ドラミちゃんの生みの親は実は小学生だった―中国メディア
2025年4月29日(火)23時40分 Record China
22日、中国のポータルサイト・捜狐に「ドラえもん」の登場キャラクター・ドラミの創作者は実は小学生だったと紹介する記事を掲載した。写真はドラえもん。
2025年4月22日、中国のポータルサイト・捜狐に「ドラえもん」の登場キャラクター・ドラミの創作者は実は小学生だったと紹介する記事を掲載した。
記事はまず、「『ドラえもん』は1970年に連載を開始し、現在に至るまで劇場版が断続的に公開されるなど、依然として高い人気を誇っている、まさに名作と呼ぶにふさわしい作品だ。今回は同作に関する一つの豆知識を紹介することにする」と述べた。
そして、「『ドラえもん』に登場する未来的な道具の多くが、実際に現代で実現していることから、ファンの間では作者の藤子・F・不二雄氏がACG(アニメ・コミック・ゲーム)界の『予言者』として称賛されている。しかし、実際には多くのアイデアが作者本人によるものではなく、熱心な読者たちより寄せられたインスピレーションから得たものだ。さらに興味深いことに、派手で面白いひみつ道具だけでなく、アニメに登場する一部のキャラクターでさえ、ファンによって創造されたものがある。その最も代表的な例が、ドラえもんの妹・ドラミだ」とした。
続けて、「24年12月に放送された『ドラえもん』第1423話では、久しぶりにドラミが登場し、ファンの間で大きな話題となった。ドラミに関するさまざまな話題が再びネットユーザーの注目の的となり、その中で創作者についても再び語られることとなった」と言及した上で、「一定の年齢層の視聴者であれば知っているはずだが、ドラミというキャラクターを最初に考案したのは藤子・F・不二雄ではなく、小学4年生の児童だった。1973年、『ドラえもん』が小学生向け学習雑誌に連載されていた当時、『小学四年生』1973年3月号の巻末には、次号『小学五年生』1973年4月号にドラミが登場するという予告ページが掲載されていた。そして、そこには『ドラミちゃんは、奈良県 中村由美さんのアイデアです』と明記されていた」と説明した。
また、「初期のドラミのデザインは現在のものとは大きく異なり、当時の挿絵ではドラえもんが照れくさい表情を見せていたことから、当初はガールフレンドとして設定されていた可能性も高く、その後、徐々に妹の設定に変更され、デザインも現在の形へと変化したのかもしれない」と推察。「ドラミの創作者が中村さんであるという事実は変わらないが、彼女が一体何者なのかは誰も分かっていない。そこで、あるネットユーザーが『ドラミちゃんをF先生に提案した読者、50年間ずっと表舞台に出ずにいるのすごいな。私だったら承認欲求丸出しでドラミちゃんの作者だとうたってツイッターのプロフィール欄に書く』と発言すると、多くの共感を呼んだ」とした。
そして、「実際、1973年に小学4年生であったとすれば、おそらく当時9〜10歳だった。現在も存命であれば、60歳を超えているはずだ。そんな人物がこの重大な秘密を胸にしまったまま、思春期を過ごし、中年期に入り、そして老年期を迎えようとしているのに、一度もそれを誇らしげに語ることがないとは、まさに忍耐の極みだ」としたほか、「特筆すべきは、23年のドラミ総集編において、あの予告ページと中村さんの名前が再び登場した点だ。これは出版社が現在も中村さんと連絡を取っている可能性を示している。なぜなら、本人の許可なしに実名を誌面に載せることはできないからだ」とした。
記事は、「一つの大胆な仮説」として、「中村さんは出版社と藤子・F・不二雄氏よる『庶民性』や『親しみやすさ』を演出するための架空の存在ではないかということだ。編集部が女性型ロボットキャラを登場させたいと考え、あえて『奈良県在住の小学4年生の読者からのアイデア』として発表したのではないか。このように考えれば、先に挙げた不自然な点の数々にも説明がつくが、あなたはどう考えるだろうか?」と問い掛けた。
これに対して中国のネットユーザーからは、「(筆者の意見が)気に入らないので、私は失礼するよ(笑)」「わあ、『ドラえもん』にはこんなにも多くの興味深い舞台裏の話があるとは、まさに魅力が尽きない作品だね」などのコメントが寄せられた。(翻訳・編集/岩田)