トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから

8月9日(金)6時0分 JBpress

「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」の展示中止に反発する人々(写真:AP/アフロ)

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 開幕3日目で中止となった「表現の不自由展 その後」で揺れる「あいちトリエンナーレ2019」。

 8月7日には「うちらネットワーク民がガソリン携行缶もって館へおじゃますんで」とファクスを送った犯人が検挙されました。他方で企画展示の中止に抗議する署名も2万人を超えるとも報じられています。

 日頃、「アート」に興味のない人も発言している様子で、メディアに乗る批評家のコメントなどが混乱を極める観があります。

 さて、こういうとき、芸術ガバナンスのプロが守るべき鉄則が一つあります。それは「価値中立的」であるということです。

 特定の表現を取り上げて良いとか悪いとかいう感想や主張を、ガバナーがしてはなりません。今回が3本目になりますが、私の記述も徹底して「価値中立的」であることにお気づきいただけると有難く思います。

 明らかに正面から対立する意見が国民、市民、納税者の間いだに見られる、これが客観的な事実であって、そこで確認されねばならないのはプロセス、本稿に即して要点を先に記すなら「帳簿と執行の決定経緯」を洗い直す必要があります。

 政府発表も「補助事業採択の経緯確認」とありました。補助金が関わるということは、つまり、帳簿が問われるということです。

 もし仮に、という話ですが、官費を原資とする芸術展の選考を、例えば飲酒しながら、何となく気分で決めていた、などという経緯があれば、当然是正される必要がある。当たり前のことを言っているのにすぎません。

 もしも、仮に、展示期間途中から、明らかに警備費用増額の恐れがあったり、防弾チョッキなどの必要があるとあらかじめ分かるコンテンツを意図的に含むようなことがあれば、当然ながら遡及的にその責任が追及されることになると思います。

 これは「芸術上の責任」でも「表現の自由」でもない、税を原資とする財務管理と安全な行事に責任を持つ職掌に問われる、全くドライでシビアな追求です。

 ツイッターなどで質問を受けたりもするなかで、前稿まで私が当然の前提にしていた事柄が、必ずしも読者と共有できていない可能性に気づきました。

 例えば「芸術監督」という職種は「芸術家」のそれではありません。

 その人(監督さん)の「作品」が展示されるとは限りません。もちろんアーチストが芸術監督を兼務して、自分の作品を含めたキュレーションを行うということはあり得ます。

 しかし、基本的にアーチストと芸術監督=アーティスティック・ディレクターは全く別の仕事です。でも、こんな入口で混乱している人も少なくないようです。まずそこから話を始めましょう。


芸術監督は「管理職」

「芸術監督」というのは「管理職」です。これに対して、アーチストはものづくりをする「職人」です。

 いろいろな現場には職人出身の管理職もいるでしょうし、現場を知らないキャリアがやって来ることもある。

 今回に関しては、現場経験のないホワイトカラーが、メイン・スポンサー・サイドから要請を受け、派遣されて着任という構図と思います。

 ちなみに私自身は畑違いですが、オペラの伴奏助手を振り出しに副指揮者などスタッフとして数年働いたのち、30歳前から芸術監督として公演全体の責任を持つようになった、ノンキャリの「職人」積み上げからスタートして、30代から「管理職」仕事にも、ここ四半世紀ほど携わっています。

 今回の「あいちトリエンナーレ」個別の契約詳細は分からないこともあり、ずれがありましたら謹んで修正しますが、以下極めて一般的に「芸術監督」とはどういう職掌であるか、基本から確認してみましょう。

「ひと・もの・かね」を掌握
「芸術監督」の絶大な権限

「芸術監督」は一般に、以下の3つに責任を持つ管理職です。あるアーティスティックなプロジェクトについて、芸術面から

1 予算の管理
2 進行の管理
3 リスクの管理

 これらに全責任を負い、管理する「マネジメント」の仕事、それが芸術監督の職掌です。

 個別の作品を作る「アーチスト」とは、明らかに別の仕事であることがお分かりいただけますか?

