<コラム>中国は清朝時代の「全国統治方式」を現在も踏襲

1月29日(月)19時0分 Record China

内モンゴル自治区出身のモンゴル族の知人が、「自治区主席はモンゴル族だが、共産党委員会の書記は漢族だ。少数はやはり、頭を押さえつけられている」と話すのを聞いたことがある。実は、彼の発言には事実からズレている部分がある。写真は中国共産党の関連広告。

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内モンゴル自治区出身のモンゴル族の知人が、「自治区主席はモンゴル族だが、共産党委員会の書記は漢族だ。少数はやはり、頭を押さえつけられている」と話すのを聞いたことがある。実は、彼の発言には事実とは多少ズレている部分がある。そのあたりをご紹介しよう。少数民族地域だけでなく、中国は現在も清朝時代の「全国統治方式」を踏襲しているということなのだ。

▼行政トップより地位が高い「共産党委員会書記」
まず、中国政府は国の下にある「省クラス行政区」を34カ所指定している。うち台湾省は、中華人民共和国の統治下にはいったことが1度もないので除外する。香港とマカオも、現在のところはその他の「本土」と状況がかなり違うので除外する。残りの「省クラス行政区」は31カ所だ。

「省クラス行政区」には22の省、4つの中央直轄市、5つの民族自治区がある。省政府のトップは省長、中央直轄市なら市長、民族自治区は主席だ。しかし省長・市長・主席は各地域のトップではない。

中国の行政区画にはそれぞれ共産党委員会が設けられている。各地の共産党委員会は担当区の行政・立法・司法、さらには思想などもすべて指導する。つまり、共産党委員会の方が政府より格上であるわけだ。共産党委員会のトップは書記だ。つまり共産党委員会の書記が、その地方における最高権力者ということになる。省長・市長・主席は通常、共産党委員会メンバーとしては副書記の肩書を持っている。

さて、中国にある少数民族自治区は「内モンゴル自治区」「新疆ウイグル自治区」「寧夏回族自治区」「チベット自治区」「広西チワン族自治区」だ。自治区の共産党委員会書記はすべて、他の地方出身であり、対象となっている民族に属する者はいない。

▼出身地の最高権力者には登用せず別の土地に赴任させる
冒頭で紹介された私の知人の発言は、そこまでなら正しい。ただし、さらに知っておけねばならないのは、中国の省クラス行政区の共産党委員会書記は少数民族自治区以外でも、すべて他地域の出身であることだ。

実はこの、「地方のトップは他地域出身者に限る」という方式が、清朝と同じなのだ。外来異民族として中国(漢人地帯)を統治した清朝は、漢人に比べれば人口が圧倒的に少なかったこともあり、地方の自立性が高まることを極めて恐れた。そのため、皇帝に直結した中央官僚を地方に派遣して統治させた。官僚の多くは漢人だったが、出身地には赴任させなかった。地元の人間との結託を防ぐためだ。

考えてみれば、省クラス行政区の共産党委員会書記を決めるのは共産党中央だ。清朝皇帝が地方トップを決めたのと同じと構造ということになる。

▼地方を転々とするのが一般的である党委員会書記
本稿執筆にあたり、1月20日現在の省クラス行政区の共産党委員会書記と省長・市長・主席を改めて調べてみた(省長などは、正規就任前の「代理」の肩書である者を含む)。

書記の場合、すべての行政区で籍貫(本籍)も出生地も他地域だった。遼寧省生まれである天津市の李鴻忠書記がこれまで遼寧省、広東省、湖北省の3カ所に赴任したように、各地を転々と異動してきた例が多い。江西省の鹿心社書記は湖北省、中央政府(国土資源部)、甘粛省で仕事をしている。つまり、中央政府での勤務経験がある人物も珍しくない。さらに、共産党中央や国有企業での勤務経験のある書記もいる。

やや例外はチベット自治区の呉英傑書記だ。山東省出身だが17歳の時に「知識青年」としてチベット自治区に赴任し、それ以降一貫して同自治区で仕事をしてきた。

省長や市長についても状況は同様で、出身省の省長に就任したのは江蘇省の呉正隆省長だけだ。もっとも呉省長は山西省太原市の太原機械学院(大学)に学び、卒業後は中央政府の機械工業部や中国機械装備集団公司、重慶市政府などでの勤務が長く、江蘇省での勤務は2016年9月からだ。中国の「地方人事の通例」からすれば、遠くはない将来に他地域に異動する可能性もある。

