罪深きスキャンダルの都ハリウッドを守れ

8月29日(木)6時0分 JBpress

8月26日、東京でのプレミア上映に駆けつけた俳優のレオナルド・デカプリオ(写真:AP/アフロ)

写真を拡大

 8月30日から日本でも公開となるレオナルド・ディカプリオ主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)。

 クエンティン・タランティーノ監督の描く「昔々ハリウッドで」の物語は、いつもほど血まみれではなく、日本でのレイティングは「PG12」だが、タランティーノ作品「らしく」、その暴力とセックス描写、そして飛び交う卑語から、米国では「R」指定となっている。

 米国の「Rating」制度は、あくまでも子供が観るのに適した映画かどうか、親が判断する助けとするもので、連邦政府の法の拘束があるわけではない。

 1968年、「the Motion Picture Association of America(MPAA)」により始められて以来、変更を繰り返しながら続けられている。

 それ以前は、「ヘイズ・コード」「プロダクション・コード」なる自主規制があり、ハリウッド映画の表現には多くのしばりがあった。

 どうしても「検閲」というイメージが先行するが、もともとはスキャンダルまみれの映画産業が、国の検閲下に置かれないための予防策。

 1922年、「the Motion Picture Producers and Distributors of America(MPPDA)」(1945年MPAAに改称)の設立に始まる。

 100年ほど前の米国は、第1次世界大戦後、ウォレン・ハーディングが「常態に復す(Normalcy)」ことを掲げ大統領に当選して以来、3期続く共和党政権が、「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」とよばれる経済が未曾有の発展を遂げる社会を演出していた。

 世界の富が集中、「常態」をはるかに超えた「開放」と「高揚感」が人々の価値観を大きく変えた時代だった。

 そんな「狂騒の20年代」の空気を今にまで伝えるのが1922年夏のニューヨーク郊外ロングアイランドの架空の地を舞台としたF・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレートギャツビー」。

 今まで何度か映画化され、2013年にはディカプリオが、1974年にはロバート・レッドフォードが主人公ジェイ・ギャツビーを演じ(ともに邦題は『華麗なるギャツビー』)ている。

 ディカプリオ版は音楽など現代的感覚がブレンドされているから、時代の雰囲気を直に感じるならレッドフォード版かもしれない。

 イェール大学卒業後、第1次世界大戦に従軍、戦後、ウォール街で働くようになった物語の語り手でもあるニックは、夜な夜な豪勢なパーティを繰り広げる隣人、謎の富豪ギャツビーと心を通わせるようになり、その生い立ち故の心に秘めた思いを知ることになる・・・。

 どう生きていくべきか「迷い(lost)」、その虚無感をまぎらわすため、享楽を求め続ける「Lost Generation(失われた世代)」の物語は、ギャツビーが、「ブラックソックス・スキャンダル」として知られる1919年ワールドシリーズでシカゴ・ホワイトソックスの選手が起こした八百長事件を知人の賭博師が仕組んだと語るなど、当時の様々な事件、風潮や、自らの経験をもブレンドした米国文学を代表する一篇である。

「戦争を終わらせるための戦争」という理想主義的スローガンのもと戦場へと向かった多くの若者たちは想像だにしなかった恐怖を体験し、喪失感(lost)を味わったことへの反動があった。

 プロテスタンティズム的道徳律と伝統を外れ、平均的米国人が富と贅沢を求め、刹那の享楽に走る「狂騒の20年代」。

 庶民でも買えるラジオのスポーツ放送が広大な国を結びつけ、大量生産で手の届く存在となった「T型フォード」が街にあふれ、次々と超高層ビルが建ち、家庭には掃除機や冷蔵庫・・・新たなテクノロジーが、大量消費社会を促進し、購買意欲、カネ儲けへの欲望が駆り立てられた経済的繁栄の時代だった。