 今回の騒ぎは「企画展中止」という「計画変更」が、開会3日目で発生したというものです。「変更」があった場合、プロジェクト・マネジメントの観点から立ち戻るべき基本はどこにあるでしょう?

 とりわけ官費が関わる場合は「財務会計」が絶対的な答えになります。理由は明快、税金が原資だから使途が変更になったら改めてチェックされねばなりません。あらゆる役所がやっていることです。

 計画変更時点でいったん締めた「あいちトリエンナーレ」の財務会計・中間報告こそ、一番に共有されるべきと思います。


「表現の自由」は水かけ論にしかならない

 メディアでは「政治家がコンテンツの内容にクレームした」といった話題を目にしますが、そういうことでお茶が濁されてはいけない「あいちトリエンナーレ」の財務会計こそ、未来に禍根など残さないためにも、現場的には最大の問題だと私は思います。

 政治家の発言は、そもそもトリエンナーレの外の人たちの言うことであるのに加え、「税金を使って<慰安婦像>を展示していいか?」とか「公金で天皇を燃やす動画を映写するなどけしからん」といった批判はそもそも無理筋。

 つまり、愛知県知事も言う通り「違憲の可能性が非常に高い」話で、何ら決着など着くことはないでしょう。

 また「税金」と言いながら、スローガン以上定量的な議論に踏み込むものを目にしません。これでは意味がない。

 いったい、いくら税金から出しているのかを厳密に問うことから始めねばなりません。

「公的補助金はどれだけ?」「企業協賛金や広告収入等は??」「事前販売のチケット収入は???」

 そうした収入の部の具体と、逆に企画展示の「制作経費」から「広告費」などに至る支出の部、ここで確認される中には「芸術監督報酬」も含まれるでしょう。

 それらの金額をすべて隠れなく並べたうえで、変更後の計画を根拠をもって吟味し、公開情報として説明責任を果たすこと。

 すべて隠れなくガラス張りの明るみに示すのが、こうした事業を運営する1の1です。財務会計を透明にしなければなりません。


「計画変更」は、財務会計のチェックから

 先に「芸術監督」は「予算」「進行」と「リスク」を<管理>する、と書きましたが、別の表現を採るなら

Ⅰ 芸術的な観点から「予算の配分の権限を持つ」立場であり
Ⅱ 芸術的な観点から「制作進行決定の権限を持つ」立場であり、かつ
Ⅲ 芸術的な観点から「リスクに対処する権限を持つ」立場である

 ことにほかなりません。

 このうちⅢ、つまり危機管理に関しては、今回全くその職能を全うせず、そのため今回の事態を出来している。

 関係自治体、議会や地域納税者は、いったい何が起きていたのか、正体不明の水かけ論ではなく、数字とともに厳密なチェックを行うのが筋道です。

 これは企業でもどこでも同じ、当たり前のことで「芸術」だからと言っておかしな雲や霧で覆うことは許されません。

 職業芸術人はそういう現実をよく知っています。「アート」に曖昧な印象を持つ部外の人が、本来いちばん重要であるべき決定プロセスをいいかげんにスキップしている恐れがあれば、一点の曇りなく確認するのが1の1と思います。

 何らかの事業の「計画変更」があった場合、最初にチェックすべきものは「財務会計」。ない袖は振れないし、仮に収支見通しが変わってくれば、それこそさらなる「計画変更」が必要になるかもしれません。

 さて、報道に目を向けると、「企画展中止」に対していろいろ主観的な意見は出てくるのですが、官費で運営されるトリエンナーレの計画変更に当たって、マネジメントを帳簿からチェックし直すという一番シリアスな指摘はほとんど目にしない。

 数字がないまま「税金」がどうした、と文字だけ躍っても意味ありません。さらに「税金で<こんな作品を展示して>」などと言っても、それが<良い>とも<悪い>とも、白黒は決してつきません。

