クーデター企図の国家保衛省を金正恩が許さぬ理由

3月27日(金)6時0分 JBpress

2017年2月3日、韓国・ソウル駅では、北朝鮮の金元弘・国家保衛相の解任を伝えるニュースが流れていた(写真:AP/アフロ)

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(朴 承珉:在ソウルジャーナリスト)

 2017年に、北朝鮮で金正恩委員長の排除を目的としたクーデター計画が存在した。

 このクーデター計画の存在は、2017年5月、北朝鮮の治安組織「国家保衛省(以下、保衛省)」が出した声明で明らかにされていた。声明では、「われわれの最高首脳部」を暗殺しようとするテロリストを保衛省が摘発したという事実と、テロリストの送り込みに米国CIAと韓国の国家情報院が深く関わっていたという見解が述べられ、米韓両国に謝罪を要求していた。

 米CIAと韓国・国家情報院は、ロシア・ハバロフスクに派遣され林業に従事していた北朝鮮人労働者・キム某を思想的に変質、堕落させて買収し、テロリストに変身させたのだという。

 ただ、その暗殺計画の背景については、これまで詳細な情報はなかった。

 今回、その一端が明らかになった。

 自らも脱北者である姜哲煥(カン・チョルファン)北韓戦略センター代表が最近、脱北者の証言を中心に、「朴槿恵政権が弾劾政局に陥っていた頃、北朝鮮の保衛省で、金委員長を除去するためのクーデターグループが構成されていたが、実行直前に情報が漏洩し、失敗した」と述べたのだ。

 つまり、このクーデター計画を首謀したのが、3年前にテログループを摘発したと声明を出した保衛省の人間だったというのだ。そこには高官級を含む15名が関わっていたという。


韓国・朴槿恵政権から協力得られず

 このクーデターグループは、ロシアに派遣されていた北朝鮮労働者を管理する業務を主に担った保衛省要員などで構成されていた。

 同グループは、朴槿恵政権の情報機関とも接触して、クーデターが実行できる兵器など高性能の先端装備の支援を要請した。ところが、韓国当局の支援を受けられなかった。当時、朴槿恵政権は、弾劾政局に入り、同クーデターグループの要請にきちんと対応できなかったかもしれない。

 当時、朴槿恵政権は、北朝鮮との経済協力など南北関係が順調にいかない場合に備え、金正恩政権のレジームチェンジも視野に入れて、2つの方針を並行して追求していた。同クーデターグループは、朴政権がレジームチェンジ政策を取っているのを認識していて要請した可能性が高い。

 同グループは仕方なく自分たちのお金を出して資金を集めた後、高性能の生物化学兵器を購入して北朝鮮に持ち込んだ。保衛要員のグループは、ロシアで労働者を管理する過程で金を受け取り、10万ドルほどずつの金を持っていた。みなそのお金から調達して武器を買ったのだ。

 そして、15人のグループは北朝鮮に入り、金正恩委員長が平壌で行事に参加している際を狙う段取りをつけていた。

 しかし、このクーデター計画は実行直前の段階で金委員長に報告され、実行できなかった。そのクーデター計画の情報が、韓国当局から洩れたのではないかという説もあるが、どこで洩れたのかは確認されてない。


保衛省トップのその後は処刑か収容所送りか

 クーデターが企てられていた時期の直後、今にして思えばこの事件の余波とみられる粛清が大々的に起こっていた。

 2017年2月3日、韓国統一部(省)のスポークスマンは、《(2017年)1月中旬頃、北朝鮮の国家保衛相・金元弘(キム・ウォンホン)が党・組織指導部の調査を受け、大将から少将に降格されて解任された。現在、党・組織指導部が金元弘と保衛省に対し、厳しい調査を進めているため、今後、処罰のレベルと対象者がさらに拡大する可能性がある。表向きの処罰の背景は、保衛省が調査過程で行った拷問など人権蹂躙と越権、不正腐敗とみられる》と発表した。

 同スポークスマンは続いて《金元弘解任の実質的な背景は指導部間の軋轢、金正恩委員長をめぐる葛藤問題など、様々な角度から推測できるだろう》と付け加えた。

 当時、金委員長と金元弘保衛相との関係について、元・朝鮮労働党39室の高官の李正浩(イ・ジョンホ)氏は、「金元弘は、金委員長が後継者になる前に、金委員長と同じ事務所で隣に机を並べるほど信頼を得ていた。2012年4月、金正恩政権発足と共に、(金元弘は)国家保衛省のトップに就いた。金元弘保衛相はその後1年間、金委員長の指示の下、張成沢(チャン・ソンテク)副委員長を監視し処刑を主導した」と述べていた。

 それほど金正恩委員長からの信頼が厚かった金元弘保衛相だけに、その「解任」はさまざまな憶測を呼んでいた。

 この事件ではさらに、保衛省の副相級をはじめとする多数の幹部も処刑されたという。保衛省13局の部署のうち、政治局長、組織局長、宣伝局長ら12部署の中核幹部がクビになった。また、道、市、郡の保衛部長ら保衛省の地方の幹部らまで平壌に相次いで召還され、集中調査が行われ、保衛省が全般的に殺伐とした雰囲気が漂っている、との報道もあった。

 だたし、統一部の発表の《保衛省が調査過程で行った拷問など人権蹂躙、越権、不正腐敗》という理由では、金元弘保衛相の降格・解任という処分は不可解だ。

 なぜなら、これまで保衛省では「拷問と人権蹂躙」は日常茶飯事だったからだ。金委員長もそれについては以前から十分知っているはずなので、罪にはなりそうもない。また、「不正腐敗」がその理由なら、当該の部署長などの処罰で十分だ。