 それは、「禁酒法修正条項」と「女性参政権」、2つの憲法「修正条項」が変えた社会でもあった。

 禁酒法下でも酒は望まれ、「スピークイージー」と呼ばれるもぐり酒場で、普通の市民が平然と法を破り酒を飲み、ジャズを聴き、チャールストンダンスに明け暮れ、ギャングたちは莫大な収入源を得た。そこには女性たちの姿もあった。

 そんな変化を体現していたのが、「グレートギャツビー」の登場人物の一人、ゴルファーのジョーダン・ベイカー。

 「Time」誌表紙を飾った初の女性アスリートで「Fairway Flapper」と呼ばれたイーディス・カミングスがモデルだという。

 膝上丈のスカートをはき、おかっぱ頭で、上腕部を露出、派手なメイクをし、スピークイージーでジャズを聴き、酒を飲み、たばこを吸い、性について語り、車を運転する。

 そんな時代を象徴するライフスタイルの女性たちは「フラッパー(Flapper)」と呼ばれた。

 そして、そのイメージを、全米に広めたのが、1920年製作の映画『The Flapper』 だった。

 そのフラッパーを演じたオリーヴ・トーマスは、「America’s Sweetheart」と呼ばれた大スターメアリー・ピックフォードの弟で人気俳優のジャックの妻でもある人気女優。

 ところが、9月、パリの高級ホテルで急死してしまう。塩化水銀を誤って大量摂取したことによる事故死とされたが、タブロイド紙などは自殺や殺人、麻薬との関係など、あることないこと書きたて、ハリウッド初の「セレブの死」による大スキャンダルとなった。

 そんなフラッパーたち憧れの男性スターが、エキゾチックなセックスアピールが魅力の「Latin Lover」「Great Lover」ルドルフ・ヴァレンティノ。ロマンチックな役柄で「Perfect Lover」と呼ばれたウォーレス・リードと双璧の人気スターだった。

 ケン・ラッセル監督がその半生を描いた『バレンチノ』(1977)にも、1921年、新作映画でヴァレンティノが演じるエキゾチシズムあふれる主人公に見入る女性たちの姿が映し出されるが、フラッパーのお相手、いわばその男性版は、その映画から「シーク」と呼ばれた。

 その映画『シーク』(1921)公開の頃、ハリウッドは、次なる大スキャンダルに揺れていた。

「Fatty(デブ君)」の愛称で人気の喜劇俳優ロスコー・アーバックルが、女優ヴァージニア・ラッペが性的暴行を受けたうえ膀胱破裂による腹膜炎で死亡した事件の容疑者となっていたのである。

 禁酒法の時代に、カネを湯水の如く使い、酒とドラッグにおぼれる乱痴気騒ぎ「ワイルドパーティ」のなか起きた惨劇はセンセーショナルに報じられ、映画界への視線は厳しいものになった。

 結局、アーバックルは証拠不十分で無罪となり、いまでも真相は不明だが、この事件は、アーバックルの俳優生命を事実上断っただけでなく、映画界そのものまで変えていくことになる。

 当時、連邦政府による映画の検閲はなかったが、いくつかの州では独自に検閲が行われていた。

 ハリウッドの「Sin City(罪深き街)」とのイメージは広がり、宗教団体などから連邦政府による映画の検閲を求める声が次第に強くなっていく。

 そんななかの1922年1月、ハリウッドのイメージを浄化し、映画産業を保護しようと、「the Motion Picture Producers and Distributors of America(MPPDA)」が設立され、外部からの映画検閲の代わりに公開前の自主規制を行うことが企図される。

 会長には、共和党全国委員会会長を前年までつとめ、ハーディングの大統領選挙運動を推し進め、郵政長官の地位にあった、ウィル・H・ヘイズが就任。長老派教会の執事(Deacon)でもある保守政治家への期待は大きかった。

「ブラックソックス・スキャンダル」で窮地にあったメジャーリーグ(MLB)のイメージをクリーンなものにするため、元連邦地裁判事ケネソー・マウンテン・ランディスがコミッショナーに就任し、大ナタを振るったことにならい「Screen Landis」とも呼ばれた。

