「フォトライン」に立つ韓国の元大統領

3月15日(木)6時8分 JBpress

ソウル中央地裁に出頭した韓国の李明博元大統領(2018年3月14日撮影)。(c)AFP PHOTO / POOL / KIM HONG-JI〔AFPBB News〕

 韓国の元大統領がまた検察の「フォトライン」の前に立った。2018年3月14日午前9時23分。李明博(イ・ミョンパク=1941年生)元大統領が贈収賄などの容疑で捜査を受けるためにソウル中央地検に出頭した。

 韓国メディアは600人の記者団が待ち受けたと報じた。入り口前の地面に書かれたラインの前で立ち止まると、「今日は暗澹たる心情でここに立っています(中略)国民の皆さんにはご心配をかけて申し訳なく思います」などと話した。

 「フォトライン」

 韓国では、世の中の注目を集めた事件の容疑者などが検察に出頭する際、記者団が地面に貼り付けた「フォトライン」と書かれたテープの前に立ってカメラのフラッシュを浴び、ひと言、話すことが慣習になっている。

 李明博元大統領もこの「しきたり」にそってこの日、入り口で立ち止まってから検察庁舎に入って行った。


1992年からの「慣習」

 「フォトライン」はいつからできたのか。韓国メディアによると、きっかけは1992年末の大統領選挙後だった。

 この選挙で、金泳三(キム・ヨンサム)氏が、金大中(キム・デジュン)氏と現代財閥の創業者である鄭周永(チョン・ジュヨン)氏などを破って当選した。

 選挙直後、鄭周永氏が選挙違反などの容疑で検察に召喚された。大勢の記者たちが鄭周永氏からコメントを取ろうと殺到した。

 押し合いへし合いとなり、カメラがおでこにあたって鄭周永氏が出血してしまった。

 この一件以降、取材陣が検察当局と協議して、入り口に線を引き、出頭者はここで立ち止まることが慣習になった。

 最初は「不測の事態防止」が狙いだったが、何かおかしな話ではある。検察の召喚情報が事前に漏れ、大勢の取材陣や、場合によっては市民団体なども入り口で待ち構える。

 韓国紙デスクが言う。


社会的制裁?

 「フォトラインは、一種の社会的制裁という意味がないわけではない。財閥総帥などの犯罪の場合、執行猶予がつく判決となって、後で特赦を受ける例が以前は多かった」

 「だから裁判の判決よりも、『フォトライン』に立つことの方が『制裁』としては意味があった」

 「国民情緒」が何よりも重要な韓国らしい措置だったとも言えるのだ。

 人権侵害ではないかと思えることも少なくないが、そういう議論があまり出ないことも事実だ。

 1年前の2017年3月21日、朴槿恵(パク・クネ=1952年生)前大統領が同じ場所で、フォトラインに立った。

 歴代大統領でフォトラインに立ったのは、李明博氏が4人目となる。

 盧泰愚(ノ・テウ=1932年生)氏、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏、朴槿恵氏がこれまでフォトラインに立った。


