ラグビー・アイルランド代表はなぜ合同チームなのか

10月13日(日)6時0分 JBpress

2019年10月3日、ラグビー・ワールドカップでロシア戦に臨むアイルランドチーム。(写真:ロイター/アフロ)

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(後藤 健生:サッカージャーナリスト)

 ラグビー・ワールドカップでの日本の快進撃は初戦アイルランド戦の勝利から始まった。

 大会開幕時には世界ランキング1位だった強豪アイルランドとの試合は19対12という接戦で、トライ数ではアイルランドの方が多かったが、内容的には日本の完勝だった。「サッカーと違って番狂わせが起こりにくい」と言われるラグビーだが、日本の勝利はけっして番狂わせではなく、実力での勝利のように見えた。


英国にとって非常にセンシティブなアイルランド問題

 さて、そのアイルランドというチーム。すでにご承知の方も多いだろうが、「アイルランド共和国」と「英領北アイルランド」の合同チームである。国旗も緑・白・オレンジの共和国国旗と赤の十字の北アイルランド旗の2本が並んで登場。試合前に歌われるのは国歌ではなく、ラグビーのために作られた「アイルランズ・コール」という歌なのだ。

 テレビのコメンテーターなどの中には「政治的に対立するアイルランド共和国と北アイルランドが1つのチームを組むのはノーサイド精神の表れ」などと分かったようなことを言う人もいるが、これはまったくの的外れなコメントだ。

 アイルランド問題というのは、日本人が考えるよりずっと根深く、複雑なのだ。

 英国のEU(欧州連合)離脱期日まで半月余り。これからさまざまな政治的駆け引きが激化するだろうが、その争点の1つとなっているのがアイルランド国境問題だ。

 “合意なき離脱”となった場合には、英国領の北アイルランドと、EU加盟国であるアイルランド共和国の間の陸上国境で税関検査などが復活することになり、その結果、アイルランドを巡る歴史的な対立が再燃する可能性もある。

 英国にとってアイルランド問題というのは非常にセンシティブな問題だけに解決策を見出すのは容易ではないだろう。


アイルランド共和国と北アイルランドの成り立ち

 ヨーロッパ大陸の西に浮かぶグレートブリテン島。この島にゲルマン系のアングロサクソン人やノルマン人などが大陸から渡ってきて、国を造った。そして、イングランド、スコットランド、ウェールズという3つの国が統合してできたのが現在の英国である(正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」)。

 一方、アイルランドはグレートブリテン島のさらに西側にある島国で、ヨーロッパの先住民族であるケルト民族の文化を今に伝えている。5世紀にはキリスト教を受け入れ、現在も国民のほとんどがカトリック信者という国だ(英国は16世紀にヘンリー8世の離婚問題を巡ってカトリックのローマ教皇庁と対立。英国国教会が設立された)。

 近代に入ると経済大国、軍事大国となったイングランドがアイルランドを支配するようになり、19世紀にはアイルランドは植民地にされてしまう。

 19世紀にアイルランドは飢饉にも見舞われ、生活に窮した多くのアイルランド人が北アメリカに移住していった。特にマサチューセッツ州ボストンにはアイルランド系が多い。あのケネディ家もボストン出身のアイルランド系一族だ。

 プロ・バスケットボールのNBAでボストンを本拠地とするチームが「ボストン・セルティックス」だ。「セルティックス」というのは「ケルト人の」という意味。ここで「ケルト人」というのはアイルランド人のことだ。

 また、スコットランドの工業都市グラスゴーにも「セルティック」というサッカークラブがある。かつて日本の中村俊輔が加入して大活躍したチームだが、このチームもスコットランドで働いていたアイルランド系工場労働者のためのチームで、応援にはアイルランド共和国の国旗も使われる。同じグラスゴーを本拠とする英国人系の人気チーム「レンジャース」との試合は世界でも最も有名なダービーマッチだ。

 英国植民地となっていたアイルランドでも、19世紀後半に独立運動が盛んになり、その結果1922年には「アイルランド自由国」として英国から分離。1949年には「アイルランド共和国」が成立して、英連邦からも離脱して完全独立を達成する。

