今年のノーベル賞が“指摘した”日本政府の無能ぶり

10月16日(月)6時10分 JBpress

スイス・ジュネーブで、ノーベル平和賞の受賞が発表され、団体のロゴが入った横断幕を見せる反核団体「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のビアトリス・フィン事務局長(右)ら(2017年10月6日撮影)。(c)AFP/Fabrice COFFRINI〔AFPBB News〕

 2017年のノーベル賞、6つの部門での受賞者が決定したところで、全体のアウトラインを見ておきたいと思います。

 今年のノーベル賞は非常に分かりやすいですね。

 ポイントは、昨年のノーベル賞の決定が10月、授与が12月、その間に11月があった、ということに尽きます。

 2016年11月、つまり悪い冗談のような米大統領選挙での共和党保護主義政権の成立、「ドナルド」大統領就任という、欧州としてはただ単に困った結果が出たことへの穏当な疑義が、文系側については3連発で発せられたと見ると、きれいに整理して見えるように思います。


2016年のノーベル文学賞から

 先にお断りしておきますが、今年の文学賞、カズオ・イシグロの仕事については、別途原稿を準備するつもりです。一音楽家として彼の作品と向き合う内容を記すつもりです。

 ここでは、あくまで、2017年のノーベル賞全景の中での彼の立ち居地などに触れるにとどめたいと思います。

 それに先立って2016年、つまり昨年のノーベル文学賞を考えてみましょう。

 ボブ・ディラン、本名ロバート・アレン・ジマーマン、ロシア系ユダヤ人のフォーク・シンガーがノーベル「文学」賞をスウェーデンから送られた背景には、公民権運動とベトナム反戦の1960年代、プロテストソングの貴公子と呼ばれた彼の活動を指摘しないわけには行かないでしょう。

 ご記憶かと思います、昨年のノーベル賞が決定した後、ボブ・ディランの言動は極端に挙動不審でした。

 彼自身、微妙に政治的な観点から自分に賞が与えられる側面を、誰より明確に自覚していたはずで、まる2週間ほど一切のコメントを出さず沈黙し続けました。

 その「本当の」理由などは分かりません。しかし何であれ、いきなりリアクションできなかったことは事実です。

 今年のカズオのように、発表の当日、記者団を迎え入れてインタビューに応じる姿勢とは全く異なっていました。

 「風に吹かれて」が白人によって書かれ、「黒人が作者ではないことが信じられない」などと言われた公民権運動の歌うプリンス、ボブ・ディラン(1941-)は、ミネソタのアシュケナジー・ジューイッシュ・コミュニティの出身です。

 そこでの名をシャブタイ・イスロエル・ツィメルマンというバリバリのユダヤ人であり、虐げられた共同体から出てきた人であることは、「白人・黒人」という枠組みの中では、ほとんど触れられることがありません。

 しかし、ボブ・ディランが生まれた1941年、ドイツはアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義労働者党=ナチス政権下にあり、単に欧州に住んでいたから、というだけの理由で、ボブ・ディランと同じ出自を持つ人々がどういう惨状に見舞われたか、いまさら言うまでもないでしょう。

 米国で、下品なヘイト・スピーチでポピュリズム的な人気を得ていたドナルド候補、6月には既にどう見ても破壊的な英国のEU離脱・ブレグジットが成立しており、どうか頼むから「米国はボブ・ディランの正気を保ってくれよ」というあまりにも明確な欧州からのメッセージ。

 一方ディラン本人は1966年、バイク事故の後、隠遁状態となり、折しも子供が生まれたこともあり25歳の青年シンガーは社会的な文脈に絡めとられて競争に追い込まれるのを極端に嫌うようになっていた・・・。

 そんな経緯が、それから50年後、既に75歳を迎えたボブ・ディランをして、2週間の沈黙を守らせたのではないかと思います。

 2017年のノーベル賞は、ブレグジット以降、米国ドナルド選挙以前に前回の賞を出したスウェーデンからの、あるべき今後の国際社会の指針として示された灯明のようなものでしょう。

 そう考えると、今年の経済学賞くらい分かりやすいものはありません。


人類は決して合理的に行動しない

 今年のノーベル経済学賞がリチャード・セイラーに与えられるくらい、ある意味痛烈な皮肉はないように思います。

 彼を「行動主義経済学のリーダー」うんぬんと紹介しても、日本社会ではほとんど意味をなさないでしょう。

 確かに、ハーバード・サイモン〜ダニエル・カーネマンと続くこの傾向の主要なリーダーであるのは間違いなく、サイモンは1978年、カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を得ていますから、ある意味いつ来てもおかしくない横綱相撲であるのは間違いない。

 ポイントはそんなところにはないわけで、セイラーの主張は端的に言って、

経済活動において私たちが下す合理的な判断には限界がある
と言うより、しばしば、とてつもなくヒドい選択をすることがある
感情に任せて自制心が利かず、しばしば後悔する現実を直視して経済を考えよう

