郷和道氏独占インタビュー(2)トップレベルのスポーツカーレースに参戦する難しさ
2021年、Red Bull MUGEN Team Gohとして、全日本スーパーフォーミュラ選手権にTEAM MUGENとコラボレーションするかたちで参戦することになったチームゴウ。2004年に日本のプライベーターとして初めてル・マン24時間を制したチームだが、これまでのモータースポーツ活動、そしてこれから狙うものはなんなのか。郷和道チーム代表が、オートスポーツwebのインタビューに答えた。
郷和道代表は、1996年にJGTC全日本GT選手権に参戦したラーク・マクラーレンからモータースポーツの表舞台で活躍。その後、チームゴウとして2004年にアウディR8を走らせル・マン24時間で優勝を飾った。
2019年には、マクラーレン・カスタマーレーシング・ジャパンとしてスーパーGT GT300クラスでマクラーレン720S GT3を走らせ話題となったほか、2020年にはアレックス・パロウを擁し、デイル・コイン・レーシング・ウィズ・チームゴウとしてインディカーに参戦。2021年はスーパーフォーミュラに挑むことになる。近年は毎年参戦カテゴリーが変わっている印象があるが、実はその裏にはひとつの狙いがあるのだ。
郷氏がオートスポーツwebの取材に対し語った内容を5回の連載でご紹介しよう。第2回目は、スポーツカーレース参戦のチャンスをうかがいながら、実現していない理由を語った。
郷和道氏独占インタビュー(1)チームゴウとはどんなチームなのか。2004年に至るまでの歴史
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すでに2004年の時点で、ル・マンは凄まじいことをやっていました。F1と一緒ですよ。クルマから発信されるデータ量が凄まじい。現在もそうですけれど。
僕が最初にル・マンに行った頃は、1時間ごとに“足し算”でレースをしていたんですが、2004年の頃は、“引き算”だったんです。すべてシミュレーションで、周囲の5台くらいのデータがとってあって、だいたい4時間ほど経つと、イレギュラーな事象が起こらない限り、レースはほぼそのとおりになります。あまりそういうことを言うと夢がないかもしれませんが(笑)、それくらいのことをやっています。
いまシミュレーターに入っているような3次元的なことを我々の時代からやっていますから。ル・マンは個人の人がちょっとお金を貯めてやっているようなクルマから、勝ち負けを争うクルマまであります。我々の時代では、シミュレーションをするのが4人、エンジンの調子をみるのがひとり、シャシーを観るのがひとりいました。何かが起きても、ピットに戻ってくる前に、クルマに何が起きているかはテレメトリーから出てくる数値ですべて分かっているんです。そういうレースをすでに20年前くらい前からやっていました。
だから、レースをやるためにはすべてがそろわなければならないんです。自分がこうしたい、と思った時にメーカーがそれに賛同してくれるか、それに適したクルマやタイヤが手に入るか、組織が作れるか、ドライバーがそろえられるか。その体制を2〜3年まわして、ひとつのチームするというのが、私が考える国際レベルのレースに挑むときの考え方です。その姿勢でやってきました。
その体制をレースをやらないのに維持するのは大変なことですよね。それと、私はもともとクルマ好きで、スポーツカー、GTのレースをやりたかったんです。そこからは離れたくなかった。しかしその後、スポーツカーレース=LMPのファクトリーチームによるレースとなり、さらに追い打ちをかけるようにWEC参戦が前提になりました。
2004年にル・マンの活動を終えた後、クールダウンではないですが、一度楽しくスーパーGTをやろうかと、マセラティMC12を持ち込もうと思ったのですが、ぜんぜん話にならなかった。でも、その時もGTアソシエイションがすごく頑張ってくれたんです。昔は『郷和道vsGTA』みたいなことを言われましたが、ぜんぜんそんなことなくて、助けられたりしていました。
そのマセラティについては、そこから改造してGT500に参戦するのは我々の仕事ではないな、と参戦は断念することになりました。ちなみにもう少し話をすると、アウディからは当時、『GT3レースで待っていろ』と言われたんです。アウディR10 TDIが出たときはディーゼルエンジンになるので、しばらくはワークスでやるから、サテライトで出す時は順番は一番に出すけど、できる時までGTをやっていてくれというんです。実際それはやらなかったですが、アウディR15 TDI(2009年デビュー)が出た時は、チームゴウが走っていた可能性はかなりあったんです。それは、アウディが約束を守ってくれたから。
でも、それをやらなかった理由は2005年と同じで、アウディがすべてをコントロールしたかったんです。ディーゼルが難しいなど理由はありましたが、自分のチームではないわけですよね。ただ、メーカーとしては3台目まで手が回らない。そこで声がかかったんです。メカニックを連れていくくらいはできたんですが、ドライバーについては、やはりアウディがこだわってきていましたね。2005年のときはいろんなことがありましたが、一度勝ったので、イヤな思いをしながらやるのは止めたんです。でも2010年は3台のアウディR15のうち、3台目の9号車が勝った。ひょっとすると、チームゴウの“3勝目”になっていたかもしれません(笑)。