 互いに180度異なる意見で対立する人たちがいるとしても、いずれも納税者です、ガバナーは特定の納税者の肩を持ったりすることは決して許されない。

 価値中立的に判断するのが、芸術ガバナンスの公共性、その1の1であること。大事なポイントですから何度も繰り返して記します。本稿読了の暁には、何がプロフェショナルの仕事であるか、ご理解いただければと思います。

 大村愛知県知事が正確に指摘した通り「憲法違反の疑いが濃厚」になるだけで、まともな結論など永遠に出て来るわけがない。意味がないことはここでは捨象します。

 逆に、ただちにはっきり出るのが数字、財務です。今回、計画を変更したわけで、関連して明らかに(「電話」だけでも事務がパンクしてしまった様子などは報じられましたし、もし追加の警備などがあれば当然出費が伴うわけで)お金の動きがあるはずです。一般にこうしたコストは(余剰人件費であることが多く)決してバカになりません。

 さらに「襲撃予告」などが風評被害を生んでしまい、ファックスを送った犯人は逮捕されても、ことはこれでは終わらない。

 いや、逆で、京都アニメーション放火殺人事件で「方法」が周知されてしまった「ガソリン携行缶テロ」という手口の模倣犯が、仮に言葉だけの脅迫であっても出て来る可能性が現実になってしまった。

 パンドラの箱はすでに開いており、愛知県内の小中高等学校にガソリン放火との脅迫メールの事実も報道されています。すでに、全く洒落では済まない状況になっている。

 言うまでもなくトリエンナーレ全体の来場者数にも変化が出かねず、その場合は露骨に収支に直結するでしょう。

 夏休みだ、展覧会に行ってみようか・・・と思っていた家族連れが今回の騒ぎやコンテンツの悪評さらには、おかしな襲撃のうわさに続いて、「ガソリンだ」と称して警官によく分からない液体をかけた男が逮捕されたりすれば、

「やめとこっか」と二の足を踏んで全く不思議でない。

 こうしたイベントを役所サイドは「動員数」で測りたがります。税が原資ですから、より多くの納税者に楽しんで頂けた、という説明が一番分かりやすく疑念も挟まれない。

 これはまた入場料収入などにも直接跳ね返ってくる数字になります。

 そうしたデータに照らして、今明らかに座礁していているわけですから、どのように舵を取り直すか、データに即して合理的に検討し直さなければ、つまり無手勝流を繰り返すなら、同じ隘路に迷い込みかねないのが普通でしょう。


問われる財政規律

 非常に厳しいことを書いていると思われるかもしれません。しかし、実はこれ、日本全国の学術研究者が科学研究費などを受給する場合、例外なく問われるのと同じルールを記しています。

 官費の執行というのは、やや大げさに言えば「財政出動」ですから、その規律は会計検査院の水準で、ガチっと問われるのが普通のことです。

(そこに「アート」が紛れ込んでくると、おかしなことを言う人が元お役人などにも20年ほど前には実はいました。非常に由々しいことだと思っています)

 官費のプロジェクトで計画変更があった場合、最初に問われるのは「会計検査院ルール」でチェックに通る徹底した財政規律コントロールです。

 私もこの20年数来、莫大と言っても大げさではない時間を1円の狂いも許されないアカウンタビリティ・チェックに費やし、相当に神経をすり減らしてきました。

 一般にクリエーター、美術家や音楽家はこうした観点つまりマネジメント、経営収支といったものの見方が苦手です。私も国立大学教官などになる前は、官費執行がここまでうるさいとは知りませんでした。

 しかし大学に呼ばれる前から、オーケストラやオペラの指揮者=芸術監督の現場仕事では、常に数字を念頭に置く必要がありました。

 以下、イベントの「途中変更」がお金の観点で何を意味するか、分かりやすいと思うので、具体的に書いてみます。

 あるリハーサルでアンサンブルが<下手っぴー>なところが出てきたとしましょう。普通にあることです。

 そこで「追加練習を組む」という芸術上の決定を指揮台の上で下すとします。これが「計画の変更」。

 仕事の現場では「変更」は同時に、必要なリハーサル室の室料からアーチスト謝金の追加、場合により伴奏ピアニストの手配やその謝金、事務局の管理経費などすべて「出費の追加」を意味します。

