『トヨタ・セリカXX』“スープラ”とも名乗ったトヨタのスペシャリティクーペ【忘れがたき銘車たち】

2024年1月16日(火)9時18分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは全日本ツーリングカー選手権を戦った『トヨタ・セリカXX』です。


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 1985年にスタートし、1993年までの9年間、数多くのグループAマシンがしのぎを削っていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)。


 このJTCにおいてディビジョン1(シリーズスタート当初はディビジョン3)と呼ばれた最大排気量クラスに参戦したトヨタ車といえば、1987年にデビューウインを果たし、鮮烈な印象を残したA70型のスープラがよく知られるところだが、実はそのほんの少し前にもJTCの最高峰クラスにはトヨタ車が挑んでいた。それがA61型のセリカXXだ。


 セリカXXは、セリカの上級モデルとして1978年に初代が登場したスペシャリティクーペで、JTCへと参戦した2代目のA61型は1981年に市販車が発売されていた。


 市販車の登場後もすぐに目立ったモータースポーツ活動を行っていなかったセリカXXだったが、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)やイギリスサルーンカー選手権(のちのイギリスツーリングカー選手権)といったセリカXXが、“スープラ”と名乗っていた海外のグループAレースにおいて1983年より活動を開始。そして1985年、JTCでもセリカXXはデビューを果たした。


 まず参戦を始めたのは『チームC-ONEスポーツ』で、オープンロードというガレージがTRDの協力を得ながら製作した車両だった。


 C-ONEが作り上げたグループA仕様のセリカXXは市販車同様、2.8リッターの5M-GEUというエンジンを搭載。カムシャフトなど一部TRD製のパーツを使いながら、耐久性を重視したチューニングが施されていた。


 また、サスペンションはTRDで製作されたものを装着したほか、外観ではグループA規定で公認されたリヤスポイラーとオーバーフェンダーを備えていた。


 C-ONEのセリカXXは、鈴鹿サーキットで開催された1985年シリーズ第4戦で初陣を迎えたが、わずか12周でクラッチトラブルによりリタイアを喫してしまう。


 その翌戦となる1985年の最終戦インターTECでは、C-ONEに加えてトムスとサードというトヨタ系の強豪2チームがセリカXXでエントリーを果たした。


 なかでもサードが持ち込んだ1台はUKトヨタが開発したマシンで、イギリスの選手権などを戦っていて、すでに実績のある車両だったため、トムス、C-ONEの2台よりも戦闘力が高く、インターTECの予選では総合11位と他の2台を大きく引き離すスピードを披露した。


 しかし、決勝ではサードがミッショントラブルでリタイア。セリカXX勢ではトムスの車両が唯一生き残り、総合7位でチェッカーを受けた。


 その後、1986年はサードに加え、ボルクレーシングなどがエントリーしたが目立った戦果を挙げることはできなかった。トヨタ車の最高峰クラスでの活躍は、A70型スープラの登場を待たなければならなかった。

1985年の全日本ツーリングカー選手権最終戦インターTECを戦ったミノルタα-7000 CELICA。関谷正徳、小河等、鈴木利男がドライブした。
1985年の全日本ツーリングカー選手権最終戦インターTECを戦ったC-ONE SPORT SUPRA。佐藤浩二、熊谷睦、黒木健次がステアリングを握った。

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