映画の町ハリウッド誕生秘話

8月16日(金)6時0分 JBpress

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』公開前のフォトコール 出演者ら和気あいあい。Chris Delmas / AFP〔AFPBB News〕

 クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)が、今月末、日本で公開となる。

 すでに米国でタランティーノ作品最高のオープニング成績を収めるヒットとなっている最新作の舞台は1969年のハリウッド。

 レオナルド・ディカプリオ演じる架空の主人公と、ロマン・ポランスキー、シャロン・テート、スティーヴ・マックィーン、ブルース・リーといった実在の大物映画人との「昔々、ハリウッド」での虚実織り交ぜた物語である。

 その背景などについては日本公開後ご紹介することにして、しばらく、この作品同様、映画自身が描いた「昔々、ハリウッド」での物語を、眺めていきたいと思う。

 まずは、レンタルビデオ店に勤務していたタランティーノ同様の根っからの映画マニアで、映画評論家から監督へと転じたピーター・ボグダノヴィッチのコメディ『ニッケルオデオン』(1976)から。

 映画愛あふれる物語は、こんなキャプションから始まる。

「Moving Pictures」始まりの頃、大手製作会社は弱小相手に競うつもりはなかった
「Patents Company」をつくり、小者を押さえこもうとしたのである

 20世紀初頭の映画界は、特許を多数もつ発明王トーマス・エジソンが、競争相手を次々と提訴する状況にあった。

 そして、1908年、エジソン・スタジオ、バイオグラフ・スタジオをはじめとする「大会社」が、「Motion Picture Patents Company(MPPC)」なるトラストを組んだ。

 加盟会社以外は、権利金を支払わなければ、製作も配給もできない取り決めで、「小者」にとって大きな負担となった。

 米国政府は、MPPCは、1890年制定のシャーマン反トラスト法に抵触すると考えた。

 セオドア・ルーズベルト大統領が、1904年の北部証券会社を皮切りに、「Trustbuster(トラスト征伐者)」となり、続くウィリアム・タフト大統領も熱心だった頃のこと。

 とはいえ、初めは大産業ではない映画までは手が届かなかったのだが、1913年1月、反トラスト法に基づき解散を請求、MPPCに対し訴訟を起こすことになる。

1910年シカゴ

主人公の弁護士ハリガンは、独立系の「キネグラフ」社長コッブに、パテント側のスパイと間違えられるが、弁護士としての仕事を得ようと話すうち、脚本家として雇われることになる。

一方、ニューヨークでは、もう一人の主人公、衣装屋のバックが、小金稼ぎにやって来たパン屋で、ドイツ系移民の秘密の独立系オフィスが急襲される場に遭遇、頑丈そうな身体を見込まれ、パテント側に雇われる。

 映画産業は東部の大都市から始まった。中心は一にニューヨーク、二にシカゴ。

 そして、大会社は、「Film Pirates」「Blanket Company」と呼ばれる独立系会社を「取り締まる」ためには荒っぽいやり方も辞さず、乱闘、拳銃沙汰も、頻繁に起こっていた。

「カリフォルニアの撮影隊から、もう3週間、1フィートたりともフィルムを受け取っていない。監督は物語がないと言う。決めた、君が行け、10の物語を持って」

こうして、ハリガンがカリフォルニアに向かうことになった・・・

 独立系は、大都市での圧力から逃れるため、撮影地を遠く南カリフォルニアの地に求めた。

 当時は、太陽光線に頼りっきりの撮影。雨量も少なく、晴天続きの南カリフォルニアは最適の地でもあった。東部より人件費が安い利点もあった。

カリフォルニアに着いたハリガン。しかし、迎えはおらず、不愛想な少女アリスの愛犬に噛みつかれる始末。監督は給与を持ち逃げしており、ハリガンは監督まですることになる。

