佐藤義則40歳11カ月最年長ノーヒッター/パ伝説

1月16日(木)14時26分 日刊スポーツ

95年8月26日、ノーヒットノーランを達成したオリックス佐藤義則

写真を拡大


<復刻パ・リーグ伝説>

震災の年に、中年の星が