サムスン、自動車を売って電装品強化できるか?

9月2日(木)6時0分 JBpress

 サムスングループが韓国の自動車メーカー、ルノーサムスンの保有株を売却するとの方針を明らかにした。

 韓国の産業界では、「サムスンと自動車」への関心が再び高まっている。

「ルノーサムスン自動車の持ち株19.9%分の売却を進めている」

 2021年8月19日、グループ会社のサムスンカードはこう発表した。


2000年から合弁方式で運営

 ルノーサムスンは、釜山に工場を持つ完成車メーカーで、仏ルノーが80.04%、サムスンカードが19.9%、持ち株会が0.06%を保有している。

 2000年にルノーが、事実上倒産していたサムスン自動車を買収してから合弁方式で運営してきた。

 発足してから20年を超えて、韓国内では、「サムスン側が保有株を売却して合弁を解消する」との見方が出ていたため、驚きの声は強くはない。

 ルノーサムスンは「サムスン」のブランド使用料として韓国内での売上高の0.8%を、ブランド使用権を持つサムスン電子とサムスン物産に支払ってきた。

 ところが、サムスン側は、2020年8月にブランド使用契約を延長せず、「2年間の猶予」することでサムスンとルノーが合意していた。

 契約満了で2022年には、社名から「サムスン」が消えることが決まっていた。

 サムスン側で出資していたのが、メーカーではないサムスンカードであることでも分かるように、サムスン側はルノーサムスンの経営はルノーに任せていた。

 サムスン側は、ブランド使用料や配当を得てはいた。

 サムスンカードが得た配当金だけでも一時は年間300億ウォン(1円=11ウォン)を超えていたが、そのために今後も株式を保有し続ける必要もなかった。


1990年代に自動車事業に参入

 サムスンは半導体、家電やスマートフォンを主力事業とし、韓国で自動車といえば現代だ——もちろん、このイメージはその通りだが、サムスンと自動車との縁は1990年代にさかのぼる。

 1987年、サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏が死去して後継者に「自動車マニア」として知られた李健熙(イ・ゴンヒ)氏が就任してからだ。

 巨大企業の後継者は先代を超えたいと考えるのか。

 李健熙氏は半導体事業の強化育成とともに、自動車に目を付けた。

 当時、韓国の財界でトップ争いをし、主力事業の一つが自動車だった現代に果敢に挑戦状をたたきつけたのだ。

 サムスン重工業がダンプトラックなど商用車の生産に乗り出したのに続き、日産自動車と提携して1994年に乗用車参入を政府に認めさせた。

 1995年にルノーサムスンの前身にあたるサムスン自動車を設立し、釜山に最新の設備を導入して量産工場の建設に入った。

 今回、サムスンカードが保有株を売却すれば、26年ぶりの撤退となる。

 この年、李健熙氏は韓国メディアにこう語っている。


10兆ウォン寄付する姿勢で

「私が自動車をよく知っているからという理由だけで参入したわけではない。自動車事業はこれから10〜20年間、サムスングループを支える事業だと判断したのだ」

「この先、5〜6年間に10兆ウォンを投資してもたいした利益は出ないだろう。韓国の自動車産業に10兆ウォンを寄付するくらいの姿勢で事業を始める」

 10兆ウォンといえば、いまでいえば1兆円弱だ。「寄付するくらいの姿勢で」参入されては、競合他社はたまったものではなかったはずだ。

 李健熙氏は一度、参入すると決めたら、絶対にナンバーワンを目指す。それも、世界基準でのトップを目指した。

 当時、日産自動車から転じた技術者にこんな話を聞いたことがある。


夢の工場だったのに…

「技術提携して韓国に行って李健熙氏に会う機会があった。『お金はいくらかかってもいいから世界最高水準の工場を作ってほしい』と言われた。本当かなと思っていたら、要求した設備をみんなそろえてくれた」

