勝谷誠彦はなぜ政治家になろうとしたのか

12月6日(木)6時12分 JBpress

2017年、兵庫県知事選挙の際のショット

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 急逝したコラムニストの勝谷誠彦氏。これまで2回にわたって、勝谷氏の追悼記事を綴ってくれた世論社の代表取締役・高橋茂氏が、今回は勝谷氏の政治の世界との関りについて手記を寄せてくれた。言論人として八面六臂の活躍をしていた勝谷氏はなぜ政治家になろうとしたのか。高橋氏による、勝谷氏追悼記事の最終章をお届けする。(JBpress)


2000年の長野県知事選挙

 勝谷誠彦が政治家になろうと思ったきっかけはいくつかありそうだ。勝谷が畏れ愛する母の家系では、長野県の諏訪町長だか諏訪村長をしていたという話は本人から聞いたが、本当かどうかわからない。しかし、政治家の血が流れているのは間違いないようで、母の遺言「政治家と宗教家にはなるな」にもうかがい知ることができる。

 勝谷が初めて積極的に関わった選挙は、私と一緒に田中康夫氏を応援した2000年の長野県知事選挙だった。それ以前にも仕事柄政治家と関わることはあったかもしれないが、長野県知事選挙についてはいくつかの媒体で以下のように語っている。

「8月15日の雨の降っている日に、田中さんが俺の事務所を訪ねてきたんだよ。それまでは仕事では関わることがあっても、個人的に親しいというわけではなかった。その田中さんが『今度の長野県知事選挙に出ようか考えているんだけど、どう思う?』って聞いてきたんだよ。これには驚いた」と。

 責任感の強い勝谷は、なんとか田中さんを勝たせたいと、ライターとしての発信力を使ってあの手この手で支持を広げようとした。田中支持を表明した茅野実八十二銀行頭取への嫌がらせで、街宣車による妨害があったと聞けば、「八十二銀行を応援するために、全国からの1000円預金を呼びかけよう」と言い始めた。また、かなりの種類と枚数の怪文書が撒かれていると聞くと、「怪文書をネットで晒しちまえ」と提案した。

 八十二銀行への預金呼びかけは、かえって銀行業務の煩雑さを呼ぶということからボツとなった。怪文書を公開する方法も「そんなの考えられない」と選対本部でボツになりかけた。そのとき長野県出身の私に、田中陣営の選対から「高橋さん、勝谷っていう頭のおかしな人が変なこと言ってきているから、相手してやってもらえないかな」という連絡があった。私はさっそく勝谷に連絡した。「面白そうだからやろうよ」と。これが私と勝谷の出会いだ。そしてできたのが『怪文書図書館』だった。詳細については割愛するが、田中候補に向けられた怪文書をすべてネット上で公開してしまうという手法は、ネットだけではなく地元紙にも掲載され、リアルに県内で話題になっていった。

 選挙は田中康夫氏の勝利となった。私は開票待ち会場で勝谷と初めて会い、選挙結果が出てから共に祝杯をあげた。それからは、面白そうな選挙があると「あの選挙はどうなんだろう」と酒の肴に話が弾んだ。


代案を出せ!

 2009年7月に上梓した『代案を出せ!』(扶桑社)の表紙デザインでは、勝谷としては珍しく、スーツにネクタイ姿でタスキをかけた写真が使われている。また、この宣材で、勝谷がのぼり旗を固定した自転車を漕いでいく姿を、何故か私が動画に撮った。

 この『代案を出せ!』で示された政策は、勝谷の有料配信メール『勝谷誠彦のxxな日々。』の読者と勝谷との共同作業で作られたものだった。

 そのすぐ後に政権交代が起こり、民主党が政権を取ったこともあって、政治的な発言が多くなっていった。


「勝谷出馬か!?」のガセネタでスイッチ

 2013年には、「勝谷誠彦、兵庫県知事選挙に出馬か」という誤報が出た。これは朝日新聞の記者が、どこからか出てきた出馬情報の裏を取りに行ったときに、勝谷がまんざらではなさそうな返答をしたために、記事となって出てしまったのだ。大阪の読売新聞記者が、その日のうちに東京半蔵門の私の事務所に取材に来たが、私は勝谷からそんな話を聞いていなかったので、「そんなの全く無いですよ」と答えた。あとで勝谷にその話をすると「ごめんごめん。朝日の記者にも読売にも迷惑かけちゃったな。謝らなくちゃ」と言っていた。

 しかし、このときに何かスイッチが入ったのではないかと私は感じた。「兵庫県知事はアリだ」と。このころは、まだテレビやラジオなどに出まくっていた時期だったが、医者になれなかった劣等感を持ちながら、作家として賞が取れない焦りが膨らんでいく中で、「兵庫県知事」という道は自分が進むべき道なのだということをに開眼したのではないかと思えた。

 このとき私は、勝谷から「今回は出る気まったくないけど、いずれはアリかもね」と聞いている。確かにそのときは「そんな話は無いだろうな」と思ったが、出たら勝てるのではないかと漠然と感じていた。


鬱により一旦消えた政治家への夢

 その後、2015年に鬱を発症し、完全に政治家への夢は消えたかに見えたが、半年ほどで復活してからは、彼の中で夢が膨らんでいった。選挙のたびに応援演説を頼まれ、自民党でも民主党でも「こいつは良い政治家だ」と思えば、どこへでも飛んでいってマイクを握った。その都度、「この間さあ、誰それの応援に行ってきたんだけど、俺って演説の天才だと思うよ」と自慢していた。私は、勝谷が演説の天才かどうかは置いといて、「こいつは、そのうち本当に出ちゃうんじゃないか」と思うようになった。


