台湾の「中国化」を阻止した香港からの檄、総統選現地ルポ

1月20日(月)16時0分 NEWSポストセブン

熱狂に包まれる蔡陣営(写真/katsu)

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 この総統選は、台湾のみならず東アジアの命運を握るものだった。香港で反政府デモの嵐が巻き起こるなか、台湾の民意は中国の介入に「NO」を突きつけた。実に投票率74.9%。自由と人権を守るための熱い戦いを、長く台湾情勢を取材し続けているジャーナリスト・門田隆将氏が報告する。


 * * *

 1月11日午後9時。台北市中正区北平東路の民進党本部前に設えられたステージの前には、4年前の総統選に勝るとも劣らない数の群衆が詰めかけていた。 開票が進むにつれ、蔡英文の得票数が史上最多の800万票に迫っていた。立法院選も、民進党が過半数を超えることは確実になっていた。


 当確が出る度に、大歓声が巻き起こる。異様な熱気の中、ステージの上でスタッフが勝利の雄叫びを上げていた。


「われわれ台湾人は自由を守り抜いた! 蔡英文は、ここ台湾が自由で民主の地であることを世界に示したんだ」


「ここには香港の人たちも沢山来てくれている。香港を取り戻せ! 時代の革命だ! 台湾はあなたたちを応援する!」


「私たちは投票によって香港のために声を上げた。それは私たち台湾のためでもある!」


 民進党の緑の旗に交じって、「光復香港 時代革命」という旗が打ち振られていた。黒地に白い文字の香港デモ隊の旗だ。


 ああ、香港からこんなに多くの若者が来てくれていたのか。喜びに満ちた彼らの表情を見て、私は胸が熱くなった。まさに彼らこそ、蔡英文勝利の立役者であり、「真の主役」だったからだ。


 午後9時40分、待ちに待った蔡英文がステージに姿を現わした。支持者の興奮は頂点に達した。


「おめでとう! ありがとう!」──大歓声の中、蔡氏が演説を始めると群衆が静まり返った。


「私たちは引き続き、台湾を守り、民主を堅持し、改革を進めます。皆さん、私たちが全員でこの“自由の地”“民主の城”を守り抜いたのです。同時に全世界の民主国家も、そして多くの香港の友人たちも今日、私たち全員で決したことを喜んでくれていると信じます」


 噛みしめるように話す蔡英文。極めて理性的だ。


「台湾人の声、民主の声が世界に届きました。対岸(中国)には、この台湾人の選択を直視するよう言いたい。台湾海峡の安定を維持する責任が双方にあります。北京政府に平和・対等・民主・対話を心からお願いしたい。この8文字が、長く両岸に安定的な発展と交流をもたらすでしょう」


 私は、台湾総統選を長く見てきている。8年前の総統選で当時の馬英九総統に挑戦して敗れた時の蔡英文の姿も見ている。どこか頼りなげで自信のなさそうな表情は忘れられない。だが4年後の2016年、国民党の朱立倫候補と争って政権を奪取した時は、心の中の高揚感が手に取るようにわかる演説ぶりだった。


 だが、今回は違った。興奮することなく、群衆一人ひとりに話しかけるような落ち着きをもった演説だった。


 また成長した──私は、年と共に成長する蔡氏の姿に感慨を新たにした。


◆「一国二制度」の否定


 だが、この勝利は奇跡だった。1年前、蔡英文が再選すると考えていた者は殆どいなかったからだ。昨年1月、蔡英文は世論調査で国民党候補にダブルスコア以上の大差をつけられていた。


 2018年11月24日、台湾では総統選の前哨戦の統一地方選が行われた。22の県市長選のうち15で国民党が勝利し、それまでの6から大躍進。年金改革などの一連の蔡政権の施策が国民の不興を買い、民衆の支持を失ったのだ。蔡英文は党主席辞任に追い込まれ、政権は危機に陥った。