▼中央に逆らえない中国の地方トップ
日本のように地域の住民がその地方のトップを選ぶ場合、中央と対立する首長が出現する場合がある。翁長沖縄県知事は米軍基地問題で日本国政府と対立している。小池東京都知事も中央与党である自民党と対立している。かつては、革新都政の美濃部東京都都知事が自民党政権と鋭く対立し、2期目を目指した1971年の都知事選では佐藤栄作首相を厳しく批判する「ストップ・ザ・サトウ」をスローガンに当選を果たした。

中国の場合、地方トップが「ストップ・ザ・習近平」を唱えることは全く考えられない。例外としては、2012年3月に腐敗や職権乱用があったとされて失脚した重慶市の薄熙来書記がいる。薄書記は実際には、すでに内定していた同年秋の習近平氏の共産党総書記への就任を妨害して、自分が取って変わろうと動いたために「排除」されたとされる。

薄書記にしても、表立って「ストップ・ザ・習近平」を唱えたのではない。また、ある程度まで「計画」を進められたのは、共産党中央に支持者が存在したからとされる。ちなみに、退任後の2014年に失脚した共産党中央政治局の周永康元常務委員は、薄書記の後ろ盾のひとりだったとされている。

▼民族自治区の行政トップには該当民族を据える
他地域出身者を登用する各地の共産党委員会書記や省長・市長と、民族自治区政府の主席の状況は異なる。内モンゴル自治区の布小林主席は内モンゴル出身でモンゴル族。ちなみに彼女は共産党革命世代の高級幹部のひとりで、副首相にも就任したオラーンフ(烏蘭夫、日本ではウランフなどとも表記)の孫娘だ。

広西チワン族自治区の陳武主席は同自治区出身のチワン族。これまでずっと、同自治区で仕事をしている。チベット自治区のチェ・ダルハ主席は雲南省出身だがチベット族で、勤務経験があるのは雲南省と同自治区だ。新疆ウイグル自治区のショホラト・ザキル主席は同自治区出身のウイグル族で、同自治区で仕事をしてきた。

▼辺境民族の思想・信仰は自由だった清朝、厳しく統制する現代中国
ただし、いわゆる少数民族地域の統治法は、中華人民共和国とかつての清朝では大いに異なる。現在の民族自治区主席は全員が共産党員だ。つまり思想信条は共産党中央と合致していることになる。自治区内の政治方針についても、現地共産党委員会に従わねばならない。

清朝宮廷は、モンゴル、チベット、ウイグルや回族などの「内部事情」には、やむをえないと判断した場合を除いて関与しなかった。信仰についても、チベット族に対しては「仏教の庇護者」として振舞い、イスラム教を信じる民族に対しては「イスラムの理解者」として対応した。

辺境民族側としては、一層の自主性の獲得に努めたが、清朝に離反することはしなかった。清はその「緩い統一」により安定を保っていた。

現在の中国は、体裁としては自治区主席に少数民族の人材を配置している。民族固有の習慣についても一定の配慮をしているが、思想や信条で民族の独自性に大きな制限をかけている。

▼中央政府の干渉強化は辺境民族からすれば「裏切り行為」
状況が変化したのは19世紀になり欧米列強が利権を求めて押し寄せたからだ。清朝側の内部事情も複雑だったが、辺境地域を現地民族に任せておいたのでは危険と判断し、干渉の度合いを格段に強め始めた。この動きは辺境民族側にすれば、清朝の「裏切り行為」にほかならなかった。このことが、現在の中国でも「独立運動」が発生する遠因になっている。

中国共産党・中国政府は西側諸国による干渉を強く警戒している。真に危険なのは軍事力行使ではなく、自由主義や民主主義を浸透させ、共産党政権を除去する「和平演変(ホーピン・イエンビエン=平和的な政権転覆)」との認識だ。主力民族である漢族を主体とする政権が、もともと価値観が異なる少数民族に強く干渉する構図は清朝末期と同様だ。

ここでは、現在の中国の少数民族に対する統治の是非については、あえて論じない。ただ、思想や考え方までの統一を目指し、社会の安定も維持する作業は極めて困難なはずと指摘しておく。

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。

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