初優勝の栃ノ心、ユーラシア・怪力の系譜

2月1日(木)6時12分 JBpress

ジョージアの首都トビリシから北に約160キロの距離にあり、ロシア国境に近いステパンツミンダ村にある、14世紀建造のゲルゲティ教会(2016年10月4日撮影)。(c)AFP/ KIRILL KUDRYAVTSEV〔AFPBB News〕

 ソ連期から映画や合唱、バレエなど、様々な芸術文化で密かに我が国でも注目を受け、近年はナチュラル・ワインの世界にも新風を吹き込んでいるユーラシアの知られざる文化・芸能・スポーツ大国ジョージア(グルジア)から、また、1人の英雄が誕生した。

 とりわけ格闘技は国民的な関心事で、さらに大変な親日国ということもあり、国を挙げて快挙を祝している。もちろん、栃ノ心ことレヴァン・ゴルガゼの大相撲・初場所幕内優勝である。

 実は優勝が決まった1月27日はジョージアを4世紀前半にキリスト教改宗に導いた聖ニノの記念の日であった(ちなみにジョージアは世界でももっとも古いキリスト教国の1つである)。

 したがって、SNS上では、ジョージア人の投稿はこの聖ニノの祝日をお祝いするメッセージが多かったが、途中から栃ノ心の優勝を祝うメッセージ一色になった。

 栃ノ心の奥さんもこの聖女ニノにちなんだニノさんで、2人は栃ノ心の郷里ムツヘタの幼なじみ(2年前、筆者も招待されたが披露宴を東京で行っている)。

 そして、聖ニノによるジョージア国のキリスト改宗の舞台こそが、この古都ムツヘタであり、報道にもあるように初めてのお子さんが生まれたばかり。

 まさにジョージアにとって歴史的な日の偉業達成は家族には最高のプレゼントとなっただろう。

 外国人力士というと、モンゴル勢が目立つが、そもそもヨーロッパ人初の関取はジョージア人の黒海(レヴァン・ツァグリア)であり、彼がまさにこの道を切り開いたといっても過言ではないだろう。

 今場所千秋楽で見事に勝ち越しを決めた栃ノ心の朋友である臥牙丸(テイムラズ・ジュゲリ、現在十両)も含めて、これまで幕内力士を3人輩出している。

 隣接するロシア領オセチア出身の露鵬・白露山兄弟や阿覧も含めて、まさにジョージア・コーカサス山岳民が受け継いできた尚武の気風がついに日本の“国技”の頂点を極める力士を生み出すことになった。

 ジョージアでは優れたスポーツマンは社会的に大変な尊敬を集めて、長らく活躍することも多い(現在、首都トビリシ市長のカラゼはACミランの名選手であった)。

 筆者は格闘技など全く専門外だが、今回の快挙を契機にいくつかのエピソードでジョージア格闘技の伝統と、日本との交流を簡単に振り返ってみたい。

最強の系譜
テディアシュヴィリとチョチョシビリ(チョチシュヴィリ)

 ジョージア人で初めてオリンピックで金メダルを獲得したのはダヴィト・ツィクマリゼであり、1952年のヘルシンキ五輪レスリングであった。

 そもそもレスリングのことをジョージアでは伝統的な格闘技であったチダオバの語をそのままあてて呼んでいる。

 以降、数多くの金メダリストを輩出し、一昨年のリオジャネイロ五輪で日本の樋口黎選手を破って金メダルを獲得したヴラディメル・ヒンチェガシュヴィリまでレスリング強国としての伝統は脈々と受け継がれている。

 この輝かしいジョージア・レスリングの伝統の中で、とりわけ最強を唱われたのが、レヴァン・テディアシュヴィリ(1948年生まれ)である。

 1972年ミュンヘン五輪と1976年モントリオール五輪でレスリングにおいてソ連代表として出場し、2度金メダルを獲得した。さらに、日本とも縁の深いソ連発祥の格闘技サンボでも世界チャンピオンとなった。

 映画俳優としても『ピロスマニ』で有名なギオルギ・シェンゲライア監督の映画『ハレバとゴギア』で主演するなど、幅広い活躍をみせたジョージアの英雄である。

 筆者は一昨年、ジョージア滞在中に偶然、直接話を聞く機会を得たが、70歳前にして筋骨隆々の肉体には驚かされた。

 新作映画にも出演するとの話であり、いまだ健在である。日本滞在も長かったそうで、同席した奥様ともども日本の食事のことなど、大変懐かしそうに話をされていた。

 テディアシュヴィリより2歳若いショータ・チョチョシビリ(ショタ・チョチシュヴィリ、チョチョChochoではなくジョージア語で正しくはチョチChochi)については日本語のウィキペディアにも一通りの情報があるように、日本のみならず世界で最も知られた格闘家の1人であっただろう。

