サウジの地政学リスクを織り込んでいない原油市場

8月16日(金)6時0分 JBpress

イエメン南部の港湾都市アデンで暫定政権派と衝突したイエメン南部独立派(2019年8月10日、写真:ロイター/アフロ)

写真を拡大

(藤 和彦:経済産業研究所 上席研究員)

 米WTI原油先物価格は、需要に対する懸念から1バレル=50ドル割れ寸前まで下落した後、OPECなどの追加減産への期待から同50ドル台半ばまで上昇している。

 まず供給面から見てみよう。

 ロイターによれば、OPEC(加盟14カ国)の7月の原油生産量は前月比28万バレル減の日量2942万バレルと8年ぶりの低水準となった。サウジアラビアの生産量は16万バレル減の日量965万バレルになったほか、イランやベネズエラの生産量も減少した。減産に合意した11カ国の減産遵守率は163%と高水準を維持している。

 OPECとロシアをはじめとする非OPEC産油国(OPECプラス)は来年(2020年)3月まで日量120万バレルの協調減産に合意しているが、国際エネルギー機関(IEA)によれば、OPECプラスの7月の実際の減産量は日量142万バレルと目標を2割上回っている。

 OPECプラスは原油価格上昇のために懸命な努力を続けているが、これに「水」を差しているのは米国である。

 8月1日、トランプ米大統領がツイッターで「3000億ドル相当の中国からの輸入品に9月から10%の追加関税を課す」ことを発表し、5日には米財務省が24年ぶりに中国を「為替操作国」に認定した。

 認定による制裁措置は今のところ明らかになっていないが、トランプ大統領は2016年の大統領選で「45%の関税を課す」と述べていた。6月末の米中両首脳の会談を経て貿易協議が従来の軌道に戻るとされていたが、7月以降進展がなかったことから、米国は8月に入り中国に再び圧力を強め始めたのである。米中両国の原油需要は世界全体の35%に相当することから、8月7日のWTI原油先物価格は1バレル=50.52ドルと1月中旬以来7カ月ぶりの安値となった。


余剰傾向が続く米国の原油市場

 各国別の需要動向を見てみると、世界最大の原油需要国である米国ではエネルギー需要がピークを迎える夏季にもかかわらず原油在庫が増加し始めている。WTI原油と北海ブレント原油の価格差は昨年7月以来の低水準になったことから、米国産原油の輸出量が減少する一方、輸入量が増加しているのが主な要因である。ドライブシーズンが終わる秋以降は原油の不需要期となることから、原油在庫が再び増加傾向となる可能性が高い。

 米国の原油生産量は、メキシコ湾に襲来した熱帯性暴風雨の影響が薄らいだことから日量1230万バレルと過去最高(同1240万バレル)に迫る水準にまで回復したが、米エネルギー省は6日「熱帯性暴風雨の影響から今年の米原油生産量は日量1227万バレルとなる」と先月の予想(同1239万バレル)から下方修正した。

 主要7地域の9月のシェールオイル生産量は日量877万バレルと過去最高を更新する見込みだが、資金繰りに苦しむシェール企業が増加していることから、安価で簡単に生産できる掘削済みの未完成の井戸(DUC)による生産の比率が高まっており、今年のシェールオイル生産量の伸びは昨年の半分にまで落ち込むとの見方もある(8月7日付OILPRICE)。

 エクソンモービルやシェブロンなどの米石油大手企業がシェールオイル生産で主要なプレーヤーになりつつあることから、シェールオイル産業全体の低油価に対する耐性は高まっているが、WTI原油価格が1バレル=50ドル割れすると利益率が大幅に悪くなるとの指摘がある。足元の米国の原油市場は余剰傾向が続いているが、原油価格の下落による米国の原油生産の停滞で市場のセンチメントが変わりうることに留意すべきである。


伸び悩む世界の原油需要

 次に世界最大の原油輸入国となった中国だが、7月の原油輸入量は日量966万バレルで前月に比べて微増であり、今年4月のピーク(日量1068万バレル)から減少傾向が続いている。7月の工業生産が10年半ぶりの低水準になるなど今後中国の原油需要が大幅に増加する可能性は低くなっている。

「第2の中国」と期待されているインドの原油需要にも赤信号が点滅している。インフラ金融大手の経営悪化がノンバンク業界の自動車ローンの減少を招き、新車販売に急ブレーキをかけている(8月9日付日本経済新聞)からだ。

 6月の乗用車の販売台数は8カ月連続で減少、7月は前年比31%減となるなど自動車業界は過去20年間で最悪の不況に見舞われているが、早期の回復は期待薄である(8月4日付ロイター)。GDPの7%以上を占め、3500万人以上の雇用を創出するインド経済の屋台骨である自動車産業が苦境に陥れば、同国の原油需要が低迷するのは当然である。

 IEAは9日、「1月から5月までの世界の原油需要の増加は前年の約半分(日量52万バレル)となり2008年以降で最も低い伸びにとどまった」と指摘したが、世界最大の独立系石油取引会社のヴィトル(Vitol)は「今年の世界の原油需要は日量60〜65万バレル増にとどまる」と予測している(8月7日付OILPRICE)。

 市場関係者の間では「米国の制裁の影響でイラン国内に滞留した1.1億ドル以上の原油が世界市場に流れ出すのは時間の問題であり、原油市場が供給過剰が深まる」との認識も高まっている(7月30日付OILPRICE)。


