水谷隼は「日本の卓球を変えたい」。夢が結実した五輪の銀メダル

1月7日(木)10時55分 Sportiva

PLAYBACK! オリンピック名勝負ーーー蘇る記憶 第45回
スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。
【写真】日本卓球の飛躍に貢献した水谷隼福原愛
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リオデジャネイロ五輪、水谷隼はシングルス銅メダルを獲得。団体でも銀メダル獲得に貢献した
 
長らく女子ばかりが注目されていた日本の卓球。その視線を男子に向けさせたのが、2016年リオデジャネイロ五輪に出場した水谷隼だった。

 日本卓球協会が男子ナショナルチームの若返りを図っていた05年、水谷は史上最年少の15歳10カ月で世界選手権代表に選出された。同年から、2歳上の岸川聖也とともに、中学時代からドイツのブンデスリーガでプレー。自ら積極的に道を切り拓いてきた。
「ドイツへ行ったのが、人生最大の転機だったと思います。日本の練習法を変えてやろうという意識もありました。当時の日本は全員が同じメニューで、気持ちよく打たせる練習が多く、それぞれの選手が持っている個性を活かせない環境だった。でも、ドイツは一人ひとりのメニューが与えられて、練習でも相手の弱点を突いてミスをさせる。いいところを見せないと試合で使ってもらえないので、練習から勝負なんです。昔から挑戦することが好きだったし、日本の卓球を変えたい、そして、強くなりたい気持ちがありました」
 こう振り返る水谷はさらに08年からの3シーズン、卓球王国の中国リーグに参戦。トップ選手の練習パートナーの役割もあったが、他の国では使わない特殊な用具や、有力選手の鋭い前回転がかかった重い球にも慣れた。12年7月、世界ランキングを自己最高の5位に上げて臨んだ自身2回目の五輪出場のロンドン大会は、第3シードでメダルの期待もあったが、ベスト16で敗退して団体戦も5位。同じ大会の団体戦で銀メダルを獲得した日本女子に話題を奪われていた。

 ロンドン大会後には、ラケットのラバー裏側に違法な補助剤を塗布する行為について問題提起するなどアスリートとして競技の公平性を訴えるなど、広い視野を持って行動するようになった。さらに、卓球を始めた時からの夢でもあるメダル獲得を目指した3度目の五輪へ向け、前年の秋からは用具も変更した。水谷はこう説明していた。
「守備的なプレーが多いことが勝てなかった原因だと考え、用具も変えて少し前陣で戦う攻撃性を意識しました。それでも15年終わりには格下に負けて結果を残せない時期がありましたが、じっくり取り組んでみようと思って。このままじゃダメだというのはずっと感じながらもなかなかふん切りがつかなかったが、15年世界選手権で中国選手に負けて、開き直ることができました」
 世界ランキング6位、第4シードで臨んだリオデジャネイロ五輪の個人戦。3回戦から登場した水谷は、初戦を4ー1で勝つと、4回戦と準々決勝は4ー2で勝ち上がった。だが、水谷が大会前に「世界ランキング4位までの中国選手は別格」と話した中国の壁はやはり厚かった。準決勝の相手は、世界ランキング1位の馬龍(まりゅう)。第1ゲームから第3ゲームまでを取られ、完敗かと思われた。
「3ゲームまでは、相手のボールをゆっくり返していたが、4ゲーム目は馬龍が打ってきたボールを山なりに返してカウンターを撃たせた。それを直線的に打つようにしてから、相手のボールが入らなくなってチャンスが生まれていた」
 水谷がそう話すように、第4ゲームは最初から順調にポイントを重ねて11対7で取った。さらに、第5ゲームは3対7から追いつき、12対11で奪って意地を見せた。
「4ゲーム目からは吹っ切れて、『負けてもいいや』と思ってやっていたことでゲームを取れたと思います。ラリーの強さでは相手のほうが一枚上だけど、4ゲームと5ゲームを取れたことで、自分の力は出し切れたと感じています」

 水谷は第6ゲームを5対11で取られて敗退したが、力を出し切れた自信を持って次の3位決定戦に臨んだ。試合前には、メダルへの執念を口にしていた。
「相手のブラディミル・サムソノフ(ベラルーシ)は、ブロックと守りがうまい選手だが、今の(馬龍との)第4、第5ゲームのようにアグレッシブに攻めていけば大丈夫だと思います」
 その日夜の3位決定戦は、40歳のベテラン、サムソノフを相手に力を見せつける戦いを繰り広げ、第1ゲームを11対4、第2ゲームを11対9と連取。第3ゲームは6対11で取られた。第4ゲームは9対5とした後に追いつかれて接戦になったが、最後はエッジボールで得点し14対12で取った。
 そして、第5ゲームを11対8とし、日本人初となるシングルスのメダルを獲得したのだった。水谷は喜びを口にした。
「第4ゲームは途中でリードしたが、相手の諦めない気持ちが伝わってきたので、僕も絶対に諦めなかった。今日負けたら一生後悔する、死にたくなると思って頑張りました」
 水谷のリオ五輪は、それだけでは終わらなかった。悔しさを味わい続けていた団体戦が控えていたのだ。ロンドン五輪後、14年の世界選手権は銅メダル獲得、16年の世界選手権は39年ぶりの銀メダル獲得と、リオ五輪でのメダルが目の前に見えていた。組み合わせも決勝まで中国と当たらないブロックとなり、運にも恵まれた。

 初戦のポーランド戦は、吉村真晴と水谷がシングルスでともに3ー1で勝って王手をかけた。ところが、吉村と丹羽孝希のダブルスと、丹羽のシングルスは連敗し、水谷が最後の試合を3ー1で取ってなんとか勝ち上がる不安な出だしになった。
 ロンドン五輪では敗れた香港との準々決勝は、最初の丹羽が逆転負けしたが、次の水谷の勝利で立て直し、ダブルスと吉村の連勝で勝利。準決勝のドイツ戦は、最初の吉村が世界ランキング5位のドミトリ・オフチャロフにストレート負けしたが、かつて世界ランキング1位の経験もあるティモ・ボルを水谷がストレートで破って勢いを取り戻した。ダブルス勝利後のシングルスでも同じく水谷がバスティアン・シュテガーを24分の試合で圧倒し、対戦成績を3対1として銀メダル以上を確定させた。
 決勝戦は卓球王国・中国の力に屈したが、水谷はこれまで勝ったことのなかった世界ランキング3位の許昕(きょきん)に勝利して一矢報いた。大会前に水谷は「中国のトップ選手相手でも、自分がいいパフォーマンスをすればチャンスはある。最後の1本が取れずにこれまで何十回と負けているが、初勝利が五輪だったらうれしいですね」と話していた。それをリオ五輪最後の戦いで現実にした。
「中国選手にはほとんど勝ったことがなかったし、準決勝で当たったドイツのボル選手にも全然勝つことができなかったが、今回、その選手たちを破ってメダルを獲れて自信がついた。これまで大きな大会でのメダル獲得がなく試合前の自信も足りなかったけど、今回、自信を得ることができたし、ひとつ上のステージに上がれたのではないかと思います」
 団体戦で2大会連続でメダルを獲得した女子だけではなく、男子の存在感も強烈にアピールしたリオ五輪。水谷が長年、抱き続けていた夢を実現した瞬間だった。


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