ベスビオ火山の犠牲者の苦しみが見ててつらい。ポンペイで発掘された新たな遺体

11月28日(土)23時0分 GIZMODO

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ポンペイの遺跡とベスビオ火山 Image: Wikipedia
古代都市ポンペイの近くで発掘作業を行っていた考古学者たちは、西暦79年に起きたベスビオ火山大噴火から避難しようとしていたと思われる男性2人の遺体を発見しました。
2000年近く前にベスビオ火山が噴火した際、周辺に住んでる人々は火山にだまし討ちされる形となってしまったのです。
※本記事には古い遺体の写真が掲載されています。ご注意ください。
ローマ時代に噴火したベスビオ火山噴火は2段階で発生し、まずは大量の軽石と火山灰が降ってきました。この地獄のような雨が18〜20時間ほど続く間、近隣の町や村の住民は落ちてくる軽石から避難する場所を探し求めていました。ようやく噴出がやむと、今のうちに逃れようと火山灰の厚い層を走り抜けていく者もいたとか。彼らは知る由もありませんでしたが、まだ最悪の事態が待っていたのです。
第1段階末期からおよそ1時間後、ベスビオ火山は息を吹き返し、凄まじい火砕流(超高温な火山灰、溶岩と火山ガスの高速で動くなだれ)をポンペイ、ヘルクラネウムとオプロンティスを含む麓の地域に吐き出しました。火砕流は村落に突っ込んでいき、高温の火山灰が建築物と不幸にもまだ周辺にいた人々を生き埋めにしたのです。このため人々は死の瞬間で保存されて、考古学者らは噴火の犠牲者をきわめて詳細に研究することが可能でした。
火砕流に飲まれ、もがき苦しんだローマ人の亡骸
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男性2人の石膏像。奴隷(右)と裕福な人物(左)
Image: Parco Archeologico di Pompei
ポンペイでの今回の新発見は、屋内に避難したものの灰が充満した火砕流に飲み込まれるしかなかった男性2人の最期を捉えていると、ポンペイ考古学公園の声明文は説明しています。2メートル近い火山灰の層の下から見つかった彼らの亡骸によってできた跡は、犠牲者たちの最期の体勢を示していました。
発掘された場所は、ポンペイの700メートル北東にある大きくて贅沢な郊外住宅地チヴィタ・ジュリアーナ。かつては地中海の美しい眺めを望むことができた同邸宅を2018年に調査した際には、銅を施したサドルと馬具とともに馬小屋にいた馬の遺骸が見つかっています。男性2人の遺体は回廊に近い上階へとつながる部屋の中で発掘されました。
その部屋は幅がたった2.2メートルと細くて、床は木製でした。ベスビオ火山が第2段階に入った後、部屋はいくつかの地点から流れ込んできた熱い灰に飲み込まれたとポンペイ考古学公園の報告には記されています。部屋が発掘されたことで、固まった灰に閉じ込められていた2体の骸骨が明らかになったのです。
彼らの骨は現地で分析されてから動かされましたが、ポンペイの他のケースと同様に彼らの遺体は固まった灰の中に空洞を残していました。そこで考古学者らは、1867年にイタリアの考古学者ジュセッペ・フィオレッリが考え出した空洞に石膏を流し込むという手法を用いることに。こうやって作られる石膏像は手や顔つき、さらには服装のまるで実物のような跡を示すことができます。ここでは、石膏像によって仰向けの体勢でもがき苦しんでいたことが明らかになりました。
1人目の犠牲者の歯と頭蓋骨はまだ残っていて、頭をかしげた姿勢をしていました。彼は当時18〜25歳で身長は156センチメートルだったと予備分析は示唆しています。肉体労働を行っていた形跡とみられる脊椎圧迫があったことから、この男性は奴隷だったと考えられます。死亡時は毛織物できた短いチュニックを着ていました。
2人目の犠牲者はおそらく富裕層の男性で、両腕を曲げて胸の上に手を置き、両膝を曲げて脚を開いた体勢でした。彼の年齢は30〜40歳とされ、身長は162センチメートル。この男性はチュニックと毛織物製のマントを身に着けており、顔の近くからは、おそらく崩壊した上階から崩れてきたと思われる白いしっくいの破片が見つかっています。
ポンペイと近隣地域では、今でも考古学的に重要な発見が続いています。例えば、今年の初めに発表された研究では、噴火の際に犠牲者の脳が溶けて組織がガラス化したことが明らかになっています。
Source: Archaeological Park of Pompeii, YouTube,

GIZMODO

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