 というのがポイントであって、ブレグジットはもとより、昨年の米国大統領選挙、あのどうしようもない結果はいかなることか・・・。

 そして、私たち人類がしばしば犯す、この自制心が利かず突発的感情的でマイナス以外の何者でもない判断の尻拭いをどうやって考えていくか・・・。

 という今日の状況の中で、セイラーに「2017年の」ノーベル経済学賞が送られている。

 褒賞の授与がこれほどまでに批評の手段になる場合があるとは、かつてなかなか思いつかなかったくらい、今年の経済学賞はスパイシーなことになっている。

 同様の観点から文学賞も平和賞も、はっきり読み解くことができると思います。


いま世界で求められる「持続的調和」

 カズオ・イシグロは日本人ではありません。

 国籍においては英国人、作家としての活動は英語を母国語として英文学の水脈のど真ん中で、英国社会の東洋系マイノリティという視点から普遍的な問題を、強い筆致で描き続けてきた姿勢を高く評価されているのであって、これは強く認識しておくべきでしょう。

 彼は「移民の子」として英国に国籍を持った。そしてブッカー賞を筆頭に英文学の大文字の中心的な担い手となった。

 どこかの国境にグレートウォールを建設し、移民を排斥するドナルド・ダック、中東から流入する移民排除のアレルギーで、かえって自分自身が欧州から排除されてしまった英国・・・。

 この文脈からは、むしろ「自制心を抑え切れなかった大衆」で帝国の命運が狂わされ始めている英国への挽歌のような、今回のノーベル文学賞と思うべきかもしれません。

 褒賞を出すスタンスからは、あらゆる意味でカズオは「日本人」ではない。日本なんてこの文脈ではカスリもしない。

 その意味では、何か人気投票か何かと勘違いして、日本の流行エンターテインメント作家がノーベル賞を受けるとか受けないとかいう素っ頓狂がまだ続いているようですが、いいかげんもう気づくべきだと思います。

 絶対は、この手のことではあり得ませんが、従来名前が挙がるような日本の作家が2018年以降のノーベル文学賞を得る期待値は限りなくゼロに近いと思います。

 と言うのは2020年代以降の人類、グローバル社会が指針とすべき重要な課題に、何か指針を与え灯明となるような仕事など、まずもって1つも見当たらないので。

 カズオの場合は、マイノリティといった問題だけでなく、臓器移植など先端科学のディストピアを余すことなく描いてもおり、幾重にも同時代的に重要な作家と言うべきでしょう。

 そういう意味で、もっと痛烈な批判となったのは、今年度のノーベル平和賞が核兵器廃絶の国際キャンペーンに与えられたことだと思います。

 本拠地をスイス・ジュネーブに置きますが、想像するに12月ストックホルムの赤じゅうたんには、日本人が立つ可能性もあると思います。

 ICANでは被爆者のメンバーが活動しており、広島、長崎で被爆した日本人が壇上に上がる可能性は決して少なくないように、勝手に想像しています。

 その状況に対して、さて、いったい、日本政府のあのみっともない対応は何だったのか・・・。

 瞬時にフリーズして何もコメントが出せなかった。ここまで情けない腰抜け外交ぶりも久しぶりに目にした気がします。

 さすがに翌日になって、外務報道官談話としてコメントが出されました。

 外交というのはエクスパティーズ、専門家がしっかりした長期的視点をもって担当すべきもので、たちの悪い人気投票の入れ札で右往左往するような代物であってはなりません。

 改めて申すまでもなく、日本は、昨年7月7日、国連に提出された核兵器禁止条約に対して不参加という、全世界で唯一、2つの被爆を経験し2011年には原発事故というさらに1つの被曝まで経験している国としてはあるまじき、人類に対する恥のような無策ぶりを露呈しました。

 戦時中、広島・長崎への原子爆弾投下、冷戦期の核実験による被爆、そしてソ連がそれによって崩壊したチェルノブイリに続いて今もって収拾のめどがたっていない福島原発事故・・・。

 これだけ「核」の惨禍に蹂躙されてきた日本は、何が何であろうとも、たとえ世界が少しひっくり返るくらいのことがあっても、核兵器の全面禁止といった絶対的な審級に対して、フラフラ腰砕けの日和見行動など絶対に取れるわけがない。譲ることなどあり得ない一線であったはずです。

 それがドナルド・ダックの風下で頬かむりしたわけで、まあ、これくらいみっともない話は日本が世界にコミットし始めて以降、史上かつてなかったと言っていいのではないでしょうか。

 科学で4年連続のノーベル賞が取れるか、というぬか喜びを期待する時点で、どこか頭のネジが数本緩んでいる、外交音痴の島国根性とでも言うしかない。

 折しも日本は形だけ毎年「核廃絶決議案」を出していますが、今年は核禁条約に触れず、北朝鮮その他に言及する内容(参照=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171012-00000042-asahi-pol)との報道。

 各国からは、「頭は大丈夫か?」的な反応を誘発している現在進行形、生中継状態になっています。

 今年日本は「ノーベル残念賞」をもらったようなものだと思います。メダルは目に見えない空気でできていますが、そのあたりは12月の授賞式でよく分かるのではないでしょうか・・・。

筆者:伊東 乾

JBpress

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