日米貿易戦争が残した重要なヒント—中国メディア

6月19日(水)14時50分 Record China

17日、環球時報は、日米貿易戦争から中国が学べる点について、復旦大学日本研究中心青年副研究員である王広涛氏による分析を紹介した。写真はシアトル。

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2019年6月17日、環球時報は、日米貿易戦争から中国が学べる点について、復旦大学日本研究中心青年副研究員である王広涛(ワン・グアンタオ)氏による分析を紹介した。以下はその概要。

日米貿易摩擦は1950年代からすでに存在しており、80年代に集中的に勃発した。鉄鋼、自動車、紡績のほか、ハイテク技術にかかわる貿易摩擦も日米両国間の重要な問題点となった。米国はこの問題に対応するため、80年代に日本に対して全面的に何度も圧力を加えた。具体的には、通常の経済手段のほかに政治や金融などの手段も用いて総合的に圧力を加え、米国の覇者としての地位を守ってきた。

日米貿易戦争で最初に反映されたのは、両国間の貿易不均衡だ。米国が日本企業に経済制裁を加えるのは常とう手段で、74年に通商法301条が制定されてから、日本には冷戦時代に何度も調査を受けた。データによると、75〜95年の日本に対する「301条調査」は16回に上り、その多くは日本側が妥協している。

301条調査や通常の制裁で対日貿易赤字が解消されない中で、米国は貨幣金融などの分野でも日本に圧力を加えるようになった。85年にはプラザ合意を通して円高を強要し、その結果大幅な円高となって日本の経済と社会に深刻な影響を及ぼした。米国の当初の目的は、円高によって日本への輸出を増やし、同時に日本による米国への投資を促そうというものだったが、結果的には日本への輸出増は限定的で、日本による投資と買収が大幅に増加したため、米国民は心理的に日本に対する恐怖心が生まれ、貿易摩擦は悪循環に陥った。

マクロ経済的な観点からしても、米国からすると日本は成熟した自由市場国家ではなく、米国は日本の体制が貿易不均衡の原因だと考え、日本に対して内政干渉することで経済体制改革を行おうとした。89年の日米構造協議によって多くの分野で改革が行われ、農産品分野でも市場開放され、その後の米国品の大量輸出の基礎となった。

米国の日本に対する恐怖は、上述の構造的な要因以外に、当時の日米の技術差が縮小していたという事実も見逃せない。例えば、半導体分野では70年代に米国企業は世界で圧倒的なシェアを占めていたが、88年には36.5%にまで減少し、日本企業が51%を占めるようになっていた。

日本は90年代にバブル経済が崩壊し、長期にわたる衰退期に入ったが、これは日本内部の問題であると同時に、米国による圧力と制裁も外的要因となったことは無視できない。日米貿易摩擦は長く続いており、今でも貿易赤字問題は互いにけん制する構造的な問題となっている。80年代の貿易戦争は日本にとって「教訓」であると同時に、「現在進行形」でもある。

従って、米中貿易戦争も間違いなく持久戦となる。80年代の日米貿易戦争は、当時の米国の筋の通らない覇権を映し出すと同時に、日本がただ追随するだけのイエスマンだったことを映し出す鏡だ。

中国にとって、貿易戦争における米国の用いる常とう手段と傲慢(ごうまん)な態度は、警告を与えるものとなっている。日本に対する米国の圧力も、日本が消極的あるいは積極的に対応したことも、いずれも30年後の中国にとっては重要な意義がある。(翻訳・編集/山中)

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