「監督なんて誰にでもできる」と言うカメラマンに監督のやり方を聞き、ハリガンは「それがグリフィスのしてること?僕にもできそう」と撮影を進めてていく・・・

『ニッケルオデオン』には、至る所、「D・W・グリフィス」の名が出てくる。

 のちに「アメリカ映画の父」と呼ばれることになるデヴィッド・ウォーク・グリフィスは、はじめ俳優として舞台に立ち、1908年、脚本を持ち込んだバイオグラフで監督となり、5年後に去るまで、500本近い作品を製作。1910年当時、パテント側のバイオグラフ一の仕事ぶりだった。

 ボグダノヴィッチは、『ニッケルオデオン』製作時、アラン・ドワンとラオール・ウォルシュ、2人の大先輩から聞いた「実話」を参考にしたという。

 グリフィスのもと映画製作に参加、サイレント映画時代からカラー映画の時代まで数多くの作品を手がけた名監督たちである。

撮影地に到着したバックが銃をぶっ放し、撮影の邪魔をする
そして始まるハリガンとバックの殴り合いは延々と続く

最後、ハリガンは「ルックスが気に入った」と、バックを主演俳優に迎える
1年後、2人に共通の知り合いキャサリンと遭遇、ヒロイン役となった

アリスはシェイクスピアを翻案しストーリーをつくる
チームとなったハリガンたちは、列車、気球、ダチョウなどを使い、撮影の「ドタバタ劇」が展開していく・・・

 話の展開が場当たり的、ご都合主義なのも、動きが大仰なのも、「陳腐な」ギャグも、初期のサイレント映画の雰囲気そのもの。

 この頃の米国映画は「動き」を主体とした10分ほどの「1巻もの」が大半。乗り物、動物などの「動き」を使った追っかけ喜劇が盛況で、「見世物」としての性格が強かった。

1913年 クリスマスイヴ

「たったの5セントだよ、ショーが嫌いでも大丈夫、たった15分だ」

初めてロサンゼルスの街にやって来たハリガンたちは、そんな呼び込みのいるこじんまりした「劇場」に入って行く

 初め映画は、1セントで遊べるゲームを並べた「ペニー・アーケード」と呼ばれる移民をターゲットとした施設の一角で上映されていた。

 1905年、ペンシルベニアで専門の映画館がオープン。入場料は5セントで、5セント硬貨の俗称「ニッケル」と劇場を意味するギリシャ語「オデオン」から「ニッケルオデオン」と呼ばれるようになった。

 英語のよく分からない移民でもサイレント映画は娯楽となり得た。初期には状況や心理を説明する字幕もついていなかったのである。

 オペラや舞台は庶民には料金が高すぎた。

 映画は、演劇の大衆化に一役かう一方、上流の人々はお世辞にも環境が良いとは言えない「ニッケルオデオン」を敬遠した。

パテント側の劇場のはずなのに、上映の始まった映画の冒頭、コッブとキネグラフの名が出る。

そして、映し出されたのが、編集され全く違う作品となった自分たちの撮った映像。

あっけにとられる面々。「話がつながらない。だけどカネにはつながる」。観客にはウケているのである・・・

 ここでは、パテント側の劇場が、子供が持ち込んだ「海賊フィルム」をたびたび上映している設定となっているが、パテント側は、特許料もあり豊富な資金を背景に、配給網を次々吸収、この頃、ニッケルオデオンの半数以上を傘下に収めていた。

ハリガンたちがニッケルオデオンを出ると、観客たちが後をつけてくる
逃げようとする彼らに、観客たちが聞く「名前は?」

「バック・グリーンウェイ」「キャサリン・クック」

そして「会った証拠に何かください」と身に着けているものを競うように剥ぎ取る・・・

 当初、出演者自身「スター」という認識はなかった。

 そもそも、数日おきに入れ替わるおびただしい数の短編映画に出演する俳優の名は、映画に表示されていなかった。映画は演劇より劣るもの、との認識は、出演者自身にもあった。

