革命的戦車T-34の名を聞くとロシア人の顔が輝く理由

11月25日(月)6時0分 JBpress

スターリングラード攻防戦の激しさを今に伝えるロシア・ボルゴグラード(旧スターリングラード)の建物。スターリングラードは戦車T-34の主要生産拠点だった

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(古是 三春:軍事評論家)

 ロードショー公開中のロシア映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」が日本でもかなりの評判を呼んでいる。

 かつて1960年代に制作されたソ連映画「ひばり」(邦題「鬼戦車T-34」)のストーリーを下敷きにしたリメイク作ではあるが、現代技術のCG、SFXを駆使した迫力とリアリティーのある画面づくりと娯楽演出面で、かつての社会主義時代の映画制作を超えた「楽しめる映画」に仕上げられているのが新作の特徴だろう。

 本国ロシアでも800万人の観客を動員したという大ヒット作だが、ソ連の戦争ものを語る時、例えば日本における戦艦「大和」や「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機)など「鉄板モノ」といえる人気アイテムにあたるのが、T-34戦車なのである。

 近年、我が国にもロシア人が数多く観光やビジネスで訪れ、日本に長期滞在したり居住する人も増えている。老若男女を問わず、親しくなってきてから雑談の中で「自分は『テ・トリッツィーチティーリ』(T-34)を知っている」と話すと、たいていのロシア人は「なんで?」という顔をしたあと、喜んでくれる。

 彼らロシア人、いや旧ソ連圏の人たちにとってT-34は、2700万人もの犠牲を払わねばならなかった「大祖国戦争」(第2次世界大戦における独ソ戦を旧ソ連圏ではこう呼ぶ)を勝利に導いた救国の兵器なのだ。


「現代戦車の革命」T-34の登場

 T-34は1940年、独ソ戦の始まる前年に完成され量産に入った。原型はミハイル・コーシキン技師の統括の下、国営ハリコフ(ハルキウ)機関車工場で完成され、その年のうちにスターリングラード・トラクター工場などいくつかのソ連国内工場でパーツ製造の分担を含めて協力体制が組まれて生産に入った。

 前年から第2次世界大戦の西方戦役が展開され、ドイツ軍は戦車と自動車化歩兵を先頭に立てた電撃戦で次々と大勝利を収めていた。結果、一部の中立国(スイス、スペイン、ポルトガル)を除く全西ヨーロッパ諸国がナチス・ドイツの侵攻軍の前に屈服し、欧州派遣英国軍もフランス北西のダンケルク海岸より大陸域から追い出されてしまっていた。

 ソ連は大戦直前に独ソ不可侵条約の締結でナチス・ドイツとの直接対決を避け、東欧域での勢力拡大を図った。しかし、一方で進んだ西ヨーロッパ地区の工業基盤と人的・物的資源を押さえて戦争力を強めたナチス・ドイツがイデオロギー上も地政学上でも宿敵となることは明白であり、その覇権を拡張する最大の力であるドイツ機甲部隊を阻止し得る戦車戦力を短期間のうちにつくり上げることが、ソ連の赤軍にとって焦眉の課題となった。

 そうした期待が込められて開発されたT-34は、次のような要素で当時の主要各国軍の戦車に比べるなら画期的な性能を誇るものとなった。それは「現代戦車の革命」といってもよい到達を歴史に刻むことになった。


突出していた攻撃力、防御力、機動力

 まずは火力。搭載砲は当時実用化された主要戦車の装甲を容易に撃ち破り、対陣地、対歩兵攻撃でも威力ある炸裂弾を発射できる砲身の長い76ミリ砲であった。対するドイツ戦車の搭載砲は長めの砲身のもので口径が37ミリか50ミリ、あるいはごく少数の支援戦車や突撃砲が砲身が極めて短い75ミリ砲を搭載しているという状態だった。これらのドイツ戦車の搭載砲は決して装甲を撃ち破る力が十分とはいえなかった。

 次は防御力。T-34より前の戦車は、まず車体や砲塔の形の鋼製フレームを作り、それに厚さ15〜30ミリの装甲板をリベット留めや溶接で貼り付けて組み立てられ、概して装甲板が外側に対して垂直に直立するデザインで構成されていた。それに対してT-34は、厚めの装甲板(45ミリ程度)を大きく切り出して、傾斜確度を全周囲から持たせる形で直接組み合わせて溶接する方式で車体と砲塔を組み立てた。装甲はかなりの傾斜角度(45〜60度)をつけられており、45ミリ厚の装甲板でも水平方向での実厚さが70〜90ミリと等しくなる。その結果、耐弾力が同時代の列国戦車よりかなり強化された。

 1941年6月の独ソ戦開戦時では、当時のドイツ戦車の搭載砲の対装甲弾(徹甲弾など)は、T-34の装甲を正面、側面、後面に限らずほとんど撃ち破ることができなかった。実際、戦場で初めてT-34に出くわしたドイツ軍は、パニックを引き起こしたほどだった。