すべてはタイミングなんですよね。我々の場合、スポーツカーをやりたいと思っていても、先ほどのレースに取り組む考え方からすると、入っていけるタイミングはほとんどないんです。なので、2019年にスーパーGTをやるまでの間、チームゴウとしての参戦がなかった理由は、タイミングがなかったからなんです。
我々が抜けた後、ル・マンには2020年までレベリオン・レーシングが出場していましたよね。しかしやっとまともなレースができるようになったら止めてしまうというので、私は驚いたんです。すごく不思議で、勝つ見込みがまったくないときにずっとやっていて、表彰台に登れるようになったら止めてしまったのはちょっと理解できないですね。
ちなみに、2009年にポルシェRSスパイダーでル・マンに出ましたが、それは車両が安く手に入ったので、旧チームゴウの若い人たちに『ちょっとやってみたら』と任せたかたちです。だからチームゴウでもない。何かやると、すぐチームゴウと書かれてしまうので、そうではないというのも難しいのですが、チームゴウは『1999年から2004年までの5年間のチーム』だったと思ってください。もちろんその前段も含めてですが。そこから2019年までに話が繋がってきます。人も変わってないですから。
もちろんその間、何もしていないわけではなくて、メディアの皆さんにお話ししていないところではたくさんのことをしています。常に情報のアップデートはしていますし、『今から何かやろう』というときに動けるようにはしています。裏でウイルスソフトが動いているようなものです(笑)。
チームゴウというのは、あくまでスポーツカーレースに特化したチームでありたいし、2004年から2019年まではタイミングがなかったということです。ちなみに、2005年に出なかったことを後悔しているというのはもうひとつ理由があって、勝てるチャンスは2004年しかなかった。『いつアウディがやらないか』ということを教えてくれなかったんです。ワークスが参戦している間はプライベーターは勝てないんですが、アウディにOKをもらった連中のうち、誰が2004年に勝てるかというワンチャンスだったんです。2003年はベントレーを勝たせなければならなかったのに、テストデーで我々がトップを獲ってしまった。『これはやられる』と思ったら案の定でしたね。
いろいろな意味で、メーカーとどうつき合っていくかということはすごく難しいんです。日本の場合は国産メーカーが国内でずっとやっていて、スーパーGTなど日本のチームは安定してやっていると思うんです。スーパーGTとスーパーフォーミュラをこれだけ走らせて、それでドライバーがこれくらいの人数で……というのが決まっている。これだけレーシングチームが安定しているというのは世界的には実はあまりないんです。やっぱりその時に受けた仕事によって、チームの規模は変わるんです。
誰かがチームゴウは実体がないだろう……というけれど、実体とは何かという話で、では今スーパーGTやスーパーフォーミュラをやっているチームが全員社員かというとそんなことはない。外注を入れながらやっていますよね。だから、実体があるかないかと言えば、プロジェクトを作りながら実体を作っている。だから、いざ私がスポーツカーをやるぞ、となったら、すぐ集められるだけの人数の居場所は最低限確認しています。いま、リジェのテクニカルディレクターだったりする人物もいたり、みんな偉くなったりしていますけどね。
エンジニアだったり、メカニックなど2004年まで一緒にやってくれたメンバーも、今はセルブスジャパンとしてやっている。いざとなれば調整をつければ、セルブスジャパンでやれるんです。チームゴウのDNAはしっかり残っています。実体があるかと言われれば、あるようでないですが、それはどこのチームも同じですからね。あのヨーストでさえ、本当のフルタイムはエンジニアひとりとメカニックふたりくらいなんですよ。
【3月15日掲載予定の(3)に続く】
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PROFILE
郷 和道(ごう かずみち)
1954年生まれ。1996年、チームラーク・マクラーレンGTRの代表としてJGTC全日本GT選手権に参戦。1997年には同チームでル・マン24時間に参戦。99年はBMW V12 LMR、2000年はパノスLMP-1を走らせた。2002年からはアウディR8で参戦。2004年に日本のプライベーターとして初めてル・マン24時間を制した。その後もさまざまなレースに参戦し、モータースポーツ界にその名を残している。ただ近年はサーキットにはあまり姿をみせておらず、こうしてインタビューに答えることも少ない人物だ。
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