 中国との一体化を目指す国民党がそのまま総統選と立法院選で勝利すれば、台湾の事実上の「中国化」が進む。日本は安全保障をはじめ国家戦略を根本的に練り直さなければならなかっただろう。その意味で今回の総統選・立法院選は、台湾だけでなく、今後の「東アジアの運命」を決するものだった。


 統一地方選大敗の衝撃が冷めやらぬ2019年1月2日、中国の習近平国家主席は、演説で台湾に対して香港と同じ「一国二制度」を受け入れるよう迫った。台湾人の衝撃は大きかった。蔡英文総統は即座に会見を開き、一国二制度受け入れを拒否。これで人気低迷の蔡氏の支持は8ポイント上昇。それでも大手TV局TVBSの昨年2月の世論調査で蔡英文25%に対し、国民党の韓国瑜は54%という大差をつけていた。


 蔡の不人気に危機感を抱いた行政院前院長(日本では首相に相当)の頼清徳・前台南市長が昨年3月、民進党総統候補に名乗りを挙げた。人気の高い頼清徳の支持率が世論調査で蔡英文を遥かに上回っていたため蔡執行部は候補決定の日付を2度に亘って延期。その間、頼に立候補取り下げの説得工作を行った。


 蔡英文後援会の最高幹部はこんな秘話を明かす。


「蔡英文にとって最も苦しい時期でした。頼清徳が総統候補に名乗り出て結果的に蔡英文に決まるまでの88日間、彼女は“睡眠薬が手放せない。この88日間が私の人生で最も苦しい日々だった”と言っていました。思い詰めた表情で、私も可哀想で涙がこぼれました」


 だが香港民主化デモの嵐がすべてを変えていく。香港で6月16日の「200万人デモ」があった直後の世論調査で「蔡50%、韓36%」と一挙に逆転を果たすのである。メディアへの露出を強め、香港民主派の支持を鮮明にした蔡英文が若者の支持をぐんぐん伸ばし、頼清徳との総統候補争いも一気に決着させたのだ。「蔡英文の最大の支援者は習近平」と言われる所以だ。


 7月に国民党が総統候補を正式に韓国瑜・高雄市長に決定した時、すでに台湾では「今日の香港、明日の台湾」というキャッチフレーズが猛威を振るい、韓国瑜もなす術がなかった。大手紙の台北特派員によれば、


「韓氏は香港デモの感想をメディアに聞かれても、“なに? 知らない”とそっけなく返すなど、この問題に向き合おうとしなかった。中国との関係の深さが売りだったのに逆にそれが足枷になり、人気がどんどん落ちていきました。原発を停めた蔡政権の批判で“発電所で石炭や石油が燃やされ、中南部では(汚染で)肺ガン患者が異常に増えている”と根拠のないことを言ったり、TV討論会では突然“中華民国万歳!”と叫び、蔡英文に“あんたも言ってみろ”と迫るなど有権者を唖然とさせる行為が目につきました」


 一方でマスコミは人権弾圧に抵抗する香港の若者の姿を報じ続けた。韓は必ずしも自分は中国一辺倒でないと強調するため、「安全保障は米国に、経済は中国に、技術は日本に頼る」と三方面外交を強調し始めたが、時すでに遅し。大勢は固まっていったのである。


◆目覚めた“天然独”


 台湾では自由や民主主義を享受できることを当り前と思っている「天然独」と称される若者がいる。生まれた時から民主主義があり、人権が守られ、自由があったのだから当然だろう。


 だが、台湾には、国民党の蒋介石政権による台湾人虐殺事件「二二八事件」(1947年)の暗い歴史がある。事件以来、38年間も戒厳令が布かれ、正当な裁判を受けられないまま、軍事法廷で死刑となる人があとを絶たなかった。