兵庫県知事選挙出馬

 2016年の秋頃。勝谷が突然「話があるんだけど」と私の事務所にやってきた。彼の自宅マンションからは5分ほどの距離だ。

「俺、兵庫県知事になろうと思うんだ」といつもの早口でまくしたてた。なんとなく気がついていた私は「へええ」と驚いた顔をしながら「なんでまた」と聞くと、いかに自分が兵庫への思い入れが強く、自分であれば今よりもずっと良い県にできるということを演説のようにしゃべりまくった。

 そして、年が明けて順調に準備が進み始めたころ、勝谷が四ツ谷の居酒屋で田中康夫さんに出馬の報告をしながら呑んでいたところに、安倍晋三首相から電話があった。兵庫県知事選挙への出馬を延期してくれないか、というお願いだった。

 安倍首相が第一次政権で失脚したあと、故三宅久之氏の仲介で故やしきたかじん氏と3人で会い、そこから親交を深めていた勝谷にとって、安倍首相からのお願いを突っぱねることはできず、選挙に出ることをいったん諦めた。

 このとき、直後に私に電話をかけてきて、「今さ、田中さんと呑んでいたんだけど、安倍さんから電話があって、選挙に出るのをやめてくれって言うんだよ」と興奮気味にまくしたてた。驚いた私は「で、なんて答えたんだよ」と聞くと、「だって、俺と君が初めて会ったきっかけを作った田中さんと呑んでいたときに、首相から電話があったんだぜ。これは運命だよ。やめるって言っちゃったよ」と言うので、私は椅子から転げ落ちた。

 この後、わずか二週間で勝谷は「やっぱり選挙に出る」と言い始め、安倍首相に報告をし、出馬の準備を始めた。安倍さんが「私の立場では応援はできませんが健闘を祈っています」と言ってくれたと、嬉しそうに知事選前の講演会で話していた。しかし、ときはすでに4月下旬。7月2日の選挙までには2カ月強しか無く、さらに悪いことには、一度出馬をやめたことによって、最初に準備していた最強チームは解散し、勝谷の他は私とマネージャの田井地君しかいなかった。

 このあとの顛末は、『64万人の魂 兵庫県知事選記』(西日本出版)に、勝谷の目から見たドキュメンタリーとして細かく記述されている。

 結果として、約560万人を有し、北は日本海、南は瀬戸内海のふたつの海に挟まれた広大な兵庫県での戦いに勝つことはできなかった。

 これまでの流れを見ていると、勝谷は「政治家になりたかった」というよりは、「政治家という自分に生まれ変わりたかった」のではないかと思う。もちろん、そのベースにあるのは郷土愛だ。安倍首相から「代わりに参院選でも衆院選でも、好きなところから出られるようにします」と言われても、国政は断り故郷の政治家にこだわった。

 2000年に田中康夫さんによって火がついた「政治家」への夢は、2017年7月2日についえた。それからしばらくは「今度の***選挙に出てみようか」と本気とも冗談ともつかないことを言っていたが、私が「だったら、まずは知事選の総括をしろよ。俺は二度とやらん」と突き放すように言っていたからか、徐々に話すこともなくなった。「選挙中に断酒できたら考えてもいいよ」と言うと、「じゃあ、やらない」と不貞腐れたこともあった。


勝谷は愛される政治家になれたのだろうか

 兵庫県知事選挙で、我々の陣営では4回ほど情勢調査を行ったが、ダブルスコアをつけられていた状態から伸びてきて一度は並んだ。若干タイミングが早すぎたため危機感を持った私は、周囲に「まだ(並ぶのは)早すぎる」と言っていたが、自公民社推薦を受けた現職陣営は焦り始め、凄まじい組織固めを行い、5期目をものにした。

 その後の勝谷の様子を見た人から、「やっぱり知事にならなくて良かったんじゃないか」という意見がいくつも届く。確かに、その後の凋落を見るとそう思うのも無理はない。

 しかし、私は「案外良い政治家になったのではないか」と思うのだ。教養と経験は比類なきものを持ち、周囲におもねること無く論戦で負けることもない。弱者の立場にも立てて、右から左まで思想信条を超えて議論ができる。一番心配な酒も、マスメデイアに引っ張りだこだった時代のように、昼は業務に邁進し、夜になって呑む生活に戻れたかもしれない。県民にも愛されたのではないか。

 これは、そばで勝谷を見てきた私の希望も多分に入っているのだろう。実際は、キレまくり、調和を乱し、議会全部を敵に回して不信任を出されていたかもしれないが、本当のところはわからない。

 私は、勝谷がメディアに出まくっていたころに言われたことが頭にこびりついている。

「俺はさあ、日記(有料配信メール)や、『血気酒会』(ネットライブ番組)では放送禁止用語もめちゃくちゃ言うじゃない。でもね。テレビやラジオでは、ちゃんと使えることばを分けているんだよ。場をわきまえているんだよ」。

 愛される知事になっていたのか、嫌われて失脚することになっていたのか、今となってはもうわからない。ひとつ言えることは、話題に事欠かず、歴史に名前が残る知事になれただろうということだ。

 それでも、今ごろ天国で「あなたが政治家にならなくて良かったよ」と母に言われて笑っていることだろう。

筆者:高橋 茂

JBpress

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