偉大な数字と男気溢れる人間性…「エースの矜持」を体現した点取り屋・佐藤寿人
サッカーキング2020年12月28日(月)18時10分
今季限りで現役を引退した佐藤寿人 [写真]=鈴木颯太朗
J1通算161点、J2通算59得点。2012年JリーグMVP&得点王のダブル受賞ーー。プロ21年間を過ごした小柄な点取り屋・佐藤寿人の偉大な足跡を挙げたらキリがない。
38歳でユニフォームを脱ぐことを決めた彼自身も「最終戦(12月20日のギラヴァンツ北九州戦)の前に今まで何試合出たのか、何点取ったのかを調べて携帯に記したんですけど、改めて振り返るとすごい数字かなと。ちょっとできすぎかなと思います」と26日の引退会見で笑みを浮かべていた。
とはいえ、本人の中ではこうした栄光の数々以上に印象に残っているのが、ベガルタ仙台時代の2003年とサンフレッチェ広島時代の2007年のJ2降格だという。
「2度の降格っていうのは忘れることのない大きな悔しさだったなと。FWというポジションは降格の責任をダイレクトに感じる役割。『あの場面で自分がゴールを奪えていたら防げたんじゃないか』と考えてしまう。そういう経験は絶対に忘れられないものですし、忘れてはいけない。なぜそうなってしまったのかを選手じゃなくなった先の人生に生かしていかないといけないと思います」
佐藤寿人はしみじみとこう語ったが、後者はとりわけ印象深い。2006年途中に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督は青山敏弘と柏木陽介という若手を抜擢。彼らが供給する鋭いパスをウェズレイと佐藤寿人の強力2トップが決める形で上位躍進が期待されていた。が、肝心のFWコンビが徹底研究され、戸田和幸、森崎和幸らを軸とした3バックも安定感を欠き、16位に低迷。最終的に京都サンガとの入替戦にも敗れてしまったのだ。
「絶対に1年で(J1に)戻ろう」
怒りと失望に渦巻く広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム)で、佐藤寿人がメガホン片手に涙ながらにサポーターに向かって絶叫した姿は大きなインパクトを残した。彼自身が「父親のような存在」と言い切るミシャ監督から絶対的信頼を寄せられながら、十分な仕事を果たせなかったことで、「エースとは一体どうあるべきか」を真剣に考えさせられる大きなきっかけになったのだろう。
この当時、彼は日本代表の常連だった。ジーコ時代の2006年2月のアメリカ戦で初キャップを飾り、イビチャ・オシム時代は重用されていた。そのオシム監督がJ2降格決定直前に病に倒れ、岡田武史監督が後を引き継ぐことが決まったこともあり、広島残留は代表キャリアに影響しかねなかった。それでも、佐藤寿人はリスクを覚悟して「広島の絶対的点取屋」としての責務遂行を選択。約束通り、1年でチームをJ1に復帰させた。
だが、それと引き換えに2010年南アフリカワールドカップ行きを逃す結果になってしまう。代表に関しては、アルベルト・ザッケローニ時代も招集され、国際Aマッチ通算31出場4得点という数字を残したが、大久保嘉人や駒野友一ら同世代の仲間たちのように世界舞台での華々しい活躍は叶わなかった。
「自分はゴールで評価されて代表に呼ばれましたけど、それ以外の役割を任されたことが何度かあった。そこで自分自身がしっかり対応できなかったことが、ポジションをつかめなかった一番の要因かなと思います」
本人は悔しさをにじませたが、広島ではご存じの通り、2012・2013・2015年と3度のJリーグ制覇を達成。「エースの重責」を十分すぎるほど果たした。特に2012年は自身が「ベストパートナー」と言い切る青山との名コンビから22ゴールを挙げ、得点王&MVPをダブル受賞している。
相手との巧みな駆け引きで、一瞬のスキを突いて背後を取り、点で合わせられるストライカーというのはそうそういない。自身が憧れる元イタリア代表FWフィリッポ・インザーギを彷彿させる老獪な得点パターンは、ある意味、芸術の域に達していたと言っても過言ではない。
「自分は本当にスーパーな選手じゃない。1つ武器を挙げるなら、味方とイメージを共有できること。今季ジェフで挙げた2つのゴール(8月12日の松本山雅戦と11月8日のモンテディオ山形戦)も矢田(旭)選手と安田(理大)選手からのアシストでした。そういう日々の練習が大切なんです。『ストライカーは育てることはできない』という言葉をいろんな形で耳にするけど、僕自身も育ててもらったし、これからもしっかり育てていくべきだと考えています。そのためにもいかにアイディアを持たせていくかが大事。FWは点を取らなきゃいけない分、孤独とは隣り合わせ。その厳しさも含めて、伝えていく必要がありますね」
こうして最後の最後まで「ストライカーの矜持」を抱き続け、力いっぱい体現してきた生きざまを我々は決して忘れてはならない。
加えて言うと、男気溢れる人間性もサッカー界の後輩たちは大いに学ぶべきだ。自らの引退を青山に電話で伝え、涙ながらに1時間話したというエピソードにこの人の温かさや優しさが詰まっている。
我々メディアに対しても「1つ聞かれて1つ返していたら面白くない。2つ3つ自分の言葉で答えて、信頼関係を作っていきたかった」と話すように、つねに気配りし、親切に接してくれた。まさにナイスガイの佐藤寿人には感謝しかないし、21年間のプロ生活に大いなる敬意を払いたい。