 そして、映画で描くのを避けるべきことを挙げた「The Formula」、さらに1927年には、言葉、ドラッグ、犯罪など、「Don’t」「Be Careful」なことをより具体的にリストアップするなど、政策を推し進めていったが、連邦政府による検閲を求める声を消し去るには不十分だった。

 そんな間にもハリウッドではさらなるスキャンダルが起きていた。

 アーバックルの公判中の1922年2月、メアリー・ピックフォードやウォーレス・リードの作品も手がけた監督ウィリアム・デズモンド・テイラーの死体が発見されたのである。

 テイラーの「派手な」女性関係が取り沙汰された。しかし、より世間の興味をひいたのは、容疑者の一人メーベル・ノーマンド。

 人気は下火気味だったが、アーバックルやチャールズ・チャップリンの作品にたびたび登場し、自らのスタジオ、製作会社ももつ大物喜劇女優であり監督だったノーマンドは、チャップリンの半生を描く『チャーリー』(1992)にも駆け出し当時の実力者として登場している。

 そのノーマンドが麻薬依存で、その生活から脱け出すのを助けようとするテイラーと親密な関係となっていたことが世に知れわたるようになったのである。

 さらに1923年1月には、ヴァレンティノと人気を二分する人気俳優ウォーレス・リードが、事故の大怪我のあと、処方されたモルヒネの中毒から抜け切れず、死亡している。

 スキャンダルはまだまだ続く。

「1924年11月、サンディエゴ行のヨットのパーティで、ハリウッドコニュニティの人物が謎の死を遂げる。しかし報道も警察もノーアクション。他の14名の乗客たちも誰一人尋問されなかった。当時も今もこの出来事の証拠は何一つない。これから示すのは、よく語られる噂の一つである」

「船の所有者はウィリアム・ランドルフ・ハースト・・・」

 こんなナレーションから始まる『ブロンドと柩の謎』(2001)は、のちに名作映画『市民ケーン』(1941)のモデルともなるメディア王ハーストのヨットで起きたトマス・ハーパー・インスの死の謎に迫る。

 インスは、「最初の映画プロデューサー」と言われた映画界の大物。

 台本を共同で書き、配下の監督に台本通り演出させ、自らの指揮で編集もするスーパーバイザー的存在として、「プロデューサー・システム」、分業化を早くから始めた人物だった。

 死因は心不全とされたが、憶測、噂が飛び交った。

 インスは、当時、財政難にあえぎ、ハーストと提携することを模索していたことや、ヨットに同乗していたハーストの公然の愛人だった女優マリオン・デイヴィスがチャップリンとの仲を噂されていたことなど、様々な話から導かれた一つの仮説をもとに描いたのが『ブロンドと柩の謎』。

 その監督は前回コラムで紹介した『ニッケルオデオン』(1976)のピーター・ボグダノヴィッチなのだが、そのボグダノヴィッチ自身、1980年、付き合っていた元プレイメイトの新進女優ドロシー・ストラットンが惨殺されるスキャンダラスな悲劇を経験している(事件はボブ・フォッシー監督が『スター80』(1983)として映画化)。

「『巴里の女性』は絶賛したんですよ。だけどヒットしないなんて。それでも大丈夫、次の『黄金狂時代』はいい感じなようですし。何でもすごく製作費をかけてるんですってね」

『ブロンドと柩の謎』の続くシーンで、ヨットへと向かうチャップリンに、ハースト系の新聞に記事を書いているゴシップジャーナリスト、ルアナ・パーソンズがこんな話をしている。

 チャップリンは、大手の制約を嫌い自由な創作を進めようと、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィスと、1919年、ユナイテッド・アーティスツ(UA)を設立。

 そこでの自身の最初の作品『巴里の女性』(1923)は、批評家の評価は高かったものの商業的に失敗。そして、続く『黄金狂時代』(1925)を当時撮影中だったのである。

 チャップリンは、この年、ブランクから復帰したばかりのヴァレンティノと交渉を始めており、翌年、ヴァレンティノはUA作品に出演することになる。

 そして、その第1作『荒鷲』(1925)は、しばらく続いた不調を脱し、批評家の評判は上々。続く『熱砂の舞』(原題はthe son of sheik)も大成功、2作はヴァレンティノの代表作となった。

