大麻中毒なら大量殺人でも無罪か?

12月27日(金)6時0分 JBpress

放火された京都アニメーション第1スタジオを肩を寄せ合って見つめる女性(写真:AP/アフロ)

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 年が明けた2020年の1月8日、「津久井やまゆり園大量殺人事件」の初公判が開かれると報道がありました。

「津久井やまゆり園大量殺人事件」は、2016年7月26日、神奈川県相模原市の特別養護施設「津久井やまゆり園」に、元同園職員の男が侵入し、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた凶悪事件、ご記憶の方も多いと思います。

 初公判を迎えるまで、2年6か月の年月を要したことから、事実認定だけでも膨大な時間がかかったことがうかがわれます。

 この裁判で、被告の弁護側は「犯行当時、被告人は心神喪失状態であった」として、無罪を主張することを、共同通信が伝えています。

 その根拠として、被告人は事件前に精神病で措置入院させられており「大麻精神病」と診断されていたことが挙げられています。

 こうした主張が成立するなら、今後、犯罪を犯そうと思う人は、あらかじめ大麻中毒などになっておき、そのうえで凶悪犯罪を犯して「心身喪失状態でした」と言えばよいことになりかねません。

 結局この主張は、有期刑で争っても勝ち目などないことから、責任能力がない「無罪」で1審を迎えようという、法廷戦術的、テクニカルな作戦の選択と言わざるを得ません。

 当然ながら、裁判員裁判では一般国民が審理に参加し、検察側は最高刑を求めることが予想されます。

 法律はずぶの素人である多くの裁判員は、一度見ると生涯脳裏に焼きついて離れないような証拠確認にも参加し、体調不良で裁判員を辞退するケースが続出する可能性も考えられます。

 結局、それ相応の1審判決が下って終わることでしょう。

 無意味だと思いませんか?

 私は無意味と思います。形骸化した「裁判儀礼」に空疎化してしまっている。

 私が「津久井やまゆり園裁判」を問題視するのは、もうすぐ同様の、さらに規模の大きな裁判として「京都アニメーション放火大量殺人事件」の公判が予想されるからです。

 その推移を念頭においても、再発防止という法の大きな目的に照らして、全く意味がないことを憂慮するからにほかなりません。


いまだに逮捕状も執行できず

 京都アニメーション放火大量殺人事件の実行犯と思われる人物は、犯行のあった2019年7月18日からまる5か月を経て、いまだ逮捕状が執行されていません。

 犯行から4か月を経た11月14日、集中治療を受けていた大阪府の医療施設から、よりコンパクトな京都府内の病院に身柄が移送されたとの報道があり、これに先立って11月8日、大阪の病院内で初めて事情聴取を受けたとされます。

 京アニ事件の実行犯は「人からこんなに優しくしてもらったことはなかった」などと院内で看護スタッフに感謝の言葉を述べたと伝えられ、事情聴取では「どうせ死刑になる」などとも発言したとの報道。

 このような普通の意味でまともなやり取りができているわけで「責任能力」が問われることは間違いないでしょう。

 しかし、3歩下がって考えるなら、京アニ砲火殺人事件は動機とされるものから犯行の一部始終、そして犯人自身が重症を負うなど、ありとあらゆる細部が「まとも」ではない。

 狂っているとしか言いようがない犯罪で、到底容認されるものではありません。

 こうした犯罪が発生したとき、私たちが第一に考えるべきことは、被害者の救済と再発の防止です。

 その観点に立つとき、これら「完全に狂った実行犯」たちを、被害者感情に任せて縊り殺して罰したとすることに、どれほどの再発防止の意味、あるいは損害賠償の有効性があるか・・・。

 何一つないことは誰の目にも明らかでしょう。法制度に穴が開いていると私は考えます。


一人歩きする条文

 読者の中には、私が「死刑廃止論者」であると思っておられる方があるかもしれません。実際、SNS上で罵倒のような形で「死刑廃止論者」と言われたことがあります。

 しかし、私は生まれてこの方、一度として死刑を廃止すべきだと言ったことはありません。

 親しい友人に、死刑廃止に向けて活動している弁護士なども多数あり、生涯の恩師というべき團藤重光先生も「死刑廃止」を主張されましたが、私は意見を異にしています。

 もちろん「死刑存置論者」でもありません。そもそも私は音楽屋です。論者などにはなりません。

 私が唯一記してきたのは「死刑執行の停止」すなわち「運用」の問題、それだけに尽きます。

 死刑制度をどうこうと、制度など動かしたところで、外道なことは外道なこと、繰り返されると思います。

 私がもっとも強く批判するのは、恣意的な死刑の「活用」「悪用」です。

 2011年、團藤重光教授とホセ・ヨンパルト教授の推薦で、読売新聞の田中史生記者と私は、EU本部が主催しドイツ連邦共和国がホストする、死刑制度に関する研修に、日本国の代表として指名され、3週間ほどにわたる実地研修に参加しました。