 当然ながら財務会計チェックに相当するソロバンを頭の中で弾かねばなりません。「芸術監督」の<お金の管理>という仕事の分かりやすい一例を記してみました。

 あらゆる「変更」は「財政破綻につながるリスク」日々用心、備えよ常に、が芸術監督業の要諦です。

 これが仮に「客演指揮者」であれば、ギャラを貰って1回の本番があっておしまい、という仕事で、練習の追加発注の権限などは持っていません。

 あらゆる「変更」の折は、直ちに事務局とのシリアスな話し合いが始まります。プロフェッショナル同士の、値引きのない駆け引きの場です。

アニメのケースで:
高畑勲+宮崎駿ペアの分業

 もう一つ別の例で考えてみましょう。

 亡くなった高畑勲さんがアニメについて奇しくも言っておられましたが、作り手は良いものを惜しみなく追及した方がよい。お金の心配をしながら手心を加えるようなことは本来望ましいことではない。

 宮崎駿さんが監督でモノづくりに集中しているときには高畑勲さんが制作統括してお金の面倒を見る。逆に高畑さんがモノづくりするときは・・・という二人三脚は、よく知られていると思います。

「お金の心配」をするのが制作統括つまりプロデューサーの仕事ですが、美術展ではやや言葉遣いが混乱を招きやすい形になっています。

 すなわち「芸術監督」がアーチストサイドのプロデューサーで、スポンサー側では主催委員会のトップがプロデューサー、今回なら大村知事ということになります。

 大村知事はアートの中身には口も手も出しません。お金と進行、そしてリスクをきちんと管理します。

 これに対して芸術監督は、官費を含む予算を正しく執行して、芸術のオリンピックとして世界に問うべき独自のコンテンツ・ラインナップを作る<ひと・もの・かね>の「権限」を委譲されると同時に、適切な「進行管理」にも本来責任を負う立場になる。

 そこで、今回の事態はその心臓部の一つ「進行管理」に明らかな失態があった。

 さらにリスク管理にも「想定外の事態」を呼び込んでしまい、当然ながら想定外の出費がかさむ可能性がある。

「後になって計算してみたらこれくらい赤字が出ていた、それは地元住民の税で負担・・・」というようなことが許される話ではない。

 その都度、財務のチェックが基本で、「表現の自由」も「襲撃予告」対処も、それらを支える「後ろ盾」の予算がなければ話が始まりません。

「脅迫に表現の自由を圧殺させてよいのか?」という議論があります。

「脅しに屈することなく展示を続けてこそ表現の自由ではないか?」

 真に美しいマニフェストと思います。

 さて、この連載では「ベルリンの中心街、動物園前のヨーロッパ広場のクリスマス市無差別テロ殺人現場」で、脅しに屈することなくフェスティバルを開催し続けている事実を2016年の発生直後から幾度も取り上げています。

 それに一体、いくらかかっているか、ご認識でしょうか。本稿はベルリンで書いており、今日の現場の写真を後で取って続稿を記そうと思いますが、莫大な経費がかかっています。

 いま、はっきり言って素人が選んだ今回のトリエンナーレで、もっぱら安全性の観点から、「その継続のために、いったいいくらの警備費を上乗せすることが妥当か?」は、作品への好悪などと無関係に冷静に検討すべき財務のイシューです。

 赤字が出たらどうします?

 というかアクションすれば出費は100%増えます。名古屋市民や愛知県民の税金で追加補填するのですか?