弱気相場入りに慌てたサウジアラビア

 中国やインドなどアジアの原油需要に敏感に反応する北海ブレント原油価格は4月の高値から2割超下落し8月6日に弱気相場入りした(1バレル=50ドル台後半で推移)。これに慌てたのがサウジアラビアである。

 サウジアラビア政府は、今年の第2四半期以降自国の原油生産量を減産合意(日量1031万バレル)を大きく下回る水準(同1000万バレル未満)に設定してきたが、8日、「他の産油国と電話で政策対応の可能性を議論した」ことを明らかにした。

 サウジアラビア政府の当局者はさらに「8月と9月の原油輸出量を日量700万バレル以下に抑える」との意向を明らかにした。だが、輸出削減策だけでは供給過剰気味の世界の原油市場の状況を変えることはできない。


UAEとサウジアラビアが決定的対立へ

 船舶保険料が20倍になる(8月5日付日本経済新聞)など原油輸送費が上昇を続けているが、8月以降は西側諸国向けタンカーなどへの襲撃は起こっていないことから、市場は中東の地政学リスクに反応しなくなっている。

 しかし中東地域で今後大きな地殻変動を起きる兆しが出てきている。

 米国が結成を進めている「湾岸の自由航行のための有志連合(有志連合)」について、7月29日に韓国、8月5日に英国が参加を表明したが、湾岸産油国で参加を表明しているのはバーレーンのみである。イランとの対立で前面に立っていたサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)は沈黙を保ったままである。

 サウジアラビアは有志連合への参加を表明していないものの、7月に自国で米軍と共同訓練を実施し、8月上旬にワシントンを訪問したファリハ・エネルギー産業鉱物資源相が米国のペリー・エネルギー長官との間で、有事の際の世界の原油市場の安定化について協議するなど二国間協力を進めている。

 だがUAEは有志連合への参加や米国との二国間協力の動きを示していない。むしろ仇敵であるイランへの歩み寄りを見せ始めている。7月30日、UAEの湾岸警備当局者はイランを訪問し、違法な航行や漁業権、ホルムズ海峡の通過など広範な課題について意見を交わした(8月6日付日本経済新聞)。イランとの経済・金融面でのつながりが強いドバイを擁するUAEにとってイランとの緊張がこれまで以上に高まることは避けたいからなのだろう。

 8月6日、駐UAE中国大使が「ペルシャ湾の状況が危険な場合、中国海軍が中国商船を護衛する。中国は米国の有志連合への参加を前向きに検討する」と驚きの発言をした(8月7日付ロイター)が、7月下旬に中国を訪問したUAEのムハンマド皇太子が中国がペルシャ湾で積極的な役割を果たすよう働きかけたことがその背景にあるとの分析がある。

 強固な同盟関係を誇ってきたサウジアラビアとUAEだが、「すきま風」から一気に両国の決定的な対立へと発展しかねない事態がイエメンで発生した。8月10日、UAEが支援してきたイエメンの分離・独立派の「南部暫定評議会(STC)」が、サウジアラビアが支援する暫定政権と、南部の港湾都市アデンで衝突し、大統領宮殿を制圧するなど主要軍事拠点であるアデンの実効支配を開始したのだ。

 UAEはサウジアラビアの要請にもかかわらずイエメンから自国軍を撤収したばかりだが、UAEとサウジアラビアの代理戦争が勃発する事態となっている。UAEのムハンマド皇太子は12日、サウジアラビアのサルマン国王と会談するなど事態の沈静化に乗り出しているが、両国関係がこれにより一気に悪化することが懸念される。


膨れ上がるサウジアラビアの財政赤字

 サウジアラビアは、イランが支援しているとされるイエメンの反政府武装組織フーシ派による攻撃に手を焼き、同国南部の安全保障環境は悪化するばかりである。

 フーシ派は8月1日、ペルシャ湾に面する重要軍事拠点ダンマームに対して新型の長距離射程の弾道ミサイル攻撃を実施するとともに、サウジアラビア南部には3日にナジュランとジャザーンで15カ所の重要拠点を占拠し、8日、10日、12日にドローン攻撃を実施したとされている。

 フーシ派に対する反撃などで軍事費が膨らんだことから、サウジアラビアの財政赤字は第2四半期までに約90億ドルに達した(昨年の財政赤字は約50億ドル)。

 8月5日、サルマン国王の実弟であるアフマド元内相(ロンドン在住)がサウジアラビア政府の外交方針を公然と非難したように、ムハンマド皇太子の失策に対する王族内の不満が高まっているが、これを抑える手段は「カネ」しかない。8月9日、「国営石油会社サウジアラムコが来年初めに新規株式公開(IPO)を計画している」と報じられたが、原油生産量を減少させても原油価格が一向に上昇しない状態に直面したサウジアラビア政府にとって最後の資金調達手段はサウジアラムコのIPOしかなかったのではないだろうか。

「泥縄」で始めたサウジアラムコ上場が成功する鍵は原油価格次第である。原油価格の上昇には「サウジアラビアの地政学リスク」が有効なのは言うまでもないが、このシナリオはサウジアラビアだけでなく国際社会にとっても最悪と言わざるを得ない。

筆者:藤 和彦

JBpress

「原油」をもっと詳しく

「原油」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