぬ系のやつは、逆に効果的なタイミングで殺そうとするから、一周回って読めるというか。『鬼滅の刃』の描き方は、作者さんの世界観を掴めないかぎり、読者は予想ができないですよね。

奈須氏:
 でも多分あれ、予想はされてるんですよ。

松永氏:
 えっ、そうなんですか。

奈須氏:
 『鬼滅の刃』の呼吸法って、「漫画的なウソ」じゃないですか。みんな、呼吸を鍛錬したってあんなことはできないと分かっているけど、あの世界の絶対条件として受け入れていますよね。
 でも一方で、『鬼滅の刃』ではリアリティーラインが初めから徹底されている。例えば人間は腕を切られれば出血死する。例えば鬼は不死身だけど首を斬れば死ぬ。例えば柱と新米と上弦がいたら、まず一番弱いやつが死ぬ。現実的に考えれば、それは当たり前ですよね。

 その絶対条件が初めから徹底しているからこそ、作中にどんな呼吸法や強そうな描写があっても、みんな最終決戦をドキドキして観ることができた。
 「戦いになれば死人はでる。そして、若いやつ、弱いやつから死んでいく」という流れ。その空気は読者にも伝わっているので、無限城編はあんなに、毎週「やめてやめて」と目を覆いたくなるような展開になっていましたよね。だから読者のみんなも本当は分かってたんですよ。「たぶん、半分は生き残れないだろう」と。
 それが漫画的な技術とかじゃなくて、吾峠さんが誤魔化したくないことなんだろうし。

松永氏:
 なるほど!

『チェンクロ』4年ぶりの新章スタートの門出に

──ちょっと脱線してしまいましたが、今日の対談のテーマでもあった「物語」について、おふたりがなぜここまでこだわりを持っているのかをお聞きしたいです。

奈須氏:
 自分の場合は、単純に「物語の力」を信じているからです。子供のころから素晴らしい物語に出会ってきて、そのときの興奮や感動を、自分も届けたいという気持ちです。

 あとは身も蓋もないですが、自分はそれ以外の能がなかったということもあります。もし自分にもコミュ力があったり、システムを考えられる力があったら、普通にもっとシステムの面白いゲームを作ってますよ(笑)。
 それでも、別に物語至上主義者というわけではないです。だって、『デモンズソウル』も大好きですからね。大事なのは世界観なんじゃないかなー。

松永氏:
 僕は奈須さんとは逆で、自分で物語を描ききれる人間ではないんです。僕にとっての一番の原体験は、すごいレベルの人たちに混ざって遊んだテーブルトークRPGでした。

 ゲームのシステムだけがドン!と置いてあるだけなのに、ゲームマスターとプレイヤー同士のやりとりだけで、面白い物語が生まれていく。別に誰も物語のプロじゃない。でも進めていくうちに、ひとつひとつのやりとりが奇跡のように積み重なっていって、最後にはとんでもない感動の物語が生まれることがあって。

 でもこのライブ感でできた感動って、その数人でしか味わえなくて。「こんなに面白いのに、この感動にたどり着ける人がこの世にどれくらいいるんだろうな?」と。

 「この感動をどうやったら誰しもが手軽に楽しめるようにできるだろう?」というのが、自分のゲーム作りの命題です。僕はゲームシステム屋なので、それを何らかの仕組みで再現できないかなと試行錯誤しています。

──最後に、今日のお話を踏まえたうえでの、今後の方向性なんかをお聞きして締められればと思います。

松永氏:
 『チェンクロ』は4年ぶりにナンバリングの第4部がスタートしたんですけど、今日こうやって奈須さんと話をさせていただいて、改めて自分たちの作ってきたものが、胸を張ってRPGなんだと思えました。だから、この対談をきっかけに『チェンクロ』に興味を持ってきてくれた人には、「いつ始めても面白い作品だから、ぜひ遊んでみて!」と言いたいです。

 ただ、『FGO』の方が、「今を楽しむ」仕掛けや工夫──ライブ感を高めるために、いろんな仕組みや判断がなされているなと改めて感じましたし、すごく学ばせていただきました。

『チェインクロニクル』4部主人公

──そうですね。でも逆に『チェンクロ』の方が、今からやるって意味では、ある程度やりやすいものにはなっているっていうことですね。

松永氏:
 RPGとして親しみやすい部分はあるんじゃないかなと思います。でも『FGO』は、プロローグからして、今読んでも衝撃を受けることは間違いないです。そこから先もずっと面白いですし。だから、個人的にはどっちも今から楽しめるんじゃないかと思います!

奈須氏:
 ありがとうございます。あのころの最大風速を味わうことはもうできないけど、基本的には常に面白いものを目指しています。
 状況が揃えば、あのころよりももっと面白いものを提供していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。『FGO』は、最後までそれを貫き通すスタイルでいきます。

松永氏:
 うちも、今楽しんでくれている方たちに向けて、長くやってきたタイトルならではのやり方を考えながら、きちんとしたものを作っていきたいですね。
 「どこまでいってもオンライン」だけど、「いつでも安心して楽しめる」ものを、届けていきたいと思います。(了)


 『チェンクロ』や『FGO』といった作品が、いかに”最先端のエンターテインメント”なのか。これは奈須氏自身も対談の中で語っていたことだが、今回の取材を通して、それを改めて確認できたのは、最大の収穫であったかもしれない。
 ゲームは、最先端のエンターテインメントであるがゆえに、さまざまな技術やプラットフォームの恩恵、あるいは制約を一身に受けるメディアである。
 今回の対談は、スマートフォンという新しいプラットフォームに対して、ゲームの作り手である彼らが、いかにして向き合い、苦心してきたのか。その一端が伺い知れる内容であったようにも思う。

 『FGO』の成功にしても、奈須きのこという唯一無二の才能・作家性によるところが大きいのは確かだろう。しかし、それだけではない。『チェンクロ』から受け継いだ仕組みや、スマートフォン=オンラインであることを活かしきった設計思想や運用。それらががっしりと噛み合ったからこそ、今の形があるのではないか。

 そして、自分の信念を曲げずに、自身が面白いと思う形を貫き通した松永氏。彼の拘りがなければ、今日のスマートフォンゲームは、またちょっと違った形になっていたかもしれない。
 時代を切り拓いたクリエイターたちに、尊敬と感謝の念を新たにしつつ、本稿を締めくくらせていただきたい。

©SEGA
©TYPE-MOON / FGO PROJECT

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インタビュアー
TAITAI
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。
元々は、ゲーム情報サイト「 4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「 ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「 ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter: @TAITAI999
ライター
tnhr
メイプルストーリーで人との関わり方を学び、ゲームのゲームらしさについて考えるようになる。主にRPG、アドベンチャーゲーム、アクションゲームの物語やシステムに興味のある学生。
Twitter:@zombie_haruchan
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実存
ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
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