 私は慎重であるべきと思います。芸術家の立場から、良心をもって断言します。警備の強化などを含む、あらゆる対策経費を念頭におく財務チェックを直ちに行う必要があるでしょう。

 それが芸術監督、芸術ガバナンスに携わる立場から第一になすべきこと、異論の余地などあり得ません。

「無い袖」は振れない。これはシビアな職業的経営判断です。お金の見通しの立たないこうした計画変更は、税金を原資とする官費投入の現場で許されることではありません。

 JBPressは元来イノベーション経済メディアで、私は「京アニ」や「トリエンナーレ」のコラムと前後して日英語で暗号資産の数理モデルなども議論しています(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57206)が、両者に透徹するのが「財政規律」など公共性という経済倫理の大原則にほかなりません。

 すべて財務とともに明確な説明が求められます。


磯崎新の「横浜トリエンナーレ」批判

 私が生まれて初めて芸術監督を務めたのは1993〜95年、28〜30歳のとき、福井県武生市主催の松平頼則作曲のオペラ「源氏物語」世界初演公演で、この職責を追いました。

 演出=渡邊守章(1933-)バレエ振付=厚木凡人(1936-)という還暦年配の先輩芸術家諸氏を前に、20代の駆け出し指揮者であった私は芸術監督として

1 予算の管理
2 進行の管理
3 リスクの管理

 という3つに責任を持ちました。

 仮に演出家が「歌手や役者を宙乗りさせたい」と主張したとき保険のかけ金など含め、必要経費がどれだけか、できるだけ早く正確に見積もってゴーサインなのか中止サインなのかを出さねばなりません。

(この時はそういう提案はありませんでした。しかし、後に「題名のない音楽会」の監督時代には、オーケストラの上をロックコンサートみたいにカメラをクレーンで舐めたい、というバラエティのプロダクションディレクターに、必要な「楽器保険」の金額を見せたところ、青くなって黙るといったやり取りはありました)

 武生の「源氏物語」では、還暦年配で親子ほども年の違う「偉い」演出家や振付家に、20代の駆け出しである私が「ノー」を言わせていただくこともありました。

 財務会計の権限を持っていたから、ない袖は振れないということです。

 それらは福井県武生市の議会を通過して承認、終了後も細かな会計検査があり、経理面のプロデューサー、生前の武満徹さんを支えたていた秋山晃男さんが胃を悪くしたのを思い出します。

 また20世紀から21世紀への変わり目の時期、「第一回横浜トリエンナーレ」の立ち上げ時にほんの少しだけコミットしかけました。

 当時、私は、横浜・井土ヶ谷に本拠を置く美術学校「Bゼミ」で音楽以外のアーチストを含む学生を教えており、また横浜在住の舞踏家・大野一雄さんと建築の磯崎新さん、作曲の先輩である一柳慧さんとのセッションも行っていたため、パブリック・オピニオンを集める会合などに数か月付き合ったのです。

「横浜トリエンナーレ」は桜木町から赤レンガ倉庫あたりのエリアを「アートで再開発」という自治体の文脈が背景にありました。

 都市再開発が関わりましたから、話はリアル・エステートが絡み、状況は錯雑を極めていました。

 ちょうど音楽実技教官として大学に着任直後でしたので、横浜市の担当課長Iさんに紹介されて、私は学内の工学部都市工学科で助教授を務めておられた北沢猛さん(1953-2009)に「町おこし」の観点から「横浜トリエンナーレ」計画の横顔を教えていただきました。

 北沢さんは10年前、50代半ばで惜しくも急逝されましたが、横浜育ちで、東京大学工学部都市工学科卒業後、横浜市に入庁、企画調整局都市デザインチームメンバーから都市計画局都市デザイン室長まで歴任ののち、母校出身学科に助教授で着任、後進の指導に当たりながら全国各地自治体の都市デザインアドバイザーとして活躍された方です。

