坪井慶介は引退してタレントの道を目指す。「大食いは巻に任せます」

1月5日(日)6時40分 Sportiva

坪井慶介インタビュー@後編
 18年にわたった坪井慶介のキャリアを振り返る時、「日本代表」というキーワードを抜きには語れない。
 青いユニフォームとは縁遠かった無名のディフェンダーが、同い年の黄金世代の選手たちに肩を並べたのは、プロ2年目の2003年の時。ジーコ監督率いる日本代表に初招集された。
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坪井慶介に18年間の現役生活を振り返ってもらった
「代表に入って日の丸をつけることは想像していなかったですね。アンダー代表の経験もなかったし、疎遠だったので。初めて呼ばれた時は、非常にうれしかったですね。日の丸を背負ってサッカーをするんだ、という責任感を初めて知りました」
 日本代表の活動では、クラブとは異なる刺激を受けたという。
「当時は海外に行く選手が増えてきた頃。代表に行って、海外組の選手と練習したり話したりするのは楽しかったですね。日本しか知らない僕にとっては貴重な存在でした」
 彼らと接するにつれて、海外移籍を目指した時期もあった。
「チャレンジしたいな、という想いもあったんですけど、当時は代理人がいなかったので。そう思った時期に大きなケガをしたこともあって……。それも運命だったんでしょうね」
 坪井の日本代表でのキャリアは、2003年からドイツ・ワールドカップまでの4年間に凝縮されている。つまり、ジーコ監督が率いていた頃である。
「ジーコさんは、あまり細かいことは言わずに、選手たちに考えさせてやることが多かったですね。守備のことで事細かに指示を受けた記憶はないです。ただ、ジーコさんはずっと呼んでくれていたし、恩返ししたいという気持ちが強かった。好きな監督でしたよ」
 もっとも、目標としていたドイツ・ワールドカップは、坪井にとって苦い記憶として残っている。
「たくさんの悔いが残る大会でした」
 悲劇が起きたのは、初戦のオーストラリア戦だった。後半早々に足の4カ所が一気に痙攣し、途中交代を余儀なくされたのだ。


「もちろん、そんなことは初めてでした。緊張もありましたし、大舞台での経験不足もあったと思います。それまでにいろんな経験を積んできたと思うんですけど、僕にとってあの大会は、その経験が役立たないほど異質なものでした」
 オーストラリア戦の前半は、何をしたのかまったく覚えていない。ハーフタイムに坪井は、ふと気がついた。「そういえば、水を飲んでないな」と。
 あの時のドイツは異常気象で、まさに炎天下での戦いだった。にもかかわらず、水分補給することを忘れてしまうほどまで、坪井は我を見失っていたのだ。
「後半に入った時点で、もう脱水状態だったんです。だから一気に4カ所もパーンと痙攣が来ちゃって。緊張するのはわかっていたし、それを想定して準備をしていたけど、それでも足りなかった。その意味でワールドカップは大きな大会でしたし、大きな悔いが残るものとなりました」
 そのワールドカップでは、キャリアで最も手ごわかったと記憶するFWにも出会った。第3戦で対戦したブラジル代表のロナウドである。
「あの時のロナウドは、もう全盛期じゃなかったですけど、それでもすごかったですね。対戦する前は、速いとか、シュートがうまいとか、どちらかというと感覚的なタイプだと思っていたんです。でも、実際に対峙してみると、自分がシュートを打つために、細かい予備動作や駆け引きを常に仕掛けてくる。
 だから、身体よりも頭がめちゃくちゃ疲れましたね。ちょっとでも僕との間が空くと、その一瞬の隙で受けてシュートを打たれてしまう。結果的にロナウドには2点獲られたんですけど、世界最高峰で点を獲り続けてきた選手はここまでレベルが高いんだってことを実感しました」
 日本代表でのキャップ数は40を数える。そのなかで喜びも、悔しさも、さまざまな感情を味わったはずだ。しかし、坪井は「日本代表での達成感はあまりない」と言う。むしろ、マイナスな感情としての記憶のほうが大きい。


