インドネシア、汚職捜査機関が「骨抜き」の危機に

9月18日(水)6時0分 JBpress

暴漢に襲われ片目を失明したインドネシアの汚職撲滅委員会(KPK)の捜査官ノフェル・パスウェダン氏(左)。握手しているのは、今年1月、自宅に火炎瓶を投げ込まれたKPKのラオデ・シャリフ副議長(2018年2月22日撮影。写真:AP/アフロ)

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(PanAsiaNews:大塚 智彦)

 インドネシアには「最強の捜査機関」と称される組織が2つ存在する。それは警察でも検察でもなく、「麻薬委員会(BNN)」と「汚職撲滅委員会(KPK)」だ。いずれも国家委員会であり独立した国の捜査組織である。それぞれ麻薬犯罪、汚職犯罪の摘発を精力的に続けており、国民から厚い信頼を寄せられている。

 というのも、1998年に崩壊したスハルト長期独裁政権下での悪弊である「汚職・癒着・親族主義(KKN)」の根絶こそが、インドネシアが民主国家として歩み始めて以来の最大の国家的課題であり、かつ現在も各界に汚職が蔓延しているからだ。


「最強の捜査機関」の手足を縛る法改正

 その「最強の捜査機関」の1つ、汚職摘発を担うKPKの捜査は、日本の検察の「秋霜烈日」にも匹敵すると言われるほど、情け容赦なく、閣僚、国会議員、司法関係者などの権力者も次々と摘発し、国民からの喝采を浴びる「正義の組織」だ。

 ところが、そのKPKが今、大きく揺らいでいる。摘発される対象者に国会議員や地方公共団体の首長、政党党首、公営企業や銀行のトップといった「VIP」が多く含まれていることから、国会で「汚職撲滅法改正案」が審議されるようになり、9月17日、ついに賛成多数で可決されてしまったのだ。

 国会はすでにKPK幹部人事にも関与し、南スマトラ州警察本部長のフィルリ・バフリ氏をKPKトップの新委員長に任命している。

 KPK関係者らによると、フィルリ氏はこれまでにKPKによる汚職捜査の容疑者となった州知事らと非公式に接触するなど倫理規定違反の疑いが持たれており、「KPK委員長として不適格」との指摘がなされている。

 KPKが弱体化することはインドネシアのスハルト時代の「負の遺産」である汚職体質を温存するどころか、蔓延を容認することにもなりかねない。そんな懸念から、インドネシアのマスコミも珍しく足並みを揃えて反対の論調を張り、「反対」は今や国民レベルの要望となっている。


改正法の一部不同意を示した大統領

 そこで注目されるのが、4月の大統領選で再選続投を決めたジョコ・ウィドド大統領の決断だ。当初、国会の議案可決を追認する姿勢を見せていたジョコ大統領だが、国民やマスコミの反対論の大きさに配慮し、「改正法の一部修正」を表明して、国民の要求を受け入れる態度を示している。10月1日の新内閣発足に向けて、ただでさえ各政党からの閣僚人選へのプレッシャーが高まる中、改正法で「KPK弱体化」を目論む国会と、「弱体化反対、汚職根絶継続」を望む世論との板挟みの中で、苦しい決断を迫られているというわけだ。

 KPKの権限弱体化につながると批判されている「改正法」の内容は次のようなもの。①政治家、捜査機関関係者、政府関係者など5人(国会が指名)からなるKPKを監視する監査評議会の設置、②KPK職員の公務員からの採用、③KPKが捜査開始から1年以内に逮捕・起訴できなかった場合に捜査続行を終了、④捜査上、必要な盗聴など通信傍受は監査評議会など外部機関への許可申請を義務化、⑤KPK捜査官は警察や検察出身者に限定、⑥公訴に関する最高検との調整義務化、⑦KPKによる政府高官の資産調査権の撤廃——である。

 ジョコ・ウィドド大統領はこうした改正法の内容に関して、「通信傍受に関する許可申請や警察官・検察官に限定した捜査官の採用、公訴の際の最高検との調整、政府高官の資産調査権」に関して「KPKの権限の弱体化につながる」として拒否する姿勢を9月13日に示していたのだが、4日後には国会で可決されてしまった。


輝かしい汚職摘発の実績

 そもそもKPKは、2003年に当時のメガワティ・スカルノプトリ大統領の肝いりで正式に発足した組織で、政府や司法機関、治安組織から完全に独立して捜査権(逮捕権を含む)と公訴権を持つ機関である。KPKはその絶大な捜査権限を武器に、「汚職大国」と呼ばれたインドネシアにはびこっていた不正を精力的に排除してきた。

