『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型)N1耐久編』N1でも不変だったGT-R伝説【忘れがたき銘車たち】

2023年1月9日(月)9時20分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマはN1耐久シリーズを戦った『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型)』です。


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 現在、ニッサンGT-RなどのFIA-GT3マシンからマツダ・デミオ、ホンダ・フィットなどのコンパクトカーまで、バラエティ豊かな車両がそれぞれのクラスでバトルを繰り広げているスーパー耐久シリーズ。そのスーパー耐久が本格的なスタートを切ったのは1991年のこと。シリーズのスタート時は、“N1耐久シリーズ”という名称だった。


 N1耐久シリーズも今と同様に車種のバラエティが豊富で、1991年当時、グループAマシンで競われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)でも破竹の勢いで連勝街道を進んでいたBNR32型のニッサン・スカイラインGT-Rやミツビシ・ギャランVR-4、ニッサン・パルサーGTi-R、ホンダ・シビック、ホンダ・シティ、スズキ・カルタスといった車両も参加していた。


 そのなかでも特に毎レースのように総合優勝をさらっていたのが、R32GT-Rだったのである。といってもN1耐久シリーズでのGT-Rは、グループAのように当初から圧勝できていたわけではなかった。


 車重に起因するブレーキなど熱の問題や、初期にはタイヤが225幅の16インチという当時の純正サイズしか履けなかったことなど、さまざまな問題がグループAより改造できる範囲が狭く、市販車のスペックが問われるN1耐久シリーズでは発生したのだ。


 そのため、速さはあるものの、1990年のN1耐久シリーズ正式発足前のN1レースでは、格下である1.6リッターNAのシビックに優勝を奪われる場面もあった。だが、ニッサンがその現状を打破すべくグループAだけではなく、プライベートユーザーがメインだったN1耐久シリーズのサポートにも力を入れ始めた。


 1991年の途中にはN1耐久シリーズに向けたグレード、N1をラインナップに加え、エンジンの耐久性アップや軽量化、ブレーキローターの改良などを行ったほか、1993年にはVスペックを追加した。


 このVスペックでは、17インチホイールとブレンボ製の大径ブレーキを備えるなど、のちにモディファイのできない部分を市販車の改良で補っていった。


 こうした努力の結果、その後、R32GT-Rの参加する最高峰クラスには、ミツビシGTOなどのライバルも登場したが、グループAと同様の徐々に“負けなし”ともいえるほどの勝利を挙げていったのだった。


 そしてR32GT-Rは、1995年に市販車がBCNR33型へとモデルチェンジするとその年のMINEサーキットで開催された開幕戦から、主力の座をR33GT-Rへと譲っていくことになるのだが、そのレースでデビューウインを飾りたいR33GT-Rを退け、熟成極まっていた都平健二らの駆るアイ・オートGTRが勝利。新型が登場してもR32にここに健在という速さを最後に見せたのだった。


 そしてこのGT-R伝説は、R33へと襷を繋ぎ、継続していくことになる。

1990年の量産ツーリングカー耐久フェスティバル 第1回ハイランド300km耐久レースでN1耐久レースデビューレースながら優勝を果たした都平健二、木下隆之組のヂーゼル機器スカイライン。
1992年のツーリングカー300km耐久レース IN TIサーキット英田を戦った佐藤久実、大井貴之組のニチレイ・アセロラGT-R。
1995年のMINE N1 500km RACEでR32最後の勝利を飾った河合博之、須賀宏明、都平健二組のアイ・オートGT-R。

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