今や体外受精出産大国、中国初の試験管ベビーがお母さんに!=中国メディア

4月23日(火)16時12分 サーチナ

かつての試験官ベビーが成長し、無事に赤ちゃんを産んだということが中国で話題になっている。(イメージ写真提供:123RF)

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 4月15日、中国の病院で元気な男の赤ちゃんが産声をあげた。お母さんとなった鄭萌珠さんは、中国で初めて誕生した「試験管ベビー」の第一号である。かつての試験官ベビーが成長し、無事に赤ちゃんを産んだということから、中国で話題になっている。

 今から31年前、鄭さんの母親は卵管閉塞により妊娠ができなかった。しかし、どうしても赤ちゃんが欲しいという強い思いを持っていた。たまたまラジオで得た「卵管閉塞でも妊娠できる」という情報を頼りに、甘粛省の村からはるばる北京を訪れた。北京の病院を転々とした末、とうとう北京大学第三医院に辿り着いた。北医三院では、欧米に遅れること10年、まさに不妊問題の解決に向けて体外受精の研究が進められていた。海外では、1978年のイギリスにおいて、世界で初めての体外受精出産が成功していたが、中国ではまだ成功例がなかった。

 鄭さんの母親は当時、試験官ベビーという言葉すら知らなかったが、試験管ベビー科学研究チームのチーム長であった張麗珠医師に最後の希望を託した。

 今日でこそ、体外受精で生まれる赤ちゃんは珍しいものではなくなったが、当時の中国においては設備も技術も深刻なほどに欠如しており、すべてが手探りだった。超音波エコーがなかったため、張医師が提案したのは母親のお腹にメスを入れ、卵巣から卵子を取り出す方法だった。しかし、採卵針は当時医院に1本しかなく、針先が鈍くなると付近の時計店に持ち込んで研いでもらうような使いまわし品だった。また、専用の保温設備もなければ培養液もなかったため、保温設備は魔法瓶で代用し、培養液は医師自らが処方に照らして調合するといった有様だった。

 しかしながら、多くの困難を乗り越えて卵子は順調に成長し、無事に母親の胎内に戻された。そして、医師たちの手厚いサポートを受け、1988年3月10日、中国初の試験官ベビーとして鄭さんが誕生したのである。

 「カタチになる前から私は注目の的だったのよ」と鄭さんは言う。医院には彼女が取り上げられた時の写真が飾られ、彼女の誕生ストーリーは学校の教科書にも載せられた。自然と好奇の目が向けられることとなったが、自分は普通の人とまったく変わらないと鄭さんは言う。しかし大学を卒業後、生まれ故郷ともいえる北医三院の生殖センターで働くことを決めたのは、自分の使命がそこにあると考えたからかもしれない。

 「体外受精は必ず成功するわけではないので、焦っている患者さんもいる。そんなときは、おしゃべりしたりして気持ちをリラックスさせてあげるの」、「私が生まれるときは、多くの人が私の両親を支えてくれた。今度は私がそうした家庭の役に立てることがとても嬉しい」と彼女は言う。

 試験管ベビー第一号が誕生してから30年が経ち、中国の補助生殖医学は急速に進歩した。当時、医学生として鄭萌珠さんの誕生にもかかわり、現在は北医三院の院長となっている喬傑医師によれば、中国はすでに世界で最大の体外受精出産国であり、毎年20万を超える試験ベビーが誕生している。こうした補助生殖技術による臨床妊娠率は約40%、無事に赤ちゃんが生まれる確率は30%〜35%に達しているという。

 一方、日本国内で体外受精によって誕生した子どもの数は平成28年度で約5万4千人であり、これは過去最多とのことである。

 晩婚化と高齢出産が増加する昨今、不妊に悩み、体外受精による出産を選択する夫婦は今後も増加するだろう。そのようななか、試験管ベビーとして誕生した鄭さんの出産は、体外受精によって子どもを授かった全てのお父さんお母さんにとっても、きっと喜ばしいニュースであるにちがいない。(イメージ写真提供:123RF)

サーチナ

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