 しかし、ここにも死の悲劇が待っていた。

『熱砂の舞』公開から間もない1926年8月、胃潰瘍による穿孔性腹膜炎で手術したヴァレンティノが、術後の経過が思わしくなく、31歳で急死したのである。

 葬儀には8万人ものファンが集まり、後追い自殺まであったという。その様子は映画『バレンチノ』冒頭に描かれている。

 そんなヴァレンティノとよく似た名のサイレント映画の大物俳優ジョージ・ヴァレンティンが主人公の『アーティスト』(2011)は、1927年、大成功の新作プレミアでの駆け出しの女優ペピーとのちょっとした出会いが描かれ、始まる。そして、1929年。

映画の「音」の未来を語るスタジオ幹部の話にも、笑って流し、去っていくジョージ。

しかし、実際には、声が出なくなる悪夢にうなされていた。
そして、スタジオはサイレント映画製作の全面中止を決定。

ジョージは、自ら製作監督も兼ね、サイレント映画を作ることにする。
一方のペピーはトーキーで主演女優に。

2人の新作の公開日は同じ10月25日・・・

「外国人」のルドルフ・ヴァレンティノは、トーキーが出現する前年、他界しており、もし生きていたら・・・とはよく言われることである。

 悪声、訛り、イメージとの乖離・・・実際、「声」「音」が原因で、多くのスターが映画界を去っていった。

 移行期に問題を抱えていたのは俳優だけではない。

 サウンドステージ、機材、劇場の音響システム・・・。映画会社自体、サウンドシステムへの投資費用がかさみ、財政的に苦しくなっていたのである。

 それでも、「狂騒の20年代」の社会では、規制の緩い市場で株価が上昇し続け、国民は信用取引で株を、クレジットでモノを買い、身の丈以上の生活を続けており、貯蓄など微々たるものだった。

そして10月29日
ニューヨーク株式市場大暴落

ジョージの新作はコケ、ペピーの新作は大ヒット
失意のジョージは生活のため家財をオークションにかける・・・

「狂騒の20年代」は終わった。

 多くの銀行が破綻、庶民は生活に窮し、恐慌の時代へ突入する。

 トーキーへの移行と不況のダブルパンチに映画界はさらなる苦境に立たされた。何としても、客の入る映画が必要だった。

 そんな激動の時代に、野心に燃える若き実業家ハワード・ヒューズは大作映画製作に打ち込んでいた。

 ディカプリオがヒューズを演じたマーティン・スコセッシ監督の『アビエイター』(2004)は、その幼少期の描写に始まり、空前の製作費と2年以上の歳月をかけ、第1次世界大戦のパイロットたちを描いた『地獄の天使』(1930)が完成していくさまを映し出す。

「株価の暴落 パイロット3人の死 400万ドルをかけた超大作が完成」

人々が群がる豪勢な『地獄の天使』のプレミアに、ヒロインに大抜擢されたジーン・ハーロウを従え現れたヒューズは、大スクリーンを見つめ、感激の涙を流す。映画は大評判・・・

 当初、『地獄の天使』のヒロイン役は、グレタ・ニッセンが演じていたが、途中、作品をトーキーで撮り直したため、ニッセンのノルウェイ訛りが問題となり、急遽代役として、無名のハーロウが選ばれた。

 ハーロウは、プレミアのシーンで、「プラチナブロンドとグラマラスなスタイルで必ずスターになるでしょう」と描写されているが、やがて、クラーク・ゲーブルと『紅塵』(1932)など6本共演するなど、1930年代を代表するスターとなる。

