人権の女神スーチーは、悪魔になり果てたのか

6月12日(火)15時30分 ニューズウィーク日本版

<ロヒンギャ問題で世界から非難されるミャンマー民主化のシンボル——しかし彼女が置かれた状況と国の歴史を知るべきだ>

アイドルの賞味期限は短いものだが、それにしても・・・・・・。ミャンマー(ビルマ)の国家顧問で事実上の国家元首であり、かつては「ザ・レディ」と呼ばれて親しまれ、敬われたアウンサンスーチーのこのところの人気凋落ぶりはすさまじい。

非暴力で軍事政権に立ち向かい、長年の自宅軟禁にもめげず、1991年にはノーベル平和賞を贈られ、耐えに耐えて民主化を勝ち取った彼女だが、今はイスラム系少数民族ロヒンギャに対する非道な迫害に見て見ぬふりをしていると非難され、袋だたきに遭っている。ノーベル賞を剥奪しろという声まで上がった。

不当な批判だとは言うまい。しかしスーチーは極悪人ではない。彼女は政治家であり、政治の現実を見据えている。ミャンマーの民主主義は生まれたばかりで、まだよちよち歩き。しかも軍部が絶対的な拒否権を握っている。そんな国で、彼女は与えられた権限の範囲で自分のベストを尽くそうとしている。それだけのことだ。

だから彼女は、自分が代表しているはずの多数派勢力(ビルマ族の仏教徒たち)の利益を守ろうとし、そのためなら時には無慈悲に思える決断もし、少数民族の利益を犠牲にもする。遠く離れた安全な国にいて、結果を考慮せず、好き勝手にものを言える立場ではない。彼女はリスクに囲まれ、針のむしろに座らされている。

スーチーを弁護するつもりはない。私は彼女の柔軟性の欠如や政治姿勢を批判したことがあるし、政権与党の国民民主連盟(NLD)を無条件で支持しているわけでもない。しかし今の彼女に対する批判は不当であり、そうした批判をする人たちは彼女が直面している困難な状況を正しく理解していないのだと思う。

一見したところ、スーチー批判には明確な根拠があるように思える。ミャンマー西部ラカイン州のバングラデシュと国境を接する一帯に暮らすロヒンギャは、世界でもまれに見るほどに不運で孤立した人々。その窮状には誰もが胸を痛めている。しかしスーチーは16年から続く組織的な焼き打ちや殺害についてめったに語らず、「ロヒンギャ」という言葉さえ使わない。

16年の秋、ロヒンギャ内部の過激派による散発的なテロ行為を口実に、ミャンマー国軍と仏教徒の一部が残虐な報復攻撃を仕掛け、何十万ものロヒンギャが国境の川を越えてバングラデシュへ逃げ込んだ。この突然の人道危機に対して、国際的な人権擁護団体やNGO(非政府組織)、欧米のメディアなどはこぞって軍部を、そして暗にミャンマー政府を非難し、これは許し難い「民族浄化」だと言い募った。

イギリス統治下からの対立

批判の矢はスーチーにも向けられた。アンジェリーナ・ジョリーやボブ・ゲルドフ、ボノら人道問題「専門家」セレブたちはもとより、去る3月にはニューヨーク・タイムズ紙も社説で痛烈に非難した。



しかし、ロヒンギャの窮状は16年に突如始まった危機ではない。ミャンマーにおける仏教徒とイスラム教徒の対立は、19世紀前半のイギリス統治下で移民が奨励されるなどして、南アジアからイスラム系労働者が大量に流入したことに端を発する。先住のビルマ族は仏教徒で、新参のイスラム教徒を警戒した。そしてミャンマー(当時の国名はビルマ連邦)が独立した1948年以降、国内各地で断続的な衝突が起きている。

とりわけ深刻だったのがラカイン州だ。国内の他の地方と違って、もともとラカイン州にはイスラム教徒の住民が多く、少なくとも人口の3分の1を占めていた。そして彼らはロヒンギャと呼ばれていた(政府は彼らを少数民族とも国民とも認定せず、「不法移民のベンガル人」、あるいは「チッタゴン人のイスラム教徒」と呼ぶ)。

ミャンマーでは国民の9割ほどが仏教徒で、その最大勢力であるビルマ族は総人口の7割弱を占める。現地で長年にわたり仏教文化を育んできた彼らの目に、外来のイスラム教徒は植民地支配の落とし子と映る。誇り高き自分たちの国が外国に占領されていた暗黒時代に、統治者イギリスの「準パートナー」としてやって来たのがイスラム教徒だ——そういう受け止め方をしていたから、独立を回復してからのビルマ族とその指導者たちは、イスラム教徒を敵視しがちになった。62年のクーデターを機に軍部が実権を握ると、その傾向はさらに強まった。

軍政だけではない。仏教徒の過激派も「外国人」、とりわけ南アジアから来たイスラム教徒に対する敵意をむき出しにした。そしてイスラム教徒排斥の動きが最も顕著だったのがラカイン州。この州では50年代を皮切りに、70年代後半、90年代初頭、01〜02年、そして12年にも仏教徒によるイスラム教徒への組織的な攻撃が起きていた。そうした暴力の連鎖の末に、16年来の危機がある。

15年の総選挙を経て軍部と「和解」し、政権を掌握して以降のスーチーの行動(あるいは行動の欠如)には、こんな背景があったわけだ。

ミャンマーは多民族国家で、公認された民族だけでも135に上る。最大民族のビルマ族はスーチーの支持基盤であると同時に、国軍の中枢を占めてもいる。そしてロヒンギャという民族の存在そのものを否定したのは80年代の軍政であり、スーチーはその立場を引き継ぐしかなかった。

