なぜ「大人のやる気ペン」なら“続く”のか? 開発者に聞くその秘密 「データを使って煽るツールにはしたくなかった」
2025年5月28日(水)18時20分 ITmedia NEWS
コクヨ「大人のやる気ペン」(9900円)
ポイントは、試験や趣味のための勉強を“書く”という行為と結びつけたこと。書くことだけが勉強ではないのだけど、そこは文具メーカーとして、ロングセラーにしてベストセラーの「キャンパスノート」のメーカーとして、長く“書く”ことを生活と結びつけてきた矜持(きょうじ)とノウハウがある。単純に“書いている時間”だけを勉強と捉えているわけではなかった。
製品開発を担当したコクヨのやる気ペングループリーダー、中井信彦さんは「実は、書いてる時間自体よりも、考えてる時間の方が大事なんだろうなと思っています。それは子ども向けの『しゅくだいやる気ペン』を作ってるときからずっとそうなんですよ。だから、説明書などでも『書いてる時間』という表現はしていなくて、『ペンを持ってる時間』といった書き方にしています。それを『やる気タイム』としてログを取り、子どもたちの学習への取り組みを可視化しているんです」と話す。
勉強などの書き物を始める前に、この製品を好きなペンに装着して、電源を入れれば準備完了。後は普段通り、勉強を始めるだけだ。この“普段通り”の作業で使えるのも、この製品の大きな特長だろう。
そして、前述したようにペンを持っているだけの状態も「勉強タイム」としてカウントされる。筆記距離や筆記時間を計るのではなく、学習時間全体を計るために“ペンを持っている状態”も含むというのは、この製品の発明だろう。
実際、大人の勉強(趣味も含む)では、ぼんやりと考えている時間というのも重要だったりするのだけど、ただぼーっとしているのと、考えている状態の境界を、ペンを持って机に向かっているというところに置いているのが、個人的な感覚としては、とても正しいと感じている。
実際、原稿を書く時にしても、キーボードの前に座って、指を置いたところからが、頭も本格的に動いている感じがする。もちろん、ぼーっと寝転がっていても原稿のことを考えたりはしているのだけど、それを文章という形にしようと思うのが、キーボードの前やノートの前だ。
で、そういう状況になって初めて、ぼんやりとしたアイデアや文章が具体的な形になっていく。で、書き始めることもできるというわけだ。
アイデアスケッチなども、結局は頭の中にあるものにきちんと形を与える作業で、それ自体がすぐに具体的なアイデアになるわけではなくても、少なくとも形にしようという意識にはなるわけで、それはもう作業だし勉強だろう。そこにコクヨが着目できたのは、先に子ども用の「しゅくだいやる気ペン」を開発していたからでもあると思う。
「小学生がどれくらい勉強しているのかっていうのを、すごく細かく、解像度高く調査しています。低学年だとよく言われるのが、学年×10分というもの。製品は勉強が苦手な子向けに作っているので、基本的には5分くらいペンを持って問題を読んで、5分書いたらもう終わりという、そんな感覚で使える製品作りからスタートしているので、その5分、10分の持続を励ますツールにしているんです。その部分は、実は子ども向けも大人向けも変えていません」
何かを競うとか、達成感を提供するのではなく、次の日もやろうとか、続けようという気になる手伝いをするツールというのが、この「やる気ペン」シリーズのポイントなのだろう。だから、この製品には学習の効率化とか、合理化、競争意識といった考え方が存在しない。
「アプリでは、勉強量がスゴロクのような形で表示されるのですが、そこも5分もやれば必ず1マス、2マス進めるようになっています。子どもって、グラフで見るという習慣がそもそもないですし、グラフで見ちゃうとなんか嫌になっちゃうんですよね。だから、『しゅくだいやる気ペン』のアプリでは、子どもが見る画面には数値化されたデータは一切見えないようにしています。親が見る画面にはグラフがあるんですけど、それも一週間を振り返って、何曜日にどれくらいやってるのかな? といった感じを把握する程度の解像度の低いグラフなんです」
細かくデータを取る方向に進むと、例えばこちらのテキストを何分やって、こっちは週に何時間とか、そういう部分まで踏み込みたくなってくる。大人向けにそういうデータをユーザーが管理できるようにすれば、来週はここを重点的にやろうといった、未来の学習計画に役立てることができるかもしれない。
ただ、それだと、今やろうとしていることとは違うものになる。そこは今後の別の製品開発の課題になるのかもしれない。
●データをあおるだけのものとしては使わない
「仮にデータを細かく管理できるサービスを有料化して提供するとか、まだ足りていない部分を補うようにできるかもしれません。ただ、管理という部分を細かくできるようにする方がいいのかというと、それもまた違うという気もしていて、あえて足りなくしている部分もあるんです。データ管理を細かくできるようにするなら、今度は細かくできたことの意味が必要になります。その細かいデータがアウトプットとして何につながるかっていうことが大事だと思います。その出口まで作って初めてサービスになるかなと思ってるところです」
このデータを、単にあおるだけのものとしては使いたくないという姿勢が根本にあるのは、このツールが、まずは勉強が苦手な子どもに向けて開発されたからというのがあるのだろう。そして、勉強が苦手な子どもと、仕事や生活に追われて、勉強する時間を取るのが難しい大人というのは、案外、行動様式に共通点があるのかもしれない。
学生時代を振り返っても、何だか知らないけど勝手に勉強できる人というのはいて、そういう人はちゃんと遊んだりもしていて「やる気」なんて必要としていなかった。同様に、やる気にあふれている人や根性がある人も、モチベーションを上げる必要はないのだろう。
私が、この製品を面白いと思う最大の理由は、それができない人ができるようになるための道具ではなく、できない人がそれでも何かを続けるための手伝いをする道具として作られていることなのだ。