 そして、メイ・ウェストなどとともに「セックスシンボル」的存在だった。

 言葉もしぐさも、様々な「性表現」が、集客の手段となった。

 アルコールの問題や夫の自殺、といった「スキャンダラス」な印象のあるハーロウだが、その生い立ち、そして何よりも26歳での早世と、恵まれない人生だった。

 後年のマリリン・モンロー同様、誤解も多いが、様々なランキングで上位に位置する映画史に残る女優だった。

 ヒューズは多くの女優と浮名を流した。映画ではその一人、デビュー早々1933年にアカデミー主演女優賞を獲得、のちにさらに3度獲得する名優となるキャサリン・ヘプバーンとの関係が描かれるが、そのゴルフ場での初デートでこんな話をしている。

「『暗黒街の顔役』は暴力的ね」
「現実的さ」
「映画は映画よ。現実とは違うわ」

 ヒューズは、ハワード・ホークスを監督に起用、アル・カポネをモデルとした『暗黒街の顔役(原題は「Scarface」)』(1931)を製作した。

 1931年、現実社会では、カポネの裁判が行われていた。

 1933年から34年にかけては、「民衆の敵No.1」とされながら、その手口から義賊的イメージのある銀行強盗ジョン・デリンジャーのニュースが、新聞をにぎわせていた。

 確かに、ギャングがいる世界は現実だった。

 そして、「セレブ」的扱いの犯罪者、という問題も大きく、ギャング映画がブームとなっていることへの懸念は大きかった。

 MPPDAは、暴力などに加え、犯罪者に同情的な描写を避けるよう、ヒューズに要求した。

『暗黒街の顔役』は、内容やセリフなどの変更が繰り返され、エンディングも現在ソフト化されているものと別のものが存在、ハリウッドで最も検閲を受けた作品の一つと言われているこの映画の完成はずいぶんと遅れた。

 それでも、大恐慌下、映画界は客が入る映画を求め続けた。

 大恐慌の実像が見て取れる『飢ゆるアメリカ』(1933)のような「リアリズム」も一つの手だった。そこにはセットにかける製作費が安く上がるという利点もあった。

 ミュージカルも多く製作された。「音」という新要素を、楽しい音楽映画による現実逃避と、スターの顔見世で魅せる「レビュー」映画が量産された。

 1930年、カトリックの学者や出版業者などが議論検討し「プロダクション・コード」が作られたものの、映画スタジオは積極的でなく、『暗黒街の顔役』のようなこともあったが、実効性は低かった。

 しかし、1934年になって、カトリック団体「the Roman Catholic National Legion of Decency」による独自のレイティング、「不道徳な映画」のボイコット運動が、プロテスタントも加わり、広がりを見せるようになると、スタジオも本腰を入れざるを得なくなった。

 連邦政府の検閲を恐れ、7月、ヘイズは、カトリックのジョゼフ・ブリーンをMPPDAの新たなパート「Production Code Administration(PCA)」のヘッドに任命。

 決定された「プロダクション・コード」は、その在任期間の終わる1954年まで、米国映画を厳しく規定し続けた。

 それでも、ヒューズは抵抗、『ならず者』(1943)の主演女優ジェーン・ラッセルの描写が議論の的となっているさまを『アビエイター』は映し出す。

「これほど容認できない映画を初めて見た。胸ばかりが映っている」

許可をしない旨、ジョゼフ・ブリーンが語る

ヒューズは、数学者を使い、ジェーン・ラッセルの写真を、過去許可が出ていた映画のジーン・ハーロウなどの写真と比べ反論する・・・

 結局、カットしたり、配給会社が下りたり、議論が紛糾したり、1941年に完成していた作品は、43年に限定公開ののち、46年ようやく通常公開されている。

 こうした例はあったとはいえ、映画人は「プロダクション・コード」に従い、撮った。

 映画が音を持ち、コード規制が厳格に成されるまでの1920年代末から34年までの映画の中には、『暗黒街の顔役』『紅塵』のように、その後しばらく、スクリーンに映し出されることのない様々な表現がみられるものがあり、「Pre-Code film」と呼ばれ、歴史の証人となっている。

