Facebook上でのセクハラ告発は私事か、公の関心か? #MeTooが米の「名誉毀損訴訟」裁判を変えるかも
2022年11月26日(土)19時15分 GIZMODO
ミネソタ高等裁判所 Photo: Wikimedia Commons
名誉毀損訴訟。読んで字のごとく、名誉を毀損された!と訴えることです。悪口言われちゃったなんて話ではなく、社会的評価に傷をつけられたというレベルのもの。今、アメリカで進行中の名誉毀損訴訟が、前例なき焦点を検討しており、判決しだいでは名誉毀損の司法的取り扱いが変わるかもしれません。
問題になっているのは、Johnson氏 vs. Freborg氏のセクハラをめぐる個人訴訟。セクハラ告発の場がFacebookの#MeToo運動の中だったことが、本件の難しさの原因となっています。#MeTooという広く拡散されたハッシュタグを用いたSNSが「公の場」とみなされるか否かが、本件の焦点。この視点で高等裁判所が#MeTooを扱うのは初めてと言われており、判決しだいではオンラインの告発は名誉毀損にあたらないとされ、ネットのさまざまな活動に(よくもわるくも)影響を与えることとなります。
「公の関心事」とされる事件では、名誉毀損を訴えるのが難しくなっていた名誉毀損訴訟で歴史に残るのが、1964年のニューヨーク・タイムズ対サリヴァン事件。連邦最高裁判所が「現実的悪意」を確立。裁判の詳しい内容は割愛しますが(Wikipediaやら検索結果やら読み進めていくと非常に面白く勉強になる事件です)要は、公になされた発言(この場合はNYTの報道)に偽りがあったとしても、偽りがあると認識した上で発したのか、知らずに発したのかを「原告側が」(サリヴァン氏側が)証明する必要があり、この証明なくして、公に発せられた内容に偽りがあるというだけでは名誉毀損訴訟は成り立たないというもの。このケースでは、サリヴァン氏=公務員という特殊事情があったのですが、これ以降、公務員に限らず「公の関心事」とされる事件では、名誉毀損を訴えるのが難しくなりました。
#MeTooは公の場・公の関心事なのか?Johnson氏 vs. Freborg氏の裁判が行なわれているのはミネソタ州。ミネソタ州高等裁判所は、今、何十年も続いてきた名誉毀損訴訟における「公」の概念を、今日のソーシャルメディアという場に適用させるかどうか、どう適用させるのかという非常に複雑な判断をすることになったのです。
名誉毀損訴訟は、NYT対サリヴァン事件で確立された「現実的悪意」が適用されると棄却されてしまいがちなのが米法曹界あるある。Freborg氏の訴訟も同じです。第一審では、ハッシュタグの活用のされかたや、FBへの投稿内容を鑑みて、セクハラ主張が私的な問題から公の関心ごとに変化しており、「現実的悪意」を証明するのは不十分と判断。
一方、ミネソタ州控訴裁判所はこれに反対。公の関心ごとは、適切な報道や、政治的、社会的、地域的な問題を含むのが一般的であり、本件にはそれがないと判断したのです。絶対ではないそうですが、公の関心ごとかどうかを決めるとき、メディアが報道したかが基準になることが多いとのこと。ただ、これは1960年代からのやり方であり、メディアとは従来メディアのこと。インターネットやスマートフォンが日常にある今、適切な報道の定義は変化しておりこれまた扱いがむずい!
控訴裁判所は、#MeToo運動が重要な社会運動であること、ソーシャルメディアへの投稿が多くの人にリーチできる可能性があることには疑いないものの、両者の関係性や、FB投稿前には本告発について公の議論や報道がなかった点を強調。かつ、FB投稿のコメント欄で多くのディスカッションが広がったものの、裁判所としてはこれが従来のメディア報道と等しい公的関与にはならないと判断。結果、Johnson氏 vs. Freborg氏のケースは、公の関心ごとではなく私的な問題であり、つまり「現実的悪意」を証明する必要はないと判断したのです。
反対意見もあったちなみに、ここで重要なのはこの判断は控訴裁判所全員一致ではなかったということ。Sarah Wheelock判事は、ネットの#MeToo運動の一環である投稿に大多数が適切な評価を下していないと反対意見書を提出しています。告発は私的事という大多数の意見に対して、そもそも#MeToo運動とは、セクハラ行為を暴露し、隠されてきた個人の秘密に光を当て対抗することにあると、反対派は主張。#MeToo運動はSNSの便利なハッシュタグではなく、多くの女性が自身の経験を公に打ち明けるツールとなったとし、本告発が私的なこととして取り扱われ得ることに反対しました。
で、やっとイマココ。今、本件はネソタ州高等裁判所にあります。争点は、2人の個人の間で起きたセクハラ行為が、SNS投稿と#MeToo運動を介して公の関心ごととなるのかどうか。従来のメディアによる報道とSNSコメント欄でのディスカッションが社会の関心としてどれだけ比較されるのか。
ミネソタ州の判決、どうなるのでしょう。