5人目の検察捜査

 退任後に検察捜査を受けるのは、召喚に応じずに逮捕されたためフォトラインには立たなかった全斗煥(チョン・ドファン=1931年生)氏を含めて5人目だ。

 全斗煥、盧泰愚両氏は、それぞれ1995年に内乱罪や不正資金授受などの容疑で有罪となった。

 全斗煥氏は死刑判決、盧泰愚氏は無期懲役刑を受け、その後、特赦された。2人とも、「大統領経験者」と遇されることはなかった。

 盧武鉉氏は2009年4月に検察の取り調べを受け、5月に自宅近くで投身自殺した。

 朴槿恵氏は、収賄などで起訴され、拘置所に入った。1審で検察は懲役30年を求刑し、ソウル中央地裁は4月6日に1審判決を下す予定だ。

 フォトラインがなかった時代を含めると、「韓国大統領」は強大な権力の象徴であるとともに、本人や家族が悲劇に見舞われることばかりだった。

 李承晩(イ・スンマン)元大統領は、不正選挙などで国民の強い批判を浴び、1960年の学生革命で退陣し、その後、米国に亡命した。


亡命、失脚、暗殺、自殺…

 後任の尹潽善(ユン・ボソン)氏は、朴正熙(パク・チョンヒ)氏が主導したクーデターで追われた。

 その朴正熙氏は、1979年に部下のKCIA(韓国中央情報部)部長の銃弾に倒れる。夫人は在日韓国人に光復節(独立記念日)の式典で暗殺され、娘は現在拘置所にいる。

 崔圭夏(チェ・ギュハ)氏の在任期間は、1979年12月〜1980年8月ときわめて短命で、全斗煥氏が権力を奪った。

 フォトラインに立たなかった金泳三、金大中元大統領は、息子たちが司法処理された。

 金泳三元大統領の次男は父親が在任中に大きな権限をふるい「小統領」と言われた。人事に介入して脱税などで起訴された。

 金大中元大統領の3人の息子は、別々に資金授受などで起訴された。


静かな引退生活、とはならず

 李明博氏は、退任後、比較的静かな生活を送っていた。

 目立った政治的発言もせず、このままいくと「初めて平穏な生活を送ることができる大統領経験者になるのでは」という見方も一部あった。

 ところが、過去に積み上がった悪弊を一掃するという「積幣清算」を掲げて、2017年に文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)氏が大統領に就任して状況は一変してしまった。

 検察は、前職の朴槿恵氏への捜査に続いて、その前の政権である李明博氏に執拗な捜査を続けた。

 李明博元大統領に対する捜査は広範囲に及んでいる。韓国メディアは「20前後の容疑があると検察は見ている」と報じている。

 この中で、焦点は、自動車部品メーカー「ダス」の実質的なオーナーが李明博氏ではないかという点だ。

 自動車シートなどを生産販売するダスは、李明博氏の兄が創立し、大株主でもある。李明博氏は、「無関係」を一貫して主張している。

 なぜこれが問題なのか。

 ダスは、李明博氏が大統領在任中に、米国で投資会社と紛争になった。

 このときにかかった費用をサムスングループが支払っていたことが判明したのだ。その金額は60億ウォン(1円=10ウォン)と小さくはない。

 サムスングループが費用を肩代わりした後の2009年12月、背任などで執行猶予付きの有罪判決を受けていた李健熙(イ・ゴンヒ=1942年生)会長が、李明博大統領(当時)から「特赦」を受けている。

 ダスの「本当のオーナー」が李明博氏だとすると、この代金は「特赦の対価としてのワイロ」になる。

 李明博氏は、ダスの実質的なオーナーであることを一貫して否定している。このほかの容疑についてもほぼ全面否認の姿勢だ。


報復か、積幣清算か

 フォトラインに立った李明博氏は、大統領時代の側近が相次いで捜査を受けていたことにかねて「政治的な報復劇だ」と強い不満を表明していた。

 李明博政権時代に青瓦台(大統領府)政務首席秘書官を務めた側近は、3月13日に記者団の前に姿を見せ「検察捜査が政治的な報復だという考えに変化はない」と話した。

 だが、心境の変化があったのか。捜査への影響を懸念したのか。言いたいことは前日に側近が話したということか。

 14日、フォトラインに立った李明博氏は「前職大統領として言いたいことはたくさんあるが言葉を慎むことにした」と直接的な捜査批判は自制した。

 フォトラインに立つ財閥総帥や政治家は、ほとんど「捜査に誠実に応じます」などと短く話して庁舎に入る。

 ところが、この日の李明博氏は、1分以上、話し続けた。

 捜査当局はもちろん、「報復説」を一蹴する。捜査すべき犯罪があるのならいつでも捜査するのは当然だという立場だ。今の政権も「報復」を頑強に否定する。

 「積幣清算」と「報復」は全く異なるということだ。李明博氏は、フォトラインで繰り返される大統領経験者に対する捜査を念頭に、「歴史上、これが最後になることを望みます」と述べた。

 それにしても韓国で「歴代大統領の悲劇」はいつまで続くのだろうか。

筆者:玉置 直司

JBpress

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