 この厚い装甲板を直接組み合わせて組み立てる車体などの製造方式は、砲塔構成品を鋳造製に置き換えることもあいまって戦時生産体制の中で量産を容易にし、困難な条件下でも相手国を数倍も引き離すような大量生産を可能にした。独ソ戦中盤期、ウクライナやヨーロッパ・ロシア部にあるソ連の軍需工場の多くはボルガ川以東やウラル山脈の東側に広がるシベリア西部に疎開移築されたが、その際、直線的なデザインのT-34車体の溶接組み立てには初歩的な産業ロボット(自動電気溶接システム)が導入され、熟練労働の削減、省力化が大幅に進められた。ナチス・ドイツが第2次世界大戦中に量産し、投入した戦車の総数は2万6000輌程度。T-34はきわめて高い生産性によって、その2.5倍は作られたのである。

 そして機動力。T-34は、航空エンジンをベースに完成された地上車輌用としては十分なパワーを持つ500馬力のV型気筒配置ディーゼルエンジンと、簡素で整備しやすい大直径車輪、簡易な連結方式の無限軌道(履帯)、雪や泥地も踏破しやすい幅広の履板の組みあわせで、良好な速度性能(平坦地で最大55キロ時)、行動性能(半径150〜200キロ)を実現していた。これは重量26〜30トンの戦車としては、画期的な性能であった。当時の列国の戦車は速度性能が通常30〜40キロ時止まり、複雑な足回りに泥や雪が詰まりやすく、野外性能はエンジン馬力の不十分さ(100〜300馬力)もあって決して良好なものとは言い難かった。

 T-34が1940年の時点で成し遂げた、攻撃力、防御力、機動力という戦車の3大性能面の到達は、その後、各国の戦車開発陣が追いつき、追い越すための目標となったのは言うまでもない。しかし、基本構造に由来した高い生産性による大量生産の実現(終戦までに7万以上が完成)は、米国以外で到達できた国はなく、戦後の標準を先取りするものとなった。

 では、なぜソ連はこれほど革命的な戦車を生み出すことができたのか。

 当時のロシア、ウクライナでは帝政時代の造船所、車輌工場、冶金工場などをインフラのベースにスターリンの第1次社会主義経済建設5カ年計画(1928〜1932年、繰り上げで目標達成)で重工業、軍需産業を飛躍的に発展させ、1930年には米英から戦車の生産ライセンス権を購入し、その協力で万単位の戦車生産を1930年代中に実現させていた。

 また、国産戦車を運用した実戦も対中国軍閥との紛争、スペイン内乱への介入、日本軍との2度にわたる大型紛争(1938年の張鼓峰事件、39年のノモンハン事件)で経験し、その教訓がT-34などオリジナル兵器の開発に活かされることとなった。戦車工業の要員も1920年代から系統的に要請し、アメリカ派遣などで現地研修もさせ、ハリコフ機関車工場やレニングラードのキーロフ工場などには優れた戦車開発者からなる設計チームが確立されていたのである。


いまだ「過去の戦車」ではない

 映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」の導入部では、独ソ戦初期、T-34の名声を高からしめたモスクワ攻防戦時の戦車戦が再現されている。腕のよい戦車乗りの手にかかれば、T-34は少数でもドイツ軍戦車多数を相手に互角以上の闘いを展開できたことが印象的に描かれている。

 しかし、そんなに強いT-34も独ソ戦の緒戦〜中盤戦期は、訓練が不十分な乗員が使いこなせなかったり、弾薬や燃料の補給体制が麻痺するなど初期の赤軍の体質的弱点を反映してかなりの損失(戦闘損失より、燃料欠乏や故障で放棄、喪失されるものが多かった)を出していた。

 さらに独ソ戦中盤期以降になると、ドイツ軍も砲身の長い50ミリ砲、75ミリ砲や戦車砲としては大戦中陣営を問わず最強であった88ミリ砲を積み、装甲もかなり強化した戦車を登場させ、T-34の性能面の優位性は失われた。戦闘でもかなりの損失を覚悟せねばならなくなったのである。

 しかし、大戦中盤〜末期になってもT-34は基本性能面でバランスのとれた優秀な戦車であり、大量生産によって損失も迅速に補てんされて数が減っていくドイツ機甲部隊を追い詰めていった。さらに砲身の長い高射砲改造の85ミリ砲を大型化した砲塔に搭載した武装の抜本強化型「T-34-85」も終戦の前年から登場させ、質的な劣勢を挽回した。T-34-85は戦後もソ連の他、ポーランド、チェコスロバキアで生産され、大戦中のストック車輌と共に社会主義諸国やソ連の友好国に大量にバラまかれた。映画の後半に、捕虜となった主人公たちが搭乗して脱走をはかるのもこのT-34-85だ。

 T-34-85はいまだ「過去の戦車」ではない。朝鮮戦争では北朝鮮軍が開戦時に先頭におし立てて韓国軍を蹴ちらさせたのもこの戦車であり、中東戦争、アフリカでの紛争、ベトナム戦争でも登場している。そして、いまだに多くの国で、登場してから75年のこの戦車が現役装備として使われているのだ。

 世界の「戦車史」の中で占めるT-34の位置は、あまりに大きい。ゆえにこれを生み出したロシア人(そして、大部分のウクライナ人もだが)がT-34の名を語るとき、「祖国の救世主」「輝かしい勝利の武器」という想いが込められることになるのだ。

筆者:古是 三春

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