「データが取れるからと何でも取り入れてしまうと、それはあおるためのツールになっちゃうんですよ。人によっては、そういうデータを見るとやる気がなくなることもあると思うんです。アプリのコミュニケーション機能を緩いつながり程度に抑えているのも、比較になってしまうのを避けたいからなんです。他人と関われると刺激になるというのも確かにあるとは思うのですが、そこに一歩踏み込むと、モヤモヤとした複雑な感情が渦巻いていたり。だから、取ったデータをどう皆さんに改めて価値として提供するか、という部分は慎重にならないといけないというのを、このチームの中で、今、感じているところですね」
今回の製品について、最も考えて、こだわった部分というのが、こういうデータをどう扱って、あおるツールにならないようにするかといった部分だったと中井さん。だから、アプリのコミュニケーション機能の部分は、カード形式の自己紹介的なものにとどめてある。そうすることで、様々な形での勉強へのアプローチを知ってもらえれば、「勉強はこうであらねば」といった固定観念から開放される人もいるかもしれない。
しゅくだいやる気ペンは、小学校低学年からのツールなので、基本的に鉛筆を使うことが前提でデバイスが作られていたけれど、大人のやる気ペンでは、ボールペンや万年筆などにも付けられるコンパクトなデバイスになっている。そうすることで、ハードウェアを付けているという負担を感じにくくすると同時に、自分の愛用の筆記具、勉強用の筆記具を使えるようになった。
私は、トンボ鉛筆の「MONO Work」という1.3mmのシャープペンシルに装着している。手書きで行う作業は、主にこのペンで行っていたので、それがそのまま使えるのが有り難い。また、他の人が、どういうペンに付けているのかも、文具好きとしては気になるポイントで、他ユーザーとのコミュニケーションは、それくらいがちょうどいいと思う。その意味でも、好きなペンに付けられるというのは、大人のツールとしてよくできている。
「『しゅくだいやる気ペン』の時は、まだ、充電器とデバイスという今の形ができるテクノロジーがなくて、一週間は持つバッテリーを内蔵せざるを得なかったんです。それで、どうしても本体が大きくなったんですけど、今回は充電ケースとデバイスという形を取れたので、小型化することができました。大人だと、やる気の出る筆記具ってそれぞれにみんな違うんですよね。だから、いろんなペンに付けられるというのは重要だと考えています。文具好きじゃなくても、勉強にはこの筆記具を使いたいというのは、結構誰にでもあるみたいなんです。理想を言えば、もう少し軽くしたかったというのはあるんですけどね」
個人的には筆記時にストレスになることはほとんどない。私は、ペンのほぼ中央辺りに設置して使っているが、この付ける位置も人それぞれに好みが違うのだという。好きな位置に付けられる仕様が正解だったということだろう。
そしてゴムの内側を空洞化して軽量化したり、表面が少し凹んだ曲線にすることで、指に当たったときの不快感を軽減するなど、筆記具に装着して使うことへの配慮が行き届いているのは、さすが文具メーカーといったところ。ペンのどこに付けても、同じようにデータが取れるそうだ。
●大人の勉強の一番の敵は孤独感
「子ども用に作った『しゅくだいやる気ペン』を使って勉強しているという大人が結構いるということから、『大人のやる気ペン』の開発が始まったんですけど、僕らも大人がどんな風に勉強してるかとか、どんな気持ちなのかというのは全然理解できてなくて。ユーザーのお話を伺いながら、掘り下げていったんです。そこで感じたのは、子どもの勉強の場合は、親からのフィードバックというのが重要で、だから、データを親と共有するスタイルで作ったんですけど、大人だとそうはいかないということ。基本は個人であって、他人との距離感も親ほど密接になってしまうと、それは近過ぎたり。そこを、ちょうどいい距離感にすることで、個人をすごく大切にするような仕組みにしたつもりなんです」
多分、大人の勉強の一番の敵は、個人的な作業だからこそ生まれてしまう孤独感にあるのだけど、だからといって、あまりに踏み込まれるのは、それが例えアプリであってもうれしくはない。
「リサーチを進めるにつれて、すごく孤独に感じてるんだなということが分かってきました。でも、誰かと机を並べて勉強したりとか、そういうのでもないんだな、というのもよく分かってきて、そのあたりの孤独感みたいなところにどれだけ寄り添えるかが、開発の一つのテーマになっていきました。だから、勉強時間をめちゃくちゃ伸ばすといいことあるみたいにはしてないんですよね。地道に一歩一歩いていくと、別の形で地道に頑張っている人たちに出会っていくという、あえてシンプルな設計にしてあります」
そんな風に、勉強というもの自体が持つ多様性のようなものに向き合った設計のおかげで、大人のやる気ペンは、一日10分でもいいし、TOEICの勉強みたいなガッツリとやるのもいい、という製品になっている。それが、この製品の何よりの魅力だと思う。モチベーションの持続と、孤独感をほんの少し和らげてくれる距離感でのコミュニケーション。
中井さんは「アプリ内では、叱咤(しった)激励をしてくれるキャラクターが進捗に応じてコメントをするような仕掛けがあるのですが、ちゃんと欲しいところで褒めてくれて、叱るところはちゃんと叱るというバランスには、とにかく注意しました。とにかく、これを使うことで、行動が変わっていくような、そんなデータの使い方を考え続けるのが、ぼくらの仕事だと考えています」と話す。そして、この製品開発は、売ってからが面白いとも。アプリにデータがたまったり、フィードバックが寄せられたりすることで、分かってくることが次の製品に生かせるのだそうだ。
デバイスがあって、データを集められる環境が整った。実は、これからがこの「大人のやる気ペン」という製品の本領なのかもしれない。