「代表は40試合出させてもらっていますけど、初出場するまでに1年くらいかかったし、(イビツァ・)オシムさんになってからもずっと呼ばれてたんですけど、試合に出られない状況が続いた。
 もちろん、国を背負っているわけで、試合に出ようが出まいが関係ない。使命感はありますし、自分のエゴなんて通用する場所でもない。どんな立場であっても、やらなければいけないんです。
 でも、一方でサッカー選手としてピッチに立たなければいけない。その葛藤が、本当に苦しい時期でしたね」
 精神的に苦しむなか、坪井はひとつの決断を下す。2008年2月、代表引退を宣言したのだ。自ら代表を離れるという選択は当時では珍しいことで、坪井の決断には賛否両論あった。
「もったいないな、と言われることはあったんですけど、直接的に批判的な言葉は耳にしていません。周囲の声よりも、あの時はとにかく精神的にきつかった。奥さんだけには言いましたよ。『ちょっとヤバいかもと。サッカー、もういいかなという気持ちになっちゃうかも』って。
 もちろん、代表は誰でも行ける場所ではないですし、呼ばれるだけでありがたいこと。でも、『試合に出られなくても、やるべきことはある』と言い聞かせている自分と、『ピッチに立たなければ意味がない』という自分がいて……。そのふたつの感情に挟まれて、とにかく苦しかったですね」
 代表引退の決断を、坪井は後悔していない。むしろいい選択をしたと、今でも思っている。
「後々に、勝手だったよねって言われたこともあります。そうなんです。勝手なんですよ。でも、勝手な決断をしないと、自分がサッカー選手として持たなかった。
 代表に行って、レッズでのパフォーマンスが悪くなることもありました。代表に行く意味がわからなくなりました。でも代表引退を決めてからは、思い悩むことは一切なくなったし、ここまで現役を続けられたのも、あの時にああいった決断を下したことが大きかったかもしれないですね」


 代表からは離れたが、坪井は40歳まで現役を続けることになる。そのモチベーションとなったのは、果たして何だったのだろうか。
「下手だったから、ですかね」
 坪井は、そういってほほ笑んだ。
「同い年に黄金世代と呼ばれる人たちがいましたから。彼らに負けないようにするためにはどうしたらいいかと言えば、練習するしかない。練習や準備、ケアをどれだけ彼らよりもやり続けられるか。
 その地道な作業にこだわってやってきたことが、長く続けられた一番の要因かなと思います。身近にうまい選手がたくさんいてくれて、本当によかったです」
 もちろん、その作業は地道でつらいものでもある。それこそ100%の準備をしても、成果として現れないことも珍しくはない。
「嫌だなと思う時もありましたよ。でも、どんな状況でも、試合に出ても、出られなくても、体調が悪くても、ケガをした時でも、そこだけはずっとやってきました。止めてしまったら、僕は終わってしまうと思っていたので。たぶん、変態なんですよ。変態じゃないと続けられないんです(笑)」
 引退後は、タレントの道を目指すという。
「メディア関係で仕事をしたいと思っています。ずっとサッカー選手をやって来たので、サッカーに関わる仕事が多くなるとは思いますけど、基本的には何でもやるつもりです。地方にロケに来てくれと言われたら、すぐに行きますよ。大食いは巻(誠一郎)に任せます(笑)」
 サッカーの世界にとどまらず、新たな道を歩む坪井にあるのは、チャレンジ精神に他ならない。
「40歳のおっさんが何を今さらって言われるかもしれないですけど、僕がレッズでデビューした時も、『坪井って誰?』って思われていたと思います。『いきなり試合に出て大丈夫?』って思われていた人間なので。それと同じような感覚で、すべての仕事に対して真摯に取り組んでいきたい。
 もちろん、うまくいくこともあれば、いかないこともたくさんあるでしょう。そこで考えて、勉強して、努力をすることが、自分にとってうれしいこと。今まで散々やって来たんですけどね、また自分を追い込むなんて、やっぱり変態なんですよ(笑)」
 無名の存在から這い上がって来た男は、スパイクを脱いでからも現役時代のように、ガムシャラにチャレンジし続けていく覚悟だ。
【profile】
坪井慶介(つぼい・けいすけ)
1979年9月16日生まれ、東京都多摩市出身。2002年、福岡大から浦和レッズに入団し、Jリーグ新人賞とフェアプレー賞を受賞。2003年には日本代表デビューを果たし、2006年のドイツW杯メンバーにも選出される。公式戦454試合、日本代表40試合出場。ポジション=DF。179cm、70kg。

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