 現在もジョージア大使館主催の独立記念日レセプションにはアントニオ猪木氏がほぼ毎年姿を見せるが、同氏とジョージアのつながりは何といってもチョチシュヴィリ氏との異種格闘技対決であり、伝説の勝負は今に語り継がれている。

 そもそもは優れた柔道家として、テディアシュヴィリ氏同様に1972年のミュンヘン五輪にソ連代表として出場して金メダルを獲得している。

 1976年は銅メダルに終わったが、このとき金メダルを獲得したのが名柔道家の上村春樹であった。

 日本オリンピアンズ協会のHP中にある上村氏のインタビュー記事にはチョチシュヴィリのことを「当時の世界最強といわれた」と記されている(参照=https://www.oaj.jp/interview/23_uemura/)。

 ちなみにジョージアでは今日もチョチシュヴィリ氏の栄光を記憶して、日本人の「しょうた」という名前はチョチシュヴィリに倣ってつけていると信じている人が少なくない。

 これは日本人にとってはいわば伝説の類いの話のようであるが、実際にある高名な柔道家が息子の名前をチョチシュヴィリにちなんで名づけたという話を伝聞したことがあり、全く根も葉もない話ではないかもしれない。

レスリング・柔道・重量挙げ
ジョージア黄金のトライアングル

 ソ連崩壊後のジョージアに事実上の記念すべき初めて金メダルをもたらしたのも、柔道家であった。

 バルセロナオリンピックで日本代表の小川直也選手を決勝で破って金メダルを獲得したダヴィド・ハハレイシヴィリ(ダヴィト・ハハレイシュヴィリ)である。

 ただし、このときはまだジョージア一国でナショナルチームを編成することはなく、ジョージア国最初の金メダルは2004年アテネ五輪でのズラブ・ズヴィアダウリであった。

 以降、ジョージアは柔道で累計3つ、レスリングでも3つ、そして重量挙げで2つ、合わせて8つの金メダルを近年4回の五輪(アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ)で獲得してきた。人口400万の国としてはまさに規格外の「怪力」の格闘家を輩出してきたといえる。

 なお、もともとはプロレスなどに全く縁がなかった筆者であるが、ジョージア/グルジアに留学したことから、様々な機会にこれまでも有名な格闘家に会うことがあった。

 初めて出会ったジョージア人の格闘家はリングスで活躍したビターゼ(より正しくはビツァゼ)兄弟の兄タリエルで、20年ほど前だが、宿泊していた池袋のメトロポリタンホテルまで会いに行った記憶がある。

 リングス・グルジアやゴキテゼ・バクーリを懐かしむ知人の言によれば、MMAの波に飲まれてしまい、ジョージア選手が活躍できなくなってしまったのは残念なことであった。

 また、ハハレイシュヴィリがナゴヤドームでK-1に出場した際には、試合の通訳を務めたが、何を言っているのか聞いてきてくれとアナウンサーに急かされてセコンドとの会話を聞き取ろうとラウンド合間にリング横からよじ登った(?)こともある。

 黒海関には亡くなったお父様にもよくしていただいたことも良い思い出である。詳細は避けるが、その時に感じたのは、日本では今は感じることがない戦いや勝負への執念である。

 ジョージアでは、このレスリング・柔道・重量挙げ以外にも、サッカーはもちろんのこと空手やラグビーなども大変盛んである。

 そもそも大変な親日国として知られるジョージアでは、日本の伝統的なスポーツはとても人気が高く、相撲こそ現地のチダオバがあるためにあまり行われていないと思うが、合気道や剣道の愛好家さえも少なくない。

 これはジョージアを訪れる日本人が皆驚く事実であり、一般に男の子はサッカーか空手に通う(加えて民族舞踏)という。

 それだけに栃ノ心の優勝はジョージア人の親日感情と愛国心の強さが重なり合い、現地では歴史的な快挙として取り上げられた。

 栃ノ心関のさらなる活躍は日本と離れたユーラシアの国ジョージアの人々の心を歓喜でこれからも揺さぶり続けるであろう。

 なお、ラグビーはネット情報では最新の世界ランキングで日本の11位に対して、ジョージアは12位につけており、直接試合も重ねている。

 2020年の東京五輪も楽しみであるが、その前年のラグビーの東京ワールドカップではまたジョージア旋風が吹くかもしれない。今から楽しみである。

筆者:前田 弘毅

JBpress

「優勝」をもっと詳しく

「優勝」のニュース

BIGLOBE
トップへ