『探偵!ナイトスクープ』の「ラインバックは死んだのか」は、なぜ伝説回となったのか

12月30日(月)11時2分 文春オンライン

 この秋から西田敏行に替わり松本人志が3代目の局長に就任したABCテレビの人気番組『探偵!ナイトスクープ』。1988年の放送開始から2000年4月までの初代局長、上岡龍太郎が大の阪神ファンだったため、上岡が番組を去った際には「次期局長は番組のファンであり、かつ阪神ファンであること」「上岡クラスかそれ以上の大物であること」といった条件のもと、西田が後継者に選ばれた経緯がある。そのため今回の交代劇の際に「松ちゃんって阪神どころか野球にもそんなに興味ないんじゃ……」と思った人も多いはず。つまり局長就任の条件は絶対ではなく、上岡の後任選びに限った話という事なのだろう。


 そんな『探偵!ナイトスクープ』には「野球関連の依頼にハズレなし」の定説がある。野球経験のない若者がゴムボールで魔球を編み出し、元阪神・下柳剛の絶賛もあってまさかの「帰宅部の魔球VS金本知憲」が実現した「魔球はプロ野球選手に通用するか?」の回。亡き父が元ヤクルト・飯田哲也に瓜二つで、依頼者は父親とのキャッチボールが思い出に残っているものの弟にはそれがない、ということで松村邦洋探偵がヤクルトコーチ時代の飯田に連絡し、兄弟の願いを叶えた回。あとは中日と麻雀が好きな依頼者の祖母に「元気なうちに中日の選手と麻雀をさせてあげたい」と板東英二、野口茂樹、前田幸長が集って雀卓を囲んだ回も印象深い。


伝説回「ラインバックは死んだのか」を振り返る


 しかし番組の32年の歴史の中で、最も伝説となっている野球回は「ラインバックは死んだのか」ではないだろうか。筆者は1990年のオンエア当時は見逃したものの、その後動画サイトにアップされているのを見つけ、食い入るように何度も視聴した。あくまでその時の記憶に沿ったものだが、局長交代を機にいま一度この伝説回を振り返ってみたい。


 76年から5シーズン阪神に在籍し、内野ゴロで一塁にヘッドスライディングするなどファイトあふれるプレーで人気者となったM・ラインバック外野手。依頼者の男性は彼のガッツに勇気を貰ったファンのひとりだったが、80年の退団後は消息が伝えられず、90年2月になってスポーツ紙に【ラインバック急死】の見出しを見つけ衝撃を受ける。その記事には前年11月に車の運転ミスで崖から転落して亡くなった旨が記されていた。だが男性はそれが小さなベタ記事だったためどうしても信じることができず、真偽を確かめるべく番組に調査依頼をかけたのだ。記事は何かの間違いで、ラインバックは今も元気に暮らしている。そんな一縷の望みに懸けて。


 依頼を受け、男性と越前屋俵太探偵はほうぼうに問い合わせる。記事を書いたスポーツ誌の記者、元監督の吉田義男、生前のラインバックに取材したことがあるルポライター……。そこで得られたのは、死亡情報はあくまでアメリカからの伝聞であること、阪神退団後は離婚や実父の死去など度重なる不幸に見舞われているというものだった。そしてこのままでは埒があかない、と2人はロサンゼルスへと向かうのである。



阪神時代のラインバック 左は小林繁


ラインバックの勤務先で聞かされた悲しい事実


 ロス到着後、ラインバックが勤めていたという会社の写真を手掛かりにしらみつぶしに探す2人。その結果ようやくラインバックの勤務先にたどり着いたものの、彼らは元同僚から悲しい事実を聞かされることとなる。


“ラインバックは去年、崖から落ちて事故死したよ”。


 そのニュースは、地元の新聞にもハッキリと載っていたという。


 ラインバックには、再婚を約束していたフィアンセがいた。その女性と、前妻との一人息子に面会することができた2人。依頼者は日本からお土産に持参したタイガースの野球帽を息子に被せると、女性の案内でラインバックの墓に向かった。


 見晴らしの良い丘陵地の一角にあるM・ラインバックの墓。そこには多くの阪神ファンを魅了したその名と、現役時代の打撃フォームが刻まれている。ここにきてついに重い現実を受け止めた依頼者は、甲子園球場の一塁の土を取り出し、 憧れのヒーローの墓に振りかけてさすりながら大粒の涙を流すのだった。


“ラインバックさん、これはあなたが昔、ヘッドスライディングをしたあの一塁の土です。思い出しますか?”