 戒厳令が解除されたのは1987年。それまでは政治の話などタブーで年長者には「白色テロ」の時代として記憶されている。


 台湾が民主化したのは李登輝総統の“静かなる革命”の90年代のことだ。以降、若者は自由を満喫したが、香港の若者の戦いが、この“天然独”の意識を変えたのだ。


「このままでは俺たちも危ない」


 そのことを悟った若者は、中国に対して距離を置く蔡英文の支持に猛然と向かったのである。投開票前夜の1月10日、総統府前の大集会で蔡英文総統は50万人の支持者たちにこう訴えた


「台湾ではいかなる人もデモ・集会の権利を警察に守ってもらえます。放水砲や催涙弾を撃たれることもなく、盾を持った警官が走ってきて警棒で殴られ、血まみれになる心配もありません。これが“民主”です。


 若い皆さん、台湾は民主の道を長い間、歩んできました。でも、そこまでの道程は大変辛いものでした。民主は空から降ってきたものではなく、無数の戦いと多くの人々の命を賭けた奮闘により、この地に根づいたものです。そのお蔭で私たちは民主的な暮らしができています。皆さんがこの道を今後どう歩んでいくのか、世界の人々が、とりわけ香港の若い方たちが注目しています


 香港の若者は命と血と涙で私たちに“一国二制度”は絶対に通ってはならない道だと示してくれました。若い台湾の皆さん、民主と自由の価値はいかなる困難も克服できることを明日、香港の人たちに示しましょう!」


 群衆から地鳴りのような歓声が巻き起こった。


「光復香港 時代革命」


あの香港デモの旗が、大きく振られていた。感動と使命感が総統府前に集った支持者たちに満ち満ちていた。私は群衆の中で立ち尽くしていた。


◆日本はこのままでいいのか


 どん底まで落ちた蔡英文の支持率はこうして復活した。だが、国民党の支持層には、年金改革で大幅収入減になった高年齢層がいる。統一地方選で爆発した怒りを侮ることはできない。


 私は1月11日の投票日当日、総統選で必ず行う出口調査をしてみた。台北市内の3区で投票を終えたばかりの有権者たちに話を伺ったのだ。


「香港に影響を受けた」


「中国の脅威は覆い難い」


 そんな声が有権者の口から次々飛び出した。高齢層にもそういう声が多かった。大安区にある新生国民小学校前で聞いた、75歳の中学の元女性英語教師の話は興味深かった。


「軍人、公務員、教師は年金改革のターゲットになりました。国民党の支持層だからです。でも、退職金の預金に18%の金利を与えるこれまでの制度自体がおかしかったのです。改革は当然です。


 夫は軍人ですが、彼も全く同じ考えです。私は自由を求めて一票を行使しました。もちろん蔡英文です。私の元の同僚は皆、韓国瑜ですよ。中国のこれだけの脅威を前にしても、まだ韓国瑜に投票するのは、私には理解できません」


 投票率は実に74.9%に達した。蔡英文は817万票、韓国瑜552万票。立法院も民進党が61議席で過半数を制し、国民党は38議席にとどまった。台湾人は「中国化」を阻止したのである。


 中国が「力による現状変更」という剥き出しの覇権主義を下ろさないかぎり、東アジアに平和と安定は訪れない。


 選挙4日後の1月15日、蔡総統は、国外の敵対勢力による選挙干渉やロビー活動、政治献金、虚偽情報の拡散などを禁止する「反浸透法」に署名した。違反者は懲役5年以下に処すという厳しい法律である。


 日華断交後48年を経ても未だ日台基本法さえつくれない日本の国会議員。激動のアジア情勢の中で、日本が毅然とした姿勢を取り戻すことができるか否かは、私たち国民の声にかかっている。(文中一部敬称略)


【プロフィール】門田隆将(作家・ジャーナリスト)かどた・りゅうしょう/1958年、高知県生まれ。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』 (角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』 (角川文庫)、『新聞という病』 (産経新聞出版)など。


※週刊ポスト2020年1月31日号

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