 この研修は徹底したもので、1945年ニュルンベルク裁判に参加した判事さんとも1時間ほどサシで議論ができました。

 また、テーゲル監獄の独房内で、収監者と膝を突き合わせて一問一答を交換するなど、生涯忘れない経験をたくさんしましたが、いまだ表に十分な結果をフィードバックできていません。

 オフィシャルには、読売新聞の田中記者が「死刑」連載に社会還元してくれているので、その先を、と思いながら、なかなか果たせません。

 世界各国で死刑が廃止される最大の理由は、処刑の政治利用を禁じることにあります。

 例えば北朝鮮で、謀反人と名指しされた元高官が、公衆の面前で高射砲で身体がバラバラになるような方法で処刑されるといったことは、一つの問題になります。

 あるいは、政治家の選挙に先立って、強い政府を印象づけるべく、大量の確定者を一挙に処刑し、その情報をマスメディアで逐一報道する、メディア濫用の実質公開処刑などということも、およそ国際社会の容認するものではありません。

 先日、日本を訪れたローマ法王フランチェスコは2018年8月、教令によって死刑制度というもの、そのものをカトリックでは違法である、とする教令の改訂を行いました。

 これは本当に大変なことで、全世界のキリスト教1990年ほどの歴史を通じて、かつて存在しなかった教令を発布したことになります。

 日本国内での死刑執行は、諸般の事情にかんがみ、役所の都合としてかなり恣意的に時期が左右されます。

 国会が会期中だから、天皇が即位するから、海外から要人がやって来るから・・・といった理由に始まり、執行後の刑吏に出す休暇の都合があるから、といったことに至るまで、細々とした現実によっても左右されます。死刑確定者の事情は考慮されません。

 死刑のことを知らない人は、割り方簡単に「悪い奴は死刑にしてしまえ」などと言われる傾向がありますが、執行後の後処理を担当させられた元収監者など、死刑の現実を知る人は、大半が「やめてほしい」という思いを持つようです。

 私も同様で、やめてほしいという一念、死刑制度云々以前に、単に吊るすこの制度の「運用」そのものを停止する法案などが成立すれば、どれだけ人道的かと思います。

 だからといって、何でも無罪放免なんて私が思うと勘違いされるなら、トンデモない誤解であって、実行犯にはそれに応じた責任をきちんと取らせ、さらにはまともな償いを被害者、関係者などに全うする必要があると思います。


「責任能力ある狂人」をどう罪するか?

 冒頭の「津久井やまゆり園」事件の犯人は、大麻中毒で奇矯な行動をとる面があるとも伝えられますが、大麻で殺人がOKなら、解禁されているアムステルダムなど街の中が死屍累々としていることでしょう。

 どこかの政治家夫人が大麻解禁に熱心であったような気がしますが、実際、江戸時代以前の日本では「木こりの安らぎ」などと呼ばれ、たばこ同様、マリファナの喫煙は一般的であったとも伝えられます。

 大麻精神病が何であるのか、幸か不幸か私は一切了解しませんが、「裁判はどのような場と考えるか?」と問いかけられて、

「基本的には迷惑をかけてしまった方々にお詫びする場」と答えたという津久井やまゆり園事件の被告人は、十分「まとも」な分別、つまり責任能力を持っていると思われます。

 多くの被害者家族などが法廷に足を運ぶだろうと予想される法廷に立つことは「気まずいでしょうね」「反省していないと言われるのもちょっと違う」などと反応しているようです。

 このように十二分に責任能力のある人間が、特殊な思い込みによって行為を正当化、観念を固定化させており、処置する手立てが見つかりません。

 ちょうど「ジハード」や自爆テロ、特殊奇襲攻撃の類がそのようにマインドコントロールされるのと同様です。

 4月時点で、津久井の被告人は「無罪ではないと思うけど。死刑が下されるような行為でもなかった」と述べていました。

 私には第2次世界大戦中のドイツで絶滅政策に携わった人間の調書と同じ意識であると思われました。

 有名なアイヒマン裁判では、高級官僚でデスクワークに終始し、現場に出ていなかったアイヒマンが、犯罪者であるユダヤ人に対して公務員として措置しただけで、死刑が下されるような行為とは思っていなかった思考の経緯が明らかにされています。

 日本の司法制度は、アイヒマン裁判のような徹底した原因究明や再発防止を十分ミッションとして明確化できていません。

 京アニも、津久井やまゆり園も、無罪など言語道断で、適切な被害者救済と再発防止の手立てが徹底されなければならないのは、誰の目にも明らかでしょう。

 そしてそのような司法制度に、現状の日本が全くなっていないことが問題であると、刑法の團藤重光教授は生涯強調され「死刑廃止」を主張されました。

 私は死刑についてはモラトリアムとしてこれを論点とせず、再発防止に向けて現実的な司法制度の拡充、すなわち未来に建設的に資する方途に限定して、重要性を一番に考えるというスタンスです。

 建設的な法律の議論が高まることを願ってやみません。

筆者:伊東 乾

JBpress

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