まずはしっかりと休養して、指導者という異なる立場で魅力ある点取り屋、世界に通じるストライカーを育成してほしい。彼自身の第2の人生が輝きに満ちたものになることを強く祈りたい。
文=元川悦子
38歳でユニフォームを脱ぐことを決めた彼自身も「最終戦(12月20日のギラヴァンツ北九州戦)の前に今まで何試合出たのか、何点取ったのかを調べて携帯に記したんですけど、改めて振り返るとすごい数字かなと。ちょっとできすぎかなと思います」と26日の引退会見で笑みを浮かべていた。
とはいえ、本人の中ではこうした栄光の数々以上に印象に残っているのが、ベガルタ仙台時代の2003年とサンフレッチェ広島時代の2007年のJ2降格だという。
「2度の降格っていうのは忘れることのない大きな悔しさだったなと。FWというポジションは降格の責任をダイレクトに感じる役割。『あの場面で自分がゴールを奪えていたら防げたんじゃないか』と考えてしまう。そういう経験は絶対に忘れられないものですし、忘れてはいけない。なぜそうなってしまったのかを選手じゃなくなった先の人生に生かしていかないといけないと思います」
佐藤寿人はしみじみとこう語ったが、後者はとりわけ印象深い。2006年途中に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督は青山敏弘と柏木陽介という若手を抜擢。彼らが供給する鋭いパスをウェズレイと佐藤寿人の強力2トップが決める形で上位躍進が期待されていた。が、肝心のFWコンビが徹底研究され、戸田和幸、森崎和幸らを軸とした3バックも安定感を欠き、16位に低迷。最終的に京都サンガとの入替戦にも敗れてしまったのだ。
「絶対に1年で(J1に)戻ろう」
怒りと失望に渦巻く広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム)で、佐藤寿人がメガホン片手に涙ながらにサポーターに向かって絶叫した姿は大きなインパクトを残した。彼自身が「父親のような存在」と言い切るミシャ監督から絶対的信頼を寄せられながら、十分な仕事を果たせなかったことで、「エースとは一体どうあるべきか」を真剣に考えさせられる大きなきっかけになったのだろう。
この当時、彼は日本代表の常連だった。ジーコ時代の2006年2月のアメリカ戦で初キャップを飾り、イビチャ・オシム時代は重用されていた。そのオシム監督がJ2降格決定直前に病に倒れ、岡田武史監督が後を引き継ぐことが決まったこともあり、広島残留は代表キャリアに影響しかねなかった。それでも、佐藤寿人はリスクを覚悟して「広島の絶対的点取屋」としての責務遂行を選択。約束通り、1年でチームをJ1に復帰させた。
だが、それと引き換えに2010年南アフリカワールドカップ行きを逃す結果になってしまう。代表に関しては、アルベルト・ザッケローニ時代も招集され、国際Aマッチ通算31出場4得点という数字を残したが、大久保嘉人や駒野友一ら同世代の仲間たちのように世界舞台での華々しい活躍は叶わなかった。
「自分はゴールで評価されて代表に呼ばれましたけど、それ以外の役割を任されたことが何度かあった。そこで自分自身がしっかり対応できなかったことが、ポジションをつかめなかった一番の要因かなと思います」
本人は悔しさをにじませたが、広島ではご存じの通り、2012・2013・2015年と3度のJリーグ制覇を達成。「エースの重責」を十分すぎるほど果たした。特に2012年は自身が「ベストパートナー」と言い切る青山との名コンビから22ゴールを挙げ、得点王&MVPをダブル受賞している。
相手との巧みな駆け引きで、一瞬のスキを突いて背後を取り、点で合わせられるストライカーというのはそうそういない。自身が憧れる元イタリア代表FWフィリッポ・インザーギを彷彿させる老獪な得点パターンは、ある意味、芸術の域に達していたと言っても過言ではない。
「自分は本当にスーパーな選手じゃない。1つ武器を挙げるなら、味方とイメージを共有できること。今季ジェフで挙げた2つのゴール(8月12日の松本山雅戦と11月8日のモンテディオ山形戦)も矢田(旭)選手と安田(理大)選手からのアシストでした。そういう日々の練習が大切なんです。『ストライカーは育てることはできない』という言葉をいろんな形で耳にするけど、僕自身も育ててもらったし、これからもしっかり育てていくべきだと考えています。そのためにもいかにアイディアを持たせていくかが大事。FWは点を取らなきゃいけない分、孤独とは隣り合わせ。その厳しさも含めて、伝えていく必要がありますね」
こうして最後の最後まで「ストライカーの矜持」を抱き続け、力いっぱい体現してきた生きざまを我々は決して忘れてはならない。
加えて言うと、男気溢れる人間性もサッカー界の後輩たちは大いに学ぶべきだ。自らの引退を青山に電話で伝え、涙ながらに1時間話したというエピソードにこの人の温かさや優しさが詰まっている。
我々メディアに対しても「1つ聞かれて1つ返していたら面白くない。2つ3つ自分の言葉で答えて、信頼関係を作っていきたかった」と話すように、つねに気配りし、親切に接してくれた。まさにナイスガイの佐藤寿人には感謝しかないし、21年間のプロ生活に大いなる敬意を払いたい。
まずはしっかりと休養して、指導者という異なる立場で魅力ある点取り屋、世界に通じるストライカーを育成してほしい。彼自身の第2の人生が輝きに満ちたものになることを強く祈りたい。
文=元川悦子
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