「当時の日産は、経営が苦しくなりかけていたから、とてもこんなことはできなかった。技術者にとって夢の工場で働くことができると考えて移った」

 1998年3月、日産の技術をベースにした中型セダン乗用車「SM5」が発売になった。

 李健熙氏はやる気満々だった。経営危機に陥った起亜自動車(いまの起亜)の買収にも名乗りを上げた。

 ところが、結果的には、最悪のタイミングでの参入となってしまった。

 IMF危機といわれる通貨経済危機の直撃を受け、サムスングループも大きな危機に見舞われたのだ。

 自動車事業は、年間1兆ウォンを超える赤字が出ていた。「10兆ウォンを寄付するくらいの姿勢で」とは言ったが、それはグループ全体が儲かっていればの話だ。

 グループ全体が存亡の危機に立たされ、全く状況が変わってしまった。

 泣く泣く自動車事業からの撤退を決めた。自動車のためにグループ全体を傾かせるわけにはいかなかったのだ。


IMF危機で撤退に

 1999年、大宇電子とサムスン自動車を交換する「ビッグディール」の交渉をして、一度は合意しかけた。

 ところが、土壇場で決裂すると、サムスン自動車は法定管理、つまり裁判所の管理下での更生手続きに入った。事実上の倒産だ。

 李健熙氏は、私財2兆5000億ウォンを出して「オーナー経営責任」を負った。

 こういう会社を買収したのがルノーだった。

 この時、債権銀行団やルノーの意向で、「サムスン」ブランド使用できるようにした。

 サムスングループが株式を保有し続けたのは、韓国内で知名度が高くなかったルノーに対する配慮だったともいえる。

 実際、「サムスンが作っている自動車だから」が購入の決め手だったという韓国内のユーザーも少なくなかった。

 20年経過して、サムスンはようやく、完成車メーカーの経営から離れることになったのだ。

 IMFがなければ、韓国では、いまでも、サムスン自動車には十分勝算があったという声もある。だが、歴史にもしも(if)はないのだ。

 半導体事業を育成し「名経営者」との評価が高い李健熙氏にとって、「自動車」は経営者人生でも痛恨の失敗例になってしまった。

 だが、自動車事業の可能性に対する「予言」が再評価されてもいる。李健熙氏は、1997年に出版した著書で、こうも語っているのだ。


自動車は電子製品

「私は全世界の主な自動車雑誌にはすべて目を通してきたし、世界の主要完成車メーカーの経営陣や著名な技術者にはほとんど会ってみた。自動車事業については10年以上も徹底的に準備してきた」

「自動車は部品価格の30%が電子製品だ。10年以内に50%になる。そうなれば、自動車なのか、電子製品なのか、あいまいになる」

「電子技術、半導体技術がなければ、自動車事業を放棄せざるを得なくなる」

 いまから25年近く前の見通しだった。李健熙氏は、完成車事業だけでなく、自動車用バッテリー事業にも参入した。

 自動車マニアでもあった李健熙氏は、電子メーカーのオーナー会長として、自動車事業を見ていたのだ。


李健熙氏の予言、李在鎔氏の一手は?

 自動車事業は、李健熙氏の後継者である李在鎔(イ・ジェヨン=1968年生)サムスン電子副会長にとっても大きな課題だ。

 サムスン電子は2016年に、米電装品メーカーのハーマン・インターナショナル・インダストリーズを80億ドルで買収した。

 カーオーディオで知られ、コネクテッドカ—事業にも力を入れている企業だ。サムスン電子にとっては珍しい大型M&Aだった。

 自動車用バッテリー、半導体、さらに通信技術も持つサムスングループにとって、自動車とどうかかわり、自動車関連事業をどう成長させるかは、注目の的だ。

 李在鎔氏は「完成車事業は手掛けない」と公言する一方で、自動車に対する関心は強い。

 父親で経営者としての模範であった李健熙氏が成功させられなかった自動車事業がルーツであるルノーサムスンの合弁解消で、サムスングループは完成車事業から完全撤退することになる。

 自動車事業の次の一手は何か。

 サムスンにとって自動車はこれからも最重点戦略課題だ。自動車事業から撤退したサムスンが今度は、電装品事業の強化に動いているのだ。

 それにしても、気がかりな点も残る。サムスンカードが保有するルノーサムスンの株式を誰が買い取るのかという点だ。

 ルノーサムスンは、2017年に売上高6兆7094億ウォン(1円=11ウォン)、営業利益4016億ウォンだった。

 それ以降は、減収減益が続き、2020年には、売上高3兆4000億ウォン、営業赤字796億ウォンとなってしまった。

 労使関係が悪化し、ルノーからの新しい車種の委託生産が順調に進んでいない。ルノーグループの世界戦略の中でどういう位置付けなのかも不透明だ。

 韓国メディアは、「サムスンカードは株式売却金額よりも、早期売却を優先させる」とも報じている。

 それでも、売却がすんなり進むのかどうか。26年ぶりの撤退にはなお懸念も残る。

筆者:玉置 直司

JBpress

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