これらの事情は、ロヒンギャ危機をめぐるスーチーの対応を正当化するものでも、ましてや彼女に責任はないと主張するものでもない。ただ、彼女の打てる手は限られているという政治の現実を指摘したいだけだ。



08年の新憲法制定や15年の総選挙でのNLD圧勝が象徴するミャンマーの「開放」は極めてもろい。開かれた扉は、国軍の幹部たちがその気になれば、すぐにも固く閉ざされてしまいかねない。現に、昨年にはスーチーの側近だったイスラム教徒のコーニー法律顧問が何者かに暗殺されている。

「連邦」を守ることが最重要

スーチーに対する評価は分かれるだろうが、彼女が愚かだと考える人はほとんどいない。そして彼女は、ミャンマーの権力構造を嫌というほどよく分かっている。そしてジャーナリストのフランシス・ウェイドが指摘したように、これまで何十年にもわたって軍政を非難してきたミャンマーの民主派の多くが、一方ではロヒンギャに対する軍の強硬な対応を支持しているという事実を忘れてはならない。

新興の民主主義国には、しばしば大衆迎合的で超民族主義的な行動が見られるものだ。欧米の成熟した民主主義諸国の国民の目には、それは許し難く見苦しいものと映るだろう。ミャンマーにおけるイスラム教徒と仏教徒の長年にわたる争い(その到達点の1つがロヒンギャに対する残虐行為だ)は、その最たるものと言える。しかし何十年にもわたる軍事独裁からようやく解放されたばかりの、危なっかしい多民族国家にあっては、今の状態も驚くには当たらないのだ。

ロヒンギャ危機に対するスーチーの対応を評価するときには、こうした事情を全て考慮に入れる必要がある。彼女が民族主義者であり、国民の9割弱を占める仏教徒の1人であり、ビルマ族の出身だという事実を忘れないでほしい。「建国の父」と呼ばれた亡き父アウンサン将軍も仏教徒で民族主義者だった。そしてビルマ族系の仏教徒なら誰でも、この御し難い多民族国家の団結を守り抜こうと思っている。

ミャンマーの正式名は「ミャンマー連邦共和国」だが、今のこの国は「連邦」の体を成していない。スーチーがロヒンギャに手を差し伸べ、あるいはその名を口にするだけでも、今までの努力が水泡に帰す恐れがある。

スーチーの姿勢は、いくつかの点でアメリカ南北戦争の初期にエイブラハム・リンカーン大統領が奴隷解放に対して取った姿勢に近い。

リンカーンも共和党も1862年9月の奴隷解放宣言よりかなり早い時点から奴隷解放に向けて動いていたというのが、歴史学者の間では定説になりつつある。しかし奴隷解放宣言のちょうど1カ月前に、リンカーンは奴隷制廃止を訴える新聞編集者のホレイス・グリーリーに対し、戦争における「最重要の課題」は「奴隷制を守るか壊すかではなく、連邦(ユニオン)を守ること」だと書き送っている。



「個人的」には「あらゆる場所にいるあらゆる人間が自由になること」が望ましいとしながら、「私が奴隷制や有色人種に対してすることは全て、連邦を存続させるためだ」とリンカーンは書いた。「奴隷を解放しないで連邦を救えるのならば、私はそれでよい」ともつづっている。

言い換えるなら、リンカーンのような高潔の士も自分の力の限界を知っていた。目標を達成するためには、時に言葉を濁すことも必要だと理解していた。彼が黒人を自分と同等の、完全な権利を持つ市民と見なしていたかどうかは分からない。分かっているのは、機が熟すのを待って彼が奴隷解放を宣言した事実だけだ。

ラカイン州では12年6月にもロヒンギャの集落が焼き打ちに遭っている REUTERS

スーチーは自由に動けない

スーチーは、リンカーンではないが悪魔でもない。彼女がロヒンギャをどう思っているにせよ、ロヒンギャにもその他の民族にも暮らしやすいラカイン州をつくるには、社会の安定と経済発展が不可欠であり、そのためにはまずミャンマーが連邦国家として結束を固めなければならない。

もちろん、手遅れになる危険はある。だから世界、とりわけ欧米諸国はミャンマーに対するなけなしの影響力を行使してラカイン州に残るロヒンギャの人々を保護し、バングラデシュに逃れた難民の悲惨な生活を改善できるように働き掛けるべきだ。

現実には——悲しいことだが——大した成果は出ないだろう。東南アジア諸国の大半を動かしているのは理念ではなく利害であり、イスラム圏の諸国も、いくら国際社会が行動を促しても、本気でロヒンギャ救済に乗り出そうとはしていない。

諸外国にできることは、ミャンマーに形ばかりの経済制裁を加えることくらいだ。そして国際NGOには、現地の平和を維持する軍事力が欠けている。

25年前、欧米のリベラル派はアウンサンスーチーを普遍的な人権の守護者に祭り上げた。しかし現実の彼女は違っていた。彼女は仏教徒が大多数を占める国民国家ミャンマーで人権と民主主義を守ろうとしたのであり、そのために身をていして戦ってきた。

当時のスーチーは仏教徒でビルマ族の民族主義者だったし、今も仏教徒でビルマ族の民族主義者だ。

そんな彼女を批判する際には、好むと好まざるとにかかわらず、冷酷な現実を受け入れるべきだ。今のアウンサンスーチーには、ボノやニューヨーク・タイムズ紙の論説委員が思っているほどの自由はない。

From Foreign Policy Magazine


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[2018.6.12号掲載]
ピーター・コクラニス(歴史学者)

ニューズウィーク日本版

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