見落とされている大震災後の医療体制

8月6日(火)6時0分 JBpress

ネパール・カトマンズ郊外で、地震で倒壊した家屋の近くで遊ぶ子どもたち(2015年5月20日撮影、資料写真)。(c)AFP/Ishara S.KODIKARA〔AFPBB News〕

 大災害が起こると多くの人が亡くなります。その際、死因は災害と関連する直接的な理由だけではありません。

 病気を抱える高齢者が避難による環境の変化やストレスで体調を崩し、また医療機関が閉鎖されるため適切な治療を受けることができず、糖尿病や高血圧などの持病が悪化することもあります。

 私が所属するNPO法人医療ガバナンス研究所は、東日本大震災以降、福島県の医療支援を継続していますが、被災地ではがん患者の治療が中断し、あるいは治療開始が遅れて、不利益を蒙ったことが少なくありません。

 これは日本に限った話ではありません。海外でも同じようなことが報告されています。しかしながら、報告の多くは高所得国のもので、中低所得国については十分な情報がありません。

 少し古くなりますが、2015年4月25日にネパールで起こった大地震で、がん治療がどのような影響を受けたかご紹介しましょう。

 この報告は、今年6月、英医学誌『BMJ Open』に掲載された論文の概要を紹介したものです(http://bmjopen.bmj.com/cgi/content/full/bmjopen-2018-026746)。


ネパール大震災

 まず、ネパール大震災の概要についてご紹介しましょう。2015年4月25日、ネパールのゴルカ地方中心部(図1赤×)においてマグニチュード7.8の地震が発生しました。さらに5月12日にはドラカ地方(図1黒×)でマグニチュード6以上の余震が続きました。

 2015年までに約9000人が死亡し、2万人が負傷、200万人が避難しました。さらに、地震で倒壊した医療保健機関は約1000に上り、多数の病院やクリニックが閉鎖を余儀なくされました。診療を継続できた医療機関はわずかでした。

 今回の地震で首都のカトマンズを含む周辺一帯東西150キロ、南北120キロに及ぶ断層が、最大で4.1メートル以上ずれたと報告されています。

 ネパールは地震大国です。インドプレートがユーラシアプレートに衝突して沈み込んでヒマラヤ山脈を形成しています。現在も年間に約5ミリほどの速度で隆起し続けています。このため、世界で地震活動が最も活発な地域の一つとされています。

 地震に慣れたネパール人といえども、今回の地震は想像を超えていたようです。友人のネパール人は「みんな驚いたと言っている」と言います。

 ただ、「お爺ちゃんや曾お爺ちゃんのときにも大きな地震があったらしい」と言います。それは1934年マグニチュード8.1の地震のことを指します。

 この地震から81年間、ネパールでは大地震はありませんでした。地震に弱いレンガ造りの建物が多く、今回の地震では甚大な被害を蒙りました。


トリブバン大学教育病院のがん治療

 私たちが調査した病院は、ネパールの首都カトマンズにあるトリブバン大学教育病院です。1983年に日本のJICAの支援の元で建築された最も歴史ある大学病院で、その医学部はネパールにおいて最難関です。

 トリブバン大学教育病院は震災により一部の建物が壊れ、インフラも障害されました。職員の中には家族が被災した人もいました。

 ところが、この病院に多くの患者が押し寄せました。ベッドが足りず、病院の建物外のコンクリートの路上や駐車場で患者が寝泊りしていました。

 当時病院で働いていた看護師は「まさに野戦状態でスタッフも大混乱でした」と言います。この看護師によると、重症患者に混じり、「緊急性のない患者も多く、トリアージが大変だった」そうです。

 結局、震災後の1週間で1700人の被災者を診療し、478件の緊急手術が行なわれました。

 では、がん患者はどうだったでしょう。震災前後2年間に3520人の患者が入院していました。私たちはその診療録を基に、入院患者数の推移とその居住地を調べました。

 調査の結果は興味深いものでした。震災直後の1か月は、震災前と比較して、がん患者の入院相対リスクが0.66(95%信頼区間0.43〜1.00)と有意に減少していました。

 その原因として、がんの診療より外傷などの救急医療を優先されたことが大きいと考えます。これは東日本大震災の被災地でも起こったことです。

 意外だったのは、2か月目以降、がん患者の入院が増加し、その傾向は2年間にわたり続いたことです。地震によって発癌のリスクが高まったわけではありません。被災地域から患者が押し寄せたのです。