 ところが、1910年、セントルイスの新聞が「元女優フロレンス・ロレンス電車事故で死亡」との記事を載せたことから状況は変わった。

 その「ニュース」は、ロレンスを大手のバイオグラフから引き抜いた独立系会社のカール・レムリ(のちのユニバーサル社長)が売り出しのため仕組んだ「誤報」だった。

 そして、それまで単に「バイオフラフ・ガール」などという呼び名だったロレンスは注目され、「米国映画のスター第1号」となるのである。

10本の作品がカットされ繋がれ短縮され意味もない一本の映画になっている現実を目の当たりにし、ハリガンは怒り、クリスマスパーティの中、コッブに作品を編集しないよう求める

コッブは即答、「君たちは皆クビ」

それでも「Atlantic Pictures Studio」にヘッドハンティングされ、ハリガンたちは近くの「ハリウッド」という名も知らぬ地に行くことになる

 最初にハリウッドの地で撮られた映画は、パテント側のバイオグラフ社の一員グリフィス監督による『In Old California』 (1910)だった。

 そして最初にハリウッドの地に撮影所が建ったのは1911年10月のこと。1913年頃から撮影所は次々と建てられ、15年3月には、レムリが「ユニバーサル・シティ」と呼ばれる大規模な撮影所都市を建設。映画の都は瞬く間に発展していく。

意志に反する仕事でこき使われるハリガンたち

早撮りを要求するアトランティックの社主は、ハリガンの「Half-Breed Kid」の脚本は長すぎると批判、「インディアンの話ではなく、娯楽が欲しい」と言われ、キレたハリガンはここもクビ・・・

 ボグダノヴィッチがその話を参考にしたというアラン・ドワンには1916年の監督作、グリフィス製作の『The Half-Breed』がある。

 『快男児』(1915)でブレイクしたばかりの、のちに「The King of Hollywood」とまで呼ばれるダグラス・フェアバンクスが先住民の血をひく主人公を演じた西部劇である。

 カリフォルニアの砂漠地帯は西部劇にも絶好。カリフォルニアが州になったのが1850年、国勢局が「フロンティア消滅」を宣言したのが1890年で、20世紀初頭は、まだまだ西部劇のドラマが現在進行形の頃でもあった。

(サム・ペキンパー監督の傑作西部劇『ワイルドバンチ』(1969)の舞台は1913年である)

自力で長編西部劇「Half-Breed Kid」の撮影を野外ロケで続けるハリガンたち

しかし、ハリガンとぶつかりバックが去っていく。さらに反トラスト派に機材が持ち去られ、チームも分裂。役者もスタッフも機材も失い失望するハリガンにアリスは言う

「私はどう?観客はメアリー・ピックフォードのような少女が好みでしょ」

「ピックフォードは20歳だぞ」「そう、私はもっと若いわ」

「最初のスター」になるロレンスが去った後、「バイオグラフガール」と呼ばれていたメアリー・ピックフォードは、やがて「America’s Sweetheart」と呼ばれる大スターとなる。

 そして、ピックフォードと肩を並べる世界的人気を誇るドル箱スターが、「連続活劇の女王(Queen of the Serials)」パール・ホワイトだった。

 そんなホワイトの半生を描く『ポーリンの冒険』(1947)はこんなキャプションから始まる。

ポーリンは再び死の危機から逃れられるのか?

「ポーリンの危機」は金曜日劇場で

30年前、パール・ホワイト演じる我々のヒロイン、ポーリンは毎週毎週切り抜けたのです

 1914年に始まる、自らスタントもこなす美貌の持ち主ホワイト演じるポーリンの次の危機見たさに、毎週毎週、観客がニッケルオデオンに詰めかけた。

 1エピソード20分(2巻)ほどの『ポーリンの危機』は日本でも大人気、この「Cliff-hanger」テクニックによるストーリーとスターの魅力で、「連続活劇」は映画への大衆の興味を刺激した。