 ナイトスクープの名物回は数多くDVD化されているが、この「ラインバックは死んだのか」は未収録である。以前はこの回も含めDVD収録用に依頼者と連絡をとりたいとのお知らせをよく目にしたが、おそらく今に至るまで消息が掴めなかったり、収録できない何らかの理由があるのだろう。そしてこの手の動画の常で、3年ほど前までは観ることができたYouTubeからも現在は映像が削除されている。ネットが普及していない時代に、丹念な調査とこの番組では珍しい海外ロケまで行っていち阪神ファンの小さな願いを叶え、最後はカリフォルニアのお墓までたどり着いたこの回は全野球ファンの心を打つ映像なのだが、今後観ることは叶わないのだろうか。



ひょんな所で発見した「ラインバック最期の言葉」


 しかし、ひょんな所に「ラインバック最期の言葉」が記されているのを、先日通りがかりの古本屋の200円均一棚で発見した。1988年12月に実業之日本社から出た『あの助っ人外人たちはいま』という一冊である。ルポライターの栗原富雄さんが元巨人のスミスや元大洋のトレーシー、元西武のスティーブら30名の元助っ人外国人を訪ね歩いた労作なのだが、ここに亡くなる2年前のラインバックへのインタビューが載っているのだ。おそらく番組に登場したルポライターはこの栗原さんだろう。



 阪神を退団してアメリカに帰国したラインバックは、なかなか職が定まらず不安定な状態が続いた。前夫人との離婚の原因もそのあたりが大きいのだろう。その後も不動産投資に失敗し、大きな経済的損失を負ってしまう。さらには実の父親がガンで入院し、仕事を手伝っていた日本関連企業も業績が上がらない。そしてその事業から撤退を決めた日、父親の訃報が届いたのだという。


“どうして俺だけがこんな目にあわなくちゃいけないんだ”と顔を曇らせるラインバック。そんな彼に栗原さんは励ましの言葉をかけるのである。


 阪神時代は田淵幸一、H・ブリーデンとクリーンアップを打ち強力打線を形成したこと、オールスターで10万の票を集めファン投票1位に輝いたこと、そのハッスルプレーに多くの野球少年たちが勇気づけられたこと、そして阪神退団の際には球団に抗議の電話が殺到したこと……。それを聞いたラインバックは、こんなメッセージを日本のファンに贈った。


“やっぱり気になるよ、タイガースのこと。時々ニュースをくれる人がいるので、大抵のことなら知ってるよ。今年(1987年)が最下位だったってことも……。日本へ帰ったら伝えてくれ。こっちでも応援しているってね”


もうひとつあったラインバックに関する依頼


「ラインバックは死んだのか」の映像を観ることができない今、『あの助っ人外人たちはいま』に載ったこの言葉は愛すべき助っ人の人となりを伝える貴重なものである。アマゾンのマーケットプレイスで、ブックオフの新書棚で運良く見つけることができたら、皆さんも迷わず手に入れてほしい。


 ちなみにナイトスクープではもうひとつラインバックに関する依頼があった。2007年放送の「壁の中にラインバック!?」がそれだ。神戸で鉄板焼屋を営む阪神ファンの店主はいつも有名人に壁にサインをしてもらうが、その壁紙の下に今は亡きラインバックのサインが眠っている。店の改装を機に壁紙のサインとラインバックのサインの両方を新店舗に飾れるようにして欲しい、というもの。専門業者の尽力でサインは無事掘り起こされ、新店に飾られることとなった。


 今後も『探偵!ナイトスクープ』で僕らのハートを捉える野球回は生まれるだろうか。筆者は神奈川の地から数週遅れのtvkテレビで、TVerでチェックしたいと思う。


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(黒田 創)

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