活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く 第37回 写研・書道部が残してくれたもの

9月10日(火)10時0分 マイナビニュース

大阪で書道の基礎を身につけた橋本和夫さんは、東京で近藤秋篁氏に師事し、いくつもの書道展に出展した。やがて師に「書を続けるか、活字制作の道をいくのか」と問われ、活字制作の道をとる。しかし書道から完全に離れたわけではなかった。

橋本さんは1970年代に入った35歳ごろから、毎週日曜の午前中、自宅の一室で近所の子どもたちに書道を教えるようになった。

「人に教えるためには、自分が理解していなくてはなりません。教えることは学ぶこと。書道教室は、写研を定年退職する前まで続けていましたから、25年以上はやっていました」

橋本さんの書道教室は子どもを対象としていたが、時折、おとなが来ることもあった。そのうちの一人が、現・字游工房の書体設計士 鳥海修氏だ。

鳥海氏は1979年(昭和54)に写研に入社し、文字部原字課に配属されていた。著書『文字を作る仕事』(晶文社、2016)のなかで、橋本和夫さんとの出会いにふれている。

〈写研の中で最も美しい文字を作る人は誰かと同僚に聞くと「橋本さんだろう」という答えだった。私はこのときはじめて橋本和夫さんを知ったのだった。橋本さんは文字部原字課の課長で、写研で開発するすべての書体に目をとおし、橋本さんの承認の印がないと製品化(文字盤化)されないほど、文字に対して厳しい目を持っていた。〉

鳥海氏は、折を見ては橋本さんに「文字をつくるうえで書道の勉強は必要か」と質問した。橋本さんの答えはいつも「やらなくてもいいんじゃない?」というものだった。書道そのものや、文字がきれいに書けるということよりも、筆の動きと、それによって書かれた線がどう変化するかがわかればよいのではないか、と。

しかし橋本さんが自宅で近所の子どもたちを対象に書道教室を開いていることを知った鳥海氏は、写研の同僚とそこに通い始めた。さらに、写研に書道部があると知って入部したところ、橋本さんが顧問をつとめていたという。(*1) 鳥海氏は入部後、書道部の部長をつとめた。

「写研・埼玉工場の屋上にあった会議室がレクリエーションの部屋になっていて、そこに毎週水曜日の仕事が終わったあとに集まり、ふつうの書道教室のように机を並べて、2時間ぐらい書きました。原字課の人を中心に、10人ぐらいいましたね」(橋本さん)

最初は「一」「十」といった簡単な漢字から始まり、徐々にむずかしくなっていく。お手本はすべて橋本さんが書いた。

「あとから思うと、週に一度はかならずお手本を書いていたということは、ぼくにとって大事な経験でした。一度は書道展から遠ざかっていましたが、鳥海さんをはじめ書道部のおかげで、また作品づくりに取り組むことができました」

「書道部では春と秋の年2回、展示会を行なっていました。その作品づくりのために、五日市町にある写研の寮で合宿したものです。条幅(*2)などに作品を書いたので、そのお手本も全部ぼくが書きました。活字書体制作の仕事で、いろいろな条件のなかでの活字づくりができるようになったのは、書道の作品づくりで紙の大きさなどの条件にあわせてどう書くかを考える経験を積んだおかげだと思っています」

「書道部のみんなは熱心で、なにかというとみんなで集まったり、うちにもよく遊びに来てくれました。台湾の故宮博物院や、中国の碑林を見に、海外旅行にも行きましたよ」

「書道の文字は、書いた文字です。一方、活字書体の原字は、つくっていく文字です。つくった字をいかに書いた文字に近づけるか、それがぼくたち書体設計士の仕事において大切なことのひとつでした。そして、そのことにとてもこだわっていらしたのは、写研創業者の石井茂吉さんなんです。石井書体はいわゆる活字書体ではあるのですが、いかに書の雰囲気をもたせるかを考えて、手足を長く伸ばし、優雅な雰囲気をもたせた活字書体だったのです。ぼくらはそのエッセンスを、石井先生から、言葉ではなく、書体を通じて教わったんです」

写研には、書道部のほかにも囲碁部や将棋部など、いくつかの課外活動があった。なかでも書道部は、熱心に活動していたという。

「みんな熱心でしたね。ちゃらんぽらんの人はいなかった。仕事で写植文字を描いて、課外活動でまた書道をやって。『字の虫』の集まりみたいなものでした。モジ・もじ・文字の環境のなかで過ごせたことは、すごく幸せでした」

橋本さんは、1995年に写研を定年退職するまで、書道部の顧問を続けた。

(つづく)

注)
*1:鳥海修『文字を作る仕事』(晶文社、2016)P.92-93
*2:条幅とは、縦136cm横34.5cmの縦長・大型の書画用の紙のこと。

○話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

○著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は9月24日AM10時に掲載予定です。

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