 北沢さんから伺う計画は、当たり前ですが、値引きなしの公共事業であるとともに、あらゆる種類のリスク対策が話の9割がたを占めていました。

 この時期、建築の磯崎新さんは、本家本元のヴェネチア・ビエンナーレで建築の「金獅子賞」(1996)などを得ており、日本館のコミッショナーなども務めていました。

 その際、磯崎さんは横浜でのトリエンナーレに極めて冷ややかでした。以下、詳細は記しませんが、「音楽の助教授」として何ほどか期待されたかもしれない、この取り組みと、私は距離を置きました。

 前稿まで「あいちトリエンナーレ」の現状に示した私なりの見解は、主として「横浜トリエンナーレ」にまつわる北沢猛さんと磯崎新さんの観点を前提に、自分の文責で記したものです。

 磯崎さんがヴェネチア・ビエンナーレで最初に責任を持った1996年、私はアーティスト・レジデンシ—で磯崎夫妻(当時のパートナーは彫刻の故・宮脇愛子さん)や作曲の高橋悠治さんと米国フロリダ州のアトランティック・センター・オヴ・アートで50日ほど一緒に生活しました。

 このとき、磯崎さんのオリンピック批判やビエンナーレ批判を連日聞かされ、こうした問題をそれ以後考える原点を移譲してもらったと思っています。

 つまるところ、今回の「あいち」は、磯崎さんなどが「ビエンナーレ」「トリエンナーレ」で問うてきた水準の入り口に達していない。

「批判」の射程が短すぎる。

 芸術が困難な社会の現状を逆照射し、厳しい現実を突きつける、というようなとき、いま俎上に上がっている程度の議論(「やばい」「炎上」などの表現が端的に示してしまったもの)は、はっきり言って浅すぎる。

 皮相な「政治」(未満)のレベルにとどまり、芸術の出発点に立てていない。もしそうでないというなら、どうして「表現の不自由展 その後」の<全体>を十把ひとからげに中止、などという乱暴を「芸術監督の立場」でできるだろうか?

 会場の安全管理責任者、という立場では可能なことです。愛知県知事はそれを判断する責任がある。

 芸術監督であれば、担当キュレータ—と緊密に打ち合わせながら、脅迫の対象になっていない他の作品の一つひとつ、その作家のひとりひとりに配慮した対案を、仮に形だけであったとしても、一度は卓上に提案するのが、当たり前の義務になります。

 もちろん担当キュレータは抵抗するでしょう。一人の作家も欠けてはならない・・・それが芸術をキュレートする1の1というものです。激しいせめぎ合いに、当然なのですが・・・そうしたことが、今回の経緯で、どの程度あったのか?

 いま目にしている、こういう措置を「連座制」といいます。一族郎党、全員問答無用で撫で切りという最悪の権力者の振る舞い、江戸町奉行並みな「成文法以前」の「お裁き」で、一つの企画展に含まれるアーティストも作品も、全部一蹴してしまった。

 私は、一芸術人の観点から、こういうことは許されるべきではないと思います。今日の社会で普通に芸術に責任を追う人は、こういう無法な判断を決して下さないし、下せません。

 くれぐれも、安全管理のため、企画展全体を留保するのは、行政として当然の判断です。それはセキュリティという別の物差しでみているから。

 しかし、いやしくもアートの立場であるならば、作品も作家も十把ひとからげ、頭ごなしに「中止」と通告する芸術のガバナンスはあり得ません。これは芸術監督業では、ない。

 たかだか「この企画が一番政治的にやばい」程度であれば、素人の手なぐさみにしかなっていない。

 多分、多くの美術家はこうしたことをまだ発言しにくいと思います。美術にしがらみの少ない楽隊として「王様は裸」と記し、建設的な観点からまともな展開を期待したいと思います。

 現状は「まとも」とは言い難い。

 まだ70日ほどの会期を残す「あいちトリエンナーレ」が「まとも」な軌跡を描くかどうかは、財政規律のチェックに始まる普通に厳密な「まとも」へのギア・チェンジに始まり、「芸術に襟を正す姿勢」を取れるか、あるいは取れず仕舞いで終わるかに懸かっているでしょう。

筆者:伊東 乾

JBpress

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