 当時はまだ金元弘保衛相をはじめとする全部署の大々的な粛清の理由が釈然としなかったが、今回明らかになったようにクーデター計画事件に保衛省の人間が多数関わっていたのであれば納得がいく。

 金元弘保衛相が解任されるのと同時に、平壌市内の保衛省庁舎の正面に立てられていた金正日総書記の銅像が別の場所に移されたという。金正恩委員長が、「君たち(保衛省)は銅像を祀る資格がない」と憤り、銅像を回収したからだ。

 事件から3年が過ぎた今でも、金委員長はまだ保衛省を信頼していないという。金元弘元保安相の行方も不明のままだ。処刑されたという説と政治犯収容所に連行されたという説に分かれている。

 もちろん実際にクーデターを企てた15人は残酷に処刑された。その家族らもみな政治犯収容所に連行されたという。この15人の中には、金日成主席の母の康盤石(カン・バンソク)と同じ名字の人が含まれていたため、金委員長の怒りはさらに増したのだという。


「飛ぶ鳥さえ落とす」秘密警察

 今回明らかになったクーデター計画の舞台となった国家保衛省とは、いったいどのような機関なのか。

 1973年当時、国家政治保衛部の名称で発足した情報機関で、秘密警察と防諜任務を担当している。保衛省はいかなる法的手続きもなしに逮捕し、強制犯収容所に連行させるか死刑にする無所不為の権限を持っている。政治犯収容所を管理するのも保衛省だ。

 脱北者らは保衛省を「歩いて入って横になって出てくるほど殴打と拷問の酷い所だ。言葉に尽くせない」と評する。さらに最高指導者の直属機関であり、「飛ぶ鳥も落とせる」とさえ言われている。まさに泣く子も黙る北朝鮮の最強機関なのだ。

 ところが皮肉にも、同機関のトップである歴代国家保衛相らは、ほとんど自分の安全が保障されることがなく、「狡兎死して走狗煮らる」(獲物のウサギが捕らえられて死ねば、猟犬は不用となり煮て食われる)を繰り返してきた。

 歴代の保衛相(保衛部長)が、その任期の末期にどのような道を歩んだのか見てみよう。


歴代保衛相はみな不幸な結末に

 初代保衛相の金炳夏(キム・ビョンハ)氏は、1973年から金一族に忠誠を尽くし、金正日総書記の後継構図(作業)を妨害する人物を無慈悲に粛清してきた。ところが、北朝鮮のすべての権力を握ったとたん金総書記は、金炳夏氏に権力が集中することを恐れるようになる。そして金炳夏氏は、党の調査を受ける途中、1982年に拳銃で自殺したとされている。彼の腹心たちも多く処刑された。

 当時、金総書記は、「金炳夏は無実な群衆を処刑して捕らえ、党と大衆を離脱させた反党反革命宗派」と規定した。金総書記は、自分を後継者にするための彼の勲功を「走狗煮る」理由にあげたのだ。

 2代目保衛相の李鎮洙(イ・ジンス)氏は1987年、黄海道視察の途中、不審死した。その後、金総書記はしばらく保衛相を任命せず、第1副相(第1副部長)に組職を任せた。第3代保衛相のキム・ヨンリョン氏は、金総書記の金日成大学の同級生だったが、彼も1998年に「反党・反革命宗派分子」と追い立てられ、服毒自殺した。

 2000年代末、柳京(リュ・ギョン)保衛省副相は、保衛省幹部のうち金正日総書記と唯一独対して(二人で)酒を飲むほどの信任を得ていた。南北会談でも知られた柳京副相は、海外反探(防諜)分野を担当し、「共和国英雄」の称号を二度も受けた人物だった。

 金総書記は、北朝鮮の韓国西海(黄海)にある延坪島への砲撃(2010年11月23日)直後の12月5日、柳京副相に特命を与え、韓国に秘密特使として派遣した。これについて、2015年1月、李明博元大統領は回顧録で、「北朝鮮の国家安全保衛部の高官(複数の李大統領の側近は、柳京副相という)がソウルを訪問したが、私に会えずに帰った後に処刑されたという話を聞いた」と述べた。

 また、李元大統領は、「金正日がずっと私に会おうとする目的は、南北の和解と統一のためではなく初志一貫、金氏王朝の権力を守り、息子に権力を世襲するのに必要な支援を得ることだった」と振り返った。

 李元大統領の回顧録から読み取るに、当時、柳京副相は、首脳会談と経済協力を口実に巨額の借款を要請した可能性が高い。ところが、柳京副相は平壌に帰るやいなや、防諜系の部下10人余りと共に処刑された。柳京副相の処刑理由は、「派閥を形成し、放蕩した(荒廃を働いた)」ということだった。だが、これもやはり表向きの理由だろう。特使の任務を果たせなかった点や特使任務の秘密が漏洩される可能性を金正日総書記が問題視したとされるが、その上、まだ若くて政治経験のない金正恩時代になったときに老獪な柳京副相を保衛省のトップに置くのは危険だと判断したからかもしれない。この時期は金総書記がもう脳卒中で倒れた後で、自分の後継者の安全を相当気にしていたはずだからだ。

 北朝鮮は、複数の情報機関同士による相互監視と牽制がなされる体制が作られ、軍内部も幾重にも相互監視されるシステムになっている。そのため、容易にクーデターを起こすことなどできない構造になっている。

 そのため、銃を所持できる部署の個人的な狙撃でなければクーデターは難しいというのが、脱北した高官らの一致した証言である。親子三代にわたり「金一族」による独裁体制を維持してきているだけに、権力維持に向けた執念と工夫は、われわれの想像以上とも言えるのかも知れない。

筆者:朴 承珉

JBpress

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