 それだけに法改正はこれまで築き上げてきた汚職事件摘発の実績を鈍化させると危惧されている。

 捜査官に警察官・検察官だけを採用することや通信傍受に許可が必要になったり、公訴を最高検と調整が求められるなどの改正点は、依然として汚職体質が抜けきれていない警察、司法機関から捜査対象者に情報が漏洩したり、独自の公訴判断が難しくなったりする可能性があるからだ。

 ジョコ・ウィドド大統領が拒否しているのもそうした世論の反対を配慮した結果とみられている。

 これまでのKPKの実績にも触れておこう。少し古いが2017年3月に「インドネシアにおける汚職対策の現状と課題」として笹川平和財団(東京)で講演したKPKの元副委員長バンバン・ウィジャヤント氏は、2004年〜15年の間にKPKが汚職で摘発したのは大臣・政府機関トップ23人、国会議員57人、中央銀行の頭取ら幹部8人、州知事18人、市長・副市長46人、選管幹部7人、大使4人、裁判官や検察官等司法関係者41人、政府高官120人、地方議会議員100人と想像を絶する数字を明らかにした。

 さらにすごいのは、こうした検挙者の控訴後の有罪率は100%を維持しているという点だ。これはKPKの捜査が徹底していることの証明でもある。その捜査は、秘密性、隠密性が高く、時として使う「おとり捜査」も重要な手法として用いられる。事前に情報が遺漏しては不可能な捜査が多いのだ。

 2018年末のKPKの捜査報告では、同年に178件の汚職を摘発し、128件で公訴したことが明らかにされている。うち28件は「おとり捜査」で、過去最大の件数となったという。容疑者の内訳は地方議会議員が91人、地方政府高官が28人だった。

 2017年11月には、当時の現職の国会議長で、与党ゴルカル党のスティア・ノファント党首を、電子住民登録証調達事業に絡む予算不正流用容疑で逮捕した。巨大汚職事件の主役だったノファント元議長には、裁判で禁固15年の実刑判決が下っている。


相次ぐKPK捜査官・幹部への脅迫と襲撃

 インドネシアの巨悪と闘うKPKには、「権力者」側からの反発も根強い。

 2017年4月には、ノファント議長が絡む不正事件の捜査を担当していたKPKの捜査官ノフェル・バスウェダン氏が暴漢に襲撃されて片目を失明する事件も起きた。同事件の背後に権力者あるいは治安関係者の存在が見え隠れしているためか、大統領の捜査指示にも関わらず、依然として容疑者は逮捕されていない。

 2019年1月にはラオデ・シャリフKPK副委員長の自宅に火炎瓶が投げ込まれたし、アグス・ラハルジョ委員長の自宅でも手榴弾が発見されている。

 このようにKPK幹部や捜査官は常に危険にさらされている。KPK関係者への脅迫は日常茶飯事で、大きな汚職捜査を担当している捜査官は身辺警護をつけて捜査に当たらざるを得なくなっているという。

 KPK捜査官はまさに命がけで捜査している。それだけに彼らの手による摘発は、汚職とは無縁の一般国民から常に絶大な支持で迎えられており、KPKへの支持率は70%以上という調査結果もある。KPKのスローガン「正直と勇気」の言葉がプリントされたシールが国中に出回っているのも、国民の支持が厚い証左だろう。


大統領の鼻は伸びているのか

 国会では「汚職撲滅法改正案」について、一部野党は改正法に疑問を示したものの、最大与党でメガワティ元大統領が率いる「闘争民主党(PDIP)」を含む多数派の与党に加え、野党第1党の「グリンドラ党」が賛成に回ったことから可決されてしまった。

 現状のままでいくと、12月21日に国会が指名した新委員長以下の新メンバーがKPK指導部に就任することになる。それに対して現在のKPK幹部の大半は、「そういう人事がまかり通るならKPKを去る」としている。KPKが完全に骨抜きにされてしまうのか、あるいはこれまで通りの最強の捜査機関として維持され、国民の溜飲を下げる大物汚職者の摘発を続けることができるのか。KPKは創設以来、最大の岐路に立たされている。

 前述のKPK元副委員長ウィジャヤント氏は地元マスコミに対して「汚職者たちのネットワークが国会や政府にも広がっており、彼らがKPKを有名無実化しようと画策している」と国会の動きを批判している。

 果たしてジョコ大統領は、権力者のプレッシャーをはねのけ、国民の期待に応えることが出来るのだろうか? 残念ながら、世論はかなり懐疑的な目で見ている。

 インドネシアの週刊誌「テンポ」は、9月16日号の表紙にジョコ大統領の似顔絵を載せた。壁に映った大統領の影は、鼻が長く伸びている。

 大統領はKPKを強化して汚職を根絶すると約束していたのに、矛盾することを行おうとしている。大統領は“嘘”をついている——同国を代表する週刊誌は、大統領の本心をそう看破しているのである。

筆者:大塚 智彦

JBpress

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