『トヨタ・セリカ(ZZT231型/2003年)』セリカなのにスープラが満載だった脅威の“セリプラ”【忘れがたき銘車たち】

2024年1月4日(木)8時35分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2003年に全日本GT選手権のGT300クラスへとデビューしたZZT231型の『トヨタ・セリカ』です。


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 2003年、全日本GT選手権(JGTC)の車両規定がGT500、GT300ともに大きく変更された。


 車体の前後をパイプフレームで構成することができ、さらにエンジンの搭載方向や駆動方式も変更が可能となったほか、サスペンション形式も自由になったのである。


 この新規定に目をつけたのが当時、レーシングプロジェクトバンドウを率いていた坂東正明だった。


 バンドウは当時、主力車として使っていた『MR-S』の熟成がいま一歩進まず、ショートホイールベースが起因して限界域で扱いにくいという問題を抱えていたこともあり、新たなマシンの導入を考えていた。


 しかし、いちからGT300マシンを製作するにはコストがかかりすぎてしまう。そんなときに新規定が施行されることになったこと、この新レギュレーションのスタートとともにGT500の『トヨタ・スープラ』が大排気量のV型8気筒エンジンを採用することが決まった。


 そこでバンドウがTRDと協力して、ボディは『MR-S』よりホイールベースの長い『セリカ』を使い、3S-GTEのエンジンを含む、『スープラ』のパーツを利用しながら、コストを抑えつつもポテンシャルの高いGT300マシンの開発に着手した。


 エンジンは前述の通り、2002年までGT500のスープラに使われていた2.0リッター直4ターボの3S-GTEを採用。『スープラ』に比べて小さいエンジンルームに3S-GTEを収めるための各部取り回しなどに苦労したが改良を施して搭載した。それに組み合わされるギヤボックスも『スープラ』用を流用している。


 エアロについては、『スープラ』のノウハウも使いつつ、コストの問題から風洞実験などは実施せずにCFDにて開発が行われた。なかでもリヤウイングはサイズ調整をし、ステー位置を変更するなどしてスープラ用が使われた。


 しかし、足まわりはサイズが違うために2002年型の『スープラ』をそのまま流用とはいかず。プッシュロッド式のダブルウイッシュボーンがいちから製作されていた。


 こうしてコストを考慮して、効率よく開発されたバンドウの『セリカ』は2003年の第3戦スポーツランドSUGOでデビュー。このレースでは初陣ということもあって結果は残せなかったが、第5戦富士スピードウェイでは、早くも初優勝を達成する。


 その後、第6戦ツインリンクもてぎ、第7戦オートポリスとバンドウのあとに投入されたシグマテックのシグマDUNLOPセリカが連勝を飾り、最終戦では再びバンドウが勝利を手にするなど、結局第3戦の登場から6戦で4勝という脅威の勝率をマークして、2003年を締めくくったのだった。

片岡龍也、澤圭太のドライブで2003年の全日本GT選手権第7戦オートポリスを制したシグマDUNLOPセリカ。

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