「日本の4番にしなければいけなかった」宮本慎也は村上宗隆にどう接したのか?ヤクルトOB対談で語った育成論とは

2023年1月3日(火)14時32分 ココカラネクスト

(C)Getty Images

 今季のヤクルトもセ・リーグを制覇し、村上宗隆は最年少三冠王の獲得や日本人最多本塁打、5打席連続本塁打といった複数の偉業を成し遂げるなど、まさにヤクルトの1年だった。しかしそれでも、日本シリーズではオリックスにリベンジを果たされ、日本一には手が届かず悔しさの残る結果で終わった。

 そこで現役時代に東京ヤクルトスワローズで活躍し、現在は野球評論家として活動する宮本慎也氏をゲストに迎え、同じくヤクルトなどで活躍し、引退後は楽天、巨人、西武、ヤクルトさらには侍ジャパンでコーチを務めたBCリーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督の橋上秀樹氏が、自身のYouTubeチャンネル「橋上秀樹アナライズTV」で語り合った。

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 日本シリーズはヤクルトが引き分けを挟んでの2連勝から幕を開け、このままの調子で二連覇まで一直線かと思われたところから、まさかの4連敗で大逆転でリベンジを許してしまった。そんな日本シリーズを振り返って宮本氏は課題として3番・山田哲人の名前を挙げた。

「3番バッターのヒットがゼロだということ。逆日本シリーズ男になってしまった。得点力があるのがヤクルトのいいところなので、ピッチャーが良い事を差し引いても、あそこ(3番)で、村上の前で一度寸断されたところ。村上も56本打つまでの期間で少し調子を落としてた」

 チームの核となる山田の不調が、チームの得点力低下に大きく響いたと語った。宮本氏がヤクルトのコーチをしていた2017年から2019年の頃と、それほど選手自体が大きく入れ替わった訳ではない。それでも2019年に最下位だったチームがこれほどの下剋上を達成したのにはやはり、村上の存在が大きいだろう。今季は最年少三冠王をはじめとする様々な偉業を達成するなど、大車輪の活躍だった。

 村上は高卒で大きな期待を背負って入団し、宮本氏と同じサードを守る選手ということもあり、直接指導することが多かったという。当時を振り返って宮本氏は、「技術的なことは教えてない。例えばユニフォームの着こなしとか、最初オールスター終わった後に変な髪型してたんで『なんだその髪?』みたいな」と語った。ユニフォームの着こなしや髪型は、野球の技術に直接的に関わる問題ではないかもしれない。特に今の時代、多様性を認めることが主流になってきている事を考えれば、若い選手への縛りは逆効果になってしまう事を考えてもおかしくない。それでも宮本氏が注意したのには、特別な思いがあったからだった。

「村上は日本の4番にしなければいけなかった。順調にいけばヤクルトの4番は普通だったので。だから口すっぱく言ってました」

 そんな熱い思いと、大きな責任感を背負って指導していたからこそ、他の選手には言わないであろう細かな見た目や振る舞いの注意をしたと明かした。そんな宮本氏の教えもあり、大きめにユニフォームを着る流行りにも乗らずピシッと着こなし、球界を代表する選手に成長した。もちろん村上自身が持ち合わせていた圧倒的な才能や、石井琢朗コーチの技術指導など、成長には様々な理由があるだろう。しかし、厳しく言いづらい時代だからこそ宮本氏の野球人としての教えが、チームの先頭に立って戦う村上を作り上げたのかもしれない。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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