 一方、輸入される欧州映画には、9巻の『クオ・ヴァディス』(1912)、12巻の『カビリア』(1914)のような大作もあった。

 欧州映画は創生期から文学や演劇など伝統文化に連なる形で発展、米国映画は質の上で後れをとっていた。

 そんななか、バイオグラフを退社したグリフィスが、映画を芸術の域に、と考え、12巻の大作を生み出すことになる。

1915年2月8日

グリフィスの新作の大劇場での試写会にやってきた面々
バックもキャサリンも声援をあびている。アリスもだ。

彼らは名前を呼ばれる「スター」となっている

大劇場でフルオーケストラの演奏が始まり上映開始。効果音も加えられる。見入る観客たち。そして万雷の拍手。挨拶に現れるグリフィス・・・

 クローズアップ、クロスカッティング、フェイドインフェイドアウト、カットバック・・・当時の米国映画としては破格の長編は、映画の可能性と方向性を示した。

 のちに多くの名匠がその影響を口にする映画史に名をのこす傑作『国民の創生』(1915)の誕生である。

映画を見終わり、ハリガンたちを見つけたコッブがまくしたてる。

「今夜の大作は業界を変える。「Blanket Company」が作るんだ。とめるものはない。ニッケルオデオンの時代は終わった。新しい時代の到来だ。大作、大劇場の時代が。今夜のは15巻だぞ」

「12巻よ」
「お前の脚本は?」

「4、5巻」
「7巻にしろ。私は大作がほしいのだ。稼ぎは倍にするぞ」

 3年近く続いた法廷闘争は、1915年10月、政府側が勝利し、Motion Picture Patents Company(MPPC)は解散を命じられた。

 この時の勝者たる独立派は、フォックス、ユニバーサル、パラマウントといったその後の大会社の前身。「Film Pirates」のなかから新時代のリーダーが生まれていくのである。

 そして、その大半がドイツ、ポーランド、ハンガリー、ロシアなどからのユダヤ系移民だった。

「トラスト戦争」の中で、ハリウッド、スターシステム、長編映画が生み出された。

 そして、第1次世界大戦で欧州の映画製作が大打撃を受け、直接戦場とならなかった米国は「一人勝ち」。

 終戦直後のハリウッドには、70を超える映画会社の撮影所があり、世界の映画の8割近くが製作されるようになっていた。

 こうして、ユダヤ系移民たちの築いた映画の都で、映画産業は急速に拡大していくのである。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1413) ニッケルオデオン(1414) ポーリンの冒険(207) (再)国民の創生

1413.ニッケルオデオン Nickelodeon 1976年米国映画

(監督)ピーター・ボグダノヴィッチ
(出演)ライアン・オニール、テータム・オニール、バート・レイノルズ、ブライアン・キース

 1910年代前半、ハリウッド創生期をバックに、大会社の圧力を受けながらも、映画製作に情熱を注ぐ独立系映画人の姿を、『ラストショー』(1971)などのピーター・ボグダノヴィッチ監督が、『ペーパームーン』(1973)同様、ライアン・オニール、テータム・オニール父娘を主演に迎え描くサイレント映画へのオマージュあふれる一作。

1414.ポーリンの冒険 The perils of Pauline 1947年米国映画

(監督)ジョージ・マーシャル
(出演)ベティ・ハットン、ジョン・ランド

「連続活劇の女王」と呼ばれたパール・ホワイトの半生を虚実織り交ぜ『アニーよ銃を撮れ』(1950)などのベティ・ハットンが演じる、『腰抜け千両役者』(1950)などのジョージ・マーシャル監督によるハリウッドの舞台裏も見せる一作。

(再)207. 国民の創生 The birth of a nation 1915年米国映画

(監督)D・W・グリフィス
(出演)リリアン・ギッシュ

 南北戦争、リンカーン大統領暗殺、奴隷解放といった史実を、北部・南部、2つの名家の物語として、グリフィス監督が映画史を変えるさまざまな手法を使い描く大作。

 トーマス・ディクソンの「クランスマン」を原作とし、南軍軍人の父のもと、ケンタッキーの農場に生まれたグリフィスが描く物語は、白人至上主義団体KKKの描写が人種差別的との批判も強く、その社会的評価に影を投げかけている。

筆者:竹野 敏貴

JBpress

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