 そして、そうした表現のある様々なハリウッド映画がみられるようになるには、「New Hollywood」と呼ばれる1960年代後半、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の舞台となった頃まで待たなければならないのである。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(738) (再)華麗なるギャツビー(1415) バレンチノ(590) (再)シーク
(1416) ブロンドと柩の謎(695) (再)アーティスト(1417) アビエイター

(再)738.華麗なるギャツビー The Great Gatsby 2013年オーストラリア・米国映画

(監督)バズ・ラーマン
(出演)レオナルド・ディカプリオ、キャリー・マリガン、トビー・マグワイア

 米国文学史上最高作との声もあるF・スコット・フィッツジェラルド原作の5度目の映画化。

 最初の映画化は、小説発表の翌年、まだ「ジャズ・エイジ」さなかに、ワーナー・バクスター主演で撮られた『或る男の一生』であるが、今、その作品を見ることはできない。

 2度目は『シェーン』(1953)で知られるアラン・ラッドがギャツビーを演じた『暗黒街の巨頭』(1949)。

 3度目がロバート・レッドフォードの『華麗なるギャツビー』(1974)。どれも原題は「The Great Gatsby」で同じ。

 そして、ギャツビーを演じた俳優も、本作のディカプリオとほぼ同年齢の30代半ばだった。

(ただし、4回目の映画化作であるテレビ用映画で、ギャツビーを演じたトビー・スティーブンスは少々若かった)

1415.バレンチノ Valentino 1977年米国映画

(監督)ケン・ラッセル
(出演)ルドルフ・ヌレエフ、ミシェル・フィリップス、レスリー・キャロン

 1920年代、米国のセックスシンボルとなった俳優ルドルフ・ヴァレンティノをソ連生まれのバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが演じ、『恋人たちの曲/悲愴』(1970)『トミー』(1975)『リストマニア』(1976)など、独特の世界を描き続けるケン・ラッセル監督が描く半生記。

(再)590. シーク The Sheik 1921年米国映画

(監督)ジョージ・メルフォード
(出演)ルドルフ・ヴァレンティノ、アグネス・エイアース

 束縛を嫌いサハラ砂漠へとやって来た英国女性ダイアナは、ある日、アラブの族長に捕らえられてしまう。必死に逃げ出そうとするダイアナだったが・・・。

 当時、米国を席捲していたオリエンタリズム・ブームの時流にのり、エキゾチックな容姿がうけセックスシンボルへとヴァレンティノを押し上げた作品。

1416.ブロンドと柩の謎 The Cat’s Meow 2001年ドイツ・英国・米国映画

(監督)ピーター・ボグダノヴィッチ
(出演)キルスティン・ダンスト、エドワード・ハーマン、エディー・イザード

 メディア王ウィリアム・ランドルフ・ハーストのヨットでの映画プロデューサー、トマス・ハーパー・インスの謎に包まれた死を、一つの仮説に基づき、『ニッケルオデオン』(1976)のピーター・ボグダノヴィッチ監督が描く、チャップリン、マリオン・デイヴィスなど、映画ネタ満載の一作。

(再)695.アーティスト 2011年フランス映画

(監督)ミシェル・アザナヴィシウス
(出演)ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ、ジョン・グッドマン

 サイレント映画の大スターと新進女優の立場が逆転していく姿を映し出しながら、サイレントからトーキーへと移り変わるハリウッドを描き出すアカデミー賞やゴールデングローブ賞など多くの賞で作品賞や監督賞、男優賞といった主要部門を独占した映画愛にあふれるモノクロサイレント映画。

 1929年5月発表された第1回アカデミー賞以来のサイレント映画の作品賞受賞作である。

1417.アビエイター The Aviator 2004年米国映画

(監督)マーティン・スコセッシ
(出演)レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット、ケイト・ベッキンセイル
(音楽)ハワード・ショア

 大富豪として知られる実業家ハワード・ヒューズの強迫神経症に悩まされながらも航空機と映画にかけた人生を、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)『ディパーテッド』(2006)など同様のスコセッシ監督、ディカプリオ主演で描く大作。

筆者:竹野 敏貴

JBpress

「ハリウッド」をもっと詳しく

「ハリウッド」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