日本のファッション業界の移り変わりから中国のファッション業界が学べること—中国メディア

6月17日(月)7時50分 Record China

13日、東莞網商会は、日本のファッション業界の移り変わりから中国のファッション業界が学べることについて分析する記事を掲載した。資料写真。

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2019年6月13日、東莞網商会は、日本のファッション業界の移り変わりから中国のファッション業界が学べることについて分析する記事を掲載した。

記事は、ファッションというと欧州を連想する人は多いが、1980年代に最も注目されていたのは日本のファッションが世界の主流へと入っていったことだったと紹介。当時の日本のアパレル企業が「プル型生産方式」を導入したことと大きく関係していると論じた。

一方、現在の中国のファッション業界は、顧客ニーズの多様化、個性化に対応する必要があるものの、伝統的なアパレル企業は在庫率が高いが利益も高い「ハイリスク・ハイリターン」の営業モデルにとどまっていると指摘。その上で、日本のファッション業界の歴史について振り返り、そこから中国のファッション業界が学べる点を分析した。

まず、第2次大戦直後の日本は、食べていくのに精いっぱいだったためファッションと呼べるようなものはなく、「ただの衣服」だったものの、50年代の朝鮮戦争勃発後に日本経済が急速に成長し、人々もファッションに興味を持つようになったと指摘した。

60年代には生活レベルがさらに向上し、ファッションに対する興味も高くなり、市場が拡大。一部のアパレル企業は価格引き上げで企業規模を拡大していったが、これは2000〜2010年頃の中国と類似していると記事は分析している。

1970年代に入ると、日本国民のニーズがますます多様化し個性を追求するようになり、豊かな感性のブランドが登場してくると記事は紹介。「ISSEY MIYAKE」などのデザイナーによるブランドが次々と登場し、80年代に入ると「より高い感性の時代」となり、シーン別のファッションを重視するようになったと分析した。そして、今の中国では多くのブランドがまさに「高感性」の方向に向かって進化しているという。

ところが、日本では80年代末以降にバブルが崩壊し、高価格の商品が売れなくなったと指摘。富裕層がますます個性と多様性を追求するのに対し、中低所得者層もある程度の個性を追求するものの低価格を求めるため、日本のアパレル企業は「プル型生産方式」を導入したと分析した。これにより、販売数を最大限に伸ばし、在庫は最小限に抑えることができたと論じ、その典型的な例が「ユニクロ」だと紹介した。

そして、「日本のファッション業界にとって、高度経済成長の終わりが、必然的に消費者の意識をも変化させたといえる」と指摘。「今の中国は正反対で、経済は急成長しているが、人々の意識も急速に変化。日本では、以前は高品質でブランド力が高ければ売れていたが、今では価格も安くなければならない。消費者のファッションに対する感性や期待にも変化が生じている。中国もこのような変化が急速に訪れているため、ファッション業界が『プル型生産方式』を導入することは必然的な流れだ」と論じた。(翻訳・編集/山中)

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