 ただし、英国系プロテスタントが多い北東部のアルスター地方は英国領土として残り、これが現在でも英国の一部を構成する「北アイルランド」となっている。しかし、アイルランド独立後も北アイルランドでは共和国編入を求めるテロが続き、多くの犠牲者を出したが、1998年になってベルファスト合意が成立してようやく平和が訪れた。


1つの協会が全アイルランドのラグビーを統括

 アイルランドが飢饉に苦しみ、また独立の機運が高まっていた19世紀にイングランドで生まれたのがサッカーとラグビーと呼ばれる2つのフットボールだった。フットボールは産業革命によって増え続けていた工場労働者の間で盛んになり、そして英国有数の工業都市グラスゴーでサッカークラブ、セルティックが誕生したのだ。

 1863年にはロンドンでフットボール協会(FA)が発足。FAが制定したのがサッカーのルールだった。その後、1871年にはラグビー、フットボールを統括するラグビー協会(RFU)が発足。日本語では両方とも「協会」だが、サッカーの方は「アソシエーション」、ラグビーの方は「ユニオン」と呼ばれた。

 アイルランドでも1879年にはラグビー協会(IRFU)、1880年にはサッカー協会(IFA)がそれぞれ成立した。そして、1921年にアイルランド自由国が連合王国から分離すると、サッカー協会は2つに分かれてアイルランド自由国側に新たなサッカー協会(FAI)が誕生した。現在、アイルランド共和国と北アイルランドは別々のサッカー代表を作ってワールドカップなどに参加している。

 だが、ラグビーの方は、独立後もIRFUが全アイルランドを統括する団体として存続し、今でも1つのチームでワールドカップを戦っているのだ。


イングランド生まれのスポーツを拒否する人たち

 アイルランドの民族主義者たちの間では、支配者であるイングランド生まれのサッカーやラグビーを拒否し、アイルランド独自のスポーツ、ゲーリック・フットボールやハーリングなどを盛んにしようという運動も根強くある。

 ゲーリック・フットボールもハーリングも、サッカーやラグビーと同じような芝生のピッチの上でプレーするスポーツで、ハーリングは野球と同じようなボールをスティックで撃ち合ってゴールに入れ合うスポーツだ。

 こうした国民スポーツを統括しているのが「ゲーリック体育協会(GAA)」(設立は1884年)という団体だ。かつては会員に対して、支配者である英国人のスポーツであるサッカーやラグビーをプレーすることを禁止し、もしこうした“敵性スポーツ”をプレーしたことが発覚した場合には除名する、と決められていたほど、イングランド生まれのスポーツを目の敵としていたのだ。

 GAAは首都のダブリン市内にクロークパークという8万人収容の近代的なアイルランド最大のスタジアムを保有しているが、かつてはここでサッカーやラグビーの試合が行われることはなかった。


なぜラグビーの協会は分裂しなかったのか

 ところで、ラグビーでは、なぜ共和国独立後も協会が分裂しなかったのだろうか?

 それは、サッカーが労働者階級の間に広まったスポーツだったのに対して、ラグビーは上流階級のスポーツと見なされていたからだ。

 つまり、植民地時代からアイルランドでラグビーをプレーしていたのはケルト系のアイルランド人労働者階級ではなく、英国系の支配者階級だったのだ。だから、共和国が独立してからも同じ英国系の北アイルランドと袂を分かつ必要がなかったというわけだ。

 もちろん、こんな階級的、民族的な違いは過去のことだ。

 2007年以降はクロークパークでもサッカーやラグビーの試合が開催されるようになったし、GAAも「サッカーやラグビーをやったら除名」などという規則は撤廃した。世界的な強豪の地位にあるラグビーの代表チームはアイルランドの庶民の間でも人気があるし、かつてアイルランドではサッカーの競技人口は少なかったが、1990年代以降に代表チームの強化が進んだことでサッカー人口も急増している。

 英国あるいはアイルランドの近代史を語る上では、スポーツの歴史も見逃すことができない。サッカーやラグビーの試合を見る時にも、そんな彼らの歴史をちょっとだけでも知っていれば、観戦がずっと楽しくなるはずだ。

筆者:Takeo Goto

JBpress

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