どこでもサイエンス (116) 奇跡的偶然が生んだ天才、マイケル・ファラデー

11月15日(水)10時0分 マイナビニュース

19世紀に活躍したイギリスの科学者マイケル・ファラデー(1791年〜1867年)は、ノーベル賞クラスの成果を5〜6個は上げている天才です。アインシュタインはファラデーの肖像を自分の部屋に貼り、敬意を表していたという逸話もあります。そんな天才ファラデーの生い立ちを知ると、まー、なんというか、奇跡的な偶然が彼を生んだんでございますよ。今回は、学びたい! 研究したい! という人には、社会が支援するのが吉! な、話ですー。

えー、昨今ではネットは無線を通じて使うのがほとんどですね。この無線技術の源は、電磁気のサイエンスでございます。その理論を1865年に作ったのがジェームズ・クラーク・マクスウェルなんですが、その理論を作る土台になった現象を実験で発見していたのがイギリスの天才マイケル・ファラデーです。つまりはファラデーの発見がなければ、ツイッターでつぶやくこともできない、いやテレビもラジオもな…まあ、誰か他の人が見つけたでしょうが…少なくとも科学の歴史が10年とかいう単位で遅れたのではないですかねー。

ということで、ファラデーは電磁気についての発見一つとっても天才で、ノーベル賞級なのでございます。ほかにも、有機化学に登場する「亀の甲」でおなじみベンゼンの発見をはじめ、気体の液化、モーターの基本原理の発見、磁場が光に及ぼす「ファラデー効果」の発見、反磁性の発見など、ノーベル賞クラスの発見を数多くあげている、大天才です。っていうか、有機化学とモーターがなかったら、おい、世の中どうなっているんだいというくらいですな。ファラデーさんありがとうってなもんです。

さて、そんな大天才ファラデーですが、どんな生い立ちかというと、えっという感じです。

えー、まず、比較のためにもう一人の天才マクスウェルはというと、父が弁護士で広大な土地を持つ裕福な家庭に生まれ、家庭教師に学び10歳で中学入学。14歳で論文を書いて神童といわれ、19歳でエジンバラ大学を卒業、ケンブリッジ大学も卒業して25歳でアバディーン大学の教授になったというスーパーエリートです。

で、ファラデーはというと、ロンドンの貧しい鍛冶屋の家庭に生まれ、家庭教師どころか小学校も行けず、自力で食べるために13歳で近所のリボーがやる店に雇われます。この店は本と新聞を売り、製本もするというところでした。ファラデーは使い走りをしていましたが、14歳からは製本職人としての年季奉公に入ります。リボーはファラデーがまじめなので支度金を要求しなかったそうです。そして、21歳まで年季奉公をすることになります。製本の職人としての修業をしていたんですな。まあ、マクスウェルとは大違いですな。

が、ここからがファラデーの奇跡のはじまりでございます。まあ、読んでくださいませー。

ファラデーは、製本の仕事をしながら、本の中身も読むようになります。お客さんからあずかった商売ものですが、リボーはとがめず、応援したようなのですね。さらに、だんだん中身、特に科学に興味をもったファラデーはわずかにもらう小遣いを工面して、実験などをするようになったそうです。場所はリボー家の暖炉の前だったそうです。

さらに、19歳のころ、近所でジョン・テイタムという金工職人がやっている市民向けの科学教室のはりがみをみて、参加したくなりました。わずかな参加費が出せないので兄に出してもらい、教室がある水曜夜は主人のリボーに仕事から外してもらったようです。兄は父の鍛冶屋をついだようで貧しかったのですが、弟のために金を出し、リボーもファラデーに休暇を与え、テイタムも熱心に通うファラデーを認めて仲間として遇したのだそうです。また、この教室を通じて何人かの仲間を得るようになります。

ちなみにファラデーは物忘れが結構ひどく、メモを取る習慣が自然とついたようです。のちにファラデーの実験ノートの精緻さは高く評価されるのですが、しょうがなくやっていたようでございます。

また、リボーの店にはいろんなお得意客がやってきましたが、その中に王立管弦楽団の創設者でもあるピアニストのダンスという名士がいました。熱心なファラデーのことをリボーから聞いた、ダンス氏が、英国王立研究所で行っている高価な科学講座のチケットをファラデーにプレゼントするのですね。

英国王立研究所は現在でも存在していますが、科学講座の売り上げを運営資金にあてていたんです。なんというか今でいえばTEDみたいな感じですが、有名科学者の講座を聴きに大勢の人が高価なチケットを購入しておしかけていたようです。王立といいながら、国からそんなにお金はもらっていなかったようでございます。なので「王立じゃなくて王認というべき」という研究者もいらっしゃいますな。

この王立研究所で、ファラデーは、デービーという当代一流の科学者の講演を聴きます。彼は熱心にノートをとり、それを清書してデービーに贈りました。これでデービーに目をかけてもらえるようになります。

まもなく、ファラデーは職人としての独り立ちができることになり、リボーの店から別の店に移るのですが、そこではリボーのような理解者はおらず、ファラデーはサイエンスしたいー、学びたいという思いが募ります。テイタムの教室の仲間とも相談していたようですな。

で、ここで運がいいことにデービーの助手がクビになったので、代わりにファラデーが雑用係として住み込みで雇われることになるのです。ファラデーは実験の雑用から、助手として認められ、さらには自分で実験をして発表して、それが認められという感じになっていきます。そのうちデービーには疎まれるようになるのですが、そのころには名声が知られるようになり、科学者としてやっていけるまでになったのですな。

そして、モーターやらベンゼンやら電磁気学やらの発見が、世の中に出るようになるというわけでございます。

それにしても、学歴なしのファラデーが大科学者になるためには、まずはリボーのところで本が読め、リボーがファラデーを応援したこと。テイタムが市民講座をやっていて、その参加費を兄がだしてくれたこと。市民講座で仲間を得、応援してもらったこと。ファラデーが忘れっぽいのでメモ魔となったこと。リボーの店のお得意のダンス氏が王立研究所の講座のチケットをくれたこと。ファラデーが清書や製本の技術をもっていて、それが講座のデービーに認められ、のちに王立研究所にファラデーを雇ったことなど、まあ奇跡的な幸運の連鎖があったからとしかいいようがありません。

なかでも、貧しい彼に学問はいらないとか、自分で稼げとか、商売ものに手を出すなとかいわずに、応援したリボーほか周囲の人たちの手助けが決定的です。また実力を認めたデービーやテイタムも人物だったわけですな。

ともかく、学びたいという人には、支援に出会うようにすれば、これからもファラデーのような人がでて、私たちに科学を楽しくしてくれるにちがいないと、そう思うわけでございます。

ちなみに、ファラデーはデービーの後に王立研究所で実験講座をするようになります。非常に人気であり、科学の楽しさを多くの人に広めました。彼は講演の達人であり、そのプレゼンについての書籍もでているんです。内容は、「つかみが大切」「ビジュアルを活用、実験をやれ」「原稿よみながら話すな」など、今でも通用するものでございます。

なかでも、ファラデーが育てたともいうべき、王立研究所の少年少女向けのクリスマスレクチャーは1825年からいまでも続いており、当代一流の科学者が講座に上ることで有名です。日本でのファラデーにとってのダンス氏のような存在は、某新聞社がやっているようでございます。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。

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