 では、どのような地域から患者が来たのでしょうか。私たちは、入院患者の居住地を3つ(カトマンズ市、カトマンズ市外で震災の被害が特に大きかった地域、震災の被害が相対的に小さかった地域)に分けて調べました(図1)。

 これはネパール政府が定めた地震の被害による地域の分類を参考にしています。この分類によって復興予算や資源が配分されました。

 実は急増した患者の多くが震災の被害が相対的に小さかった地域から来ていました(図2)。このような地域の多くが、都市部から離れた田舎です。

 ネパールでは7割以上の人が農業などの一次産業に従事し、2割が観光などのサービス業に従事しています。この地域で暮らす人々のほとんどが経済的には豊かではありません。

 カトマンズ盆地の外側は険しい山岳地帯の山道であるため、トリブバン大学教育病院には車で2〜20時間かかります。

 震災後は地割れや土砂崩れで道路や橋が遮断されたので、さらに時間がかかります。空路もありますが、多くのネパール人は運賃が高いため利用しません。

 貧しい地方の人々が、自宅から遠いトリブバン大学教育病院までやって来たのでしょうか。論文を作成した当初は復興の遅れに地域差があり、医療へのアクセスを隔ててしまったのではないかと考察しました。

 しかしながら、今回の地震が地下直下型地震で、震源地から何百キロも離れた地域でありそれほどの被害がなかったことを考慮すると、現在は医師や看護師が不足したのではないかと考えています。

 災害が起こると、地方から医者がいなくなる? そんなことはありえるのでしょうか。実は、東日本大震災後の東北地方でも同じような現象が起こっています。

 例えば、福島県で、震災前の2010年12月末と震災後の2016年12月末で医師数を比較したところ、福島県の医師数は3705人から3720人と15人増加していました。

 東日本大震災・原発事故で大きな被害を蒙ったのは沿岸部の相双地区です。国を挙げて、支援がなされました。ところが、相双地区の医師数は236人から160人に76人も減っています。

 一方、福島市が含まれる県北2次医療圏は、1228人から1295人に67人も増加していました。福島県立医大が存在する福島市に限定すれば、979人から1059人へ80人も増えているのです。

 相双地区は原発事故後の強制避難の影響により、一部の病院は閉鎖されました。この地域の医師数の減少は、この要素を考慮する必要がありますが、福島市を中心とした県北2次医療圏の増加は顕著です。

 福島県全体で医師は増えていないのですから、周辺地域から集まってきたと考えられます。

 私は、これは日本の災害支援体制によるところが大きいと考えています。日本は医師不足です。厚労省は都道府県や大学医局と連携して、医師を計画的に配置することで、医師の偏在を是正しようとします。

 日本医師会などの抵抗、財政的な制約もあり、医師の総数を十分に増やし、有事に活躍する「予備役」のような存在を用意できていません。大災害が生じれば、他地域から医師が応援に行くので、どこかでしわ寄せが生じます。

 その際に注目すべきは、誰が「司令塔」になるかということです。皆さんは国が責任を持って対応すべきとお考えでしょう。ところが、実態はやや異なります。

 それは、我が国の行政システムが国、都道府県内、市町村という3層構造を取り、役割を分担しているからです。

 原発事故で汚染された地域の処理など巨大な事業は国が直轄します。しかし、そのような事業は少なく、多くの事業は都道府県内や市町村が担います。国の仕事は予算をつけることです。

 医療も例外ではありません。都道府県の権限が大きく、福島県は県庁と県立医大が実質的に差配しました。福島県立医大では様々な復興事業プロジェクトが林立し、役職ができ、福島県内からも医師が任命され、福島市内で医師が増加しました。

 大災害の復興の主役は行政です。私はネパールでも同じような事態が生じたと考えています。

 ネパールには大量の資金、支援物質、人材が流入しました。AFPによると、隣国の中国は300人の救助隊を派遣し、1000万ドル(約12億円)の支援を約束し、インドからは空軍兵士だけで950人を派遣し、ネパール各地に400トン超の援助物資を投下したそうです。

 今回の地震では首都カトマンズの近くが震源地でした。首都の復興は喫緊の課題です。命に関わる医療は最優先の課題です。多くの資金が投下されたでしょう。

 問題となるのは、医師や看護師のような専門家です。養成には時間がかかり、海外からの支援者だけには依存できません。特に経過の長い悪性腫瘍のような慢性疾患の専門家は国内に求めざるを得ません。

 このあたり福島で起こったことと全く同じです。詳細なデータは持ち合わせませんが、ネパールでは、地方からカトマンズに医師や看護師の移動が生じたと考えています。大災害が医師や看護師の偏在を悪化させたのです。

 福島との違いは、医師や看護師の数です。人口千人当たりの医師数はネパールは0.17、福島は1.94で10分の1程度 (世界保健機関=WHOの推奨する人口千人あたり2.3人)です。

 医師や看護師が異動し、地域医療が守れなくなったところもあるでしょう。患者は遠くの病院に受診せざるを得ません。こうやってカトマンズに地方からの患者が大量に集まったのではないでしょうか。


アナップ・ウプレティ医師

 今回の研究のネパール側の窓口はアナップ・ウプレティ医師でした。彼との信頼関係なしではできませんでした。

 私と彼の付き合いは学生時代に遡ります。私は途上国の医療に興味があり、様々な国を訪問していました。彼と出会ったのは、2014年、ネパールの西中部の山岳地帯チョウジャリ村です。

 この地域は1996年の毛沢東派のマオイストによるネパール内戦発端の地です。首都からのアクセスが過酷なため観光客は少なく、まさに秘境の地です。

 帰国後もSNSで連絡を取り合い、その後「日本で医療を学びたい」と頼まれ、日本への留学を手伝いました。詳述はしませんが、2015年には、共同研究をしている医師らが勤務する南相馬市立総合病院に短期留学しました。

 彼を心配して東京から様子を見に行った私に、彼は興奮した様子で言いました。「ここの先生たちは仕事中毒だよ。休まない。臨床の後には夜中まで論文を書いているよ」。

 今思うと、彼を筆頭に今回の論文を発表できたことは、まさにこの体験がきっかけでした。

 その後、私たちもネパールを訪問しました。ウプレティ医師から、彼が勤務するカトマンズのトリブバン大学教育病院の上司らを紹介してもらい、共同研究が始まりました。

 前述しましたが、トリブバン大学はネパールの最難関で、彼はその医学部を卒業し、現在は研修医として働いています。

 最近では300人いる研修医の代表として責任ある立場になりました。私たちはSNSやメールを用いて情報を交換し、日本とネパールにいながら、研究を進めてきました。


苦労したこと

 今回の研究を遂行するにあたり、多くの苦労がありました。ネパールの公立病院では、院内で使えるパソコン台数は限られるため、診療録のほとんどが紙カルテです。

 紙カルテは英語とネパール語が入り混ざり、劣化して判読不能な文字もあります。院内を案内してもらうと、山積みで整理しきれていないカルテが目についてしまい、カルテ調査は不可能かに思えていました。

 この状況を打破したのは尾崎章彦医師です。2017年3月にカトマンズのトリブバン大学教育病院を訪問し、共同研究の可能性について探りながら話し合いを重ねました。

 苦戦している状況でしたが、帰国の当日にも再度病院を訪問し、スタッフに聞き取りを行ったところ、診療のカルテとは別に事務方で管理している入退院の電子データがあることを知ったのです。

 この電子データは、震災前後4年間に入院した3500人程度のがん患者の診断名や基本属性のみが含まれていました。病院スタッフや他の共同研究者にとっては「そんなにシンプルなデータで調査できるのか」という驚きの発言がありました。

 尾崎医師は福島県浜通りにある病院で外科診療のかたわら、東日本大震災ががん患者の治療に及ぼした影響を調査してきました。そのような経験のある尾崎医師であるからこそ今回の調査結果につながったと思います。


おわりに

 今後は、今回の調査で、震災後にがん患者の入院が特に地方から増加したという結果の背景についての仮説を検証すべく、ネパールにある複数のがん病院での調査を予定しています。

 私たちは今後もウプレティ医師を中心にトリブバン大学教育病院の医師、看護師らと共同研究を続けていく予定です。現在3つの研究結果をまとめているところです。詳細については次回以降で説明します。

 私たちのネパールとの共同研究には、非常に多くの方にご協力をいただいています。関係者の皆様の支えに、この場を借りて改めて感謝申し上げます。

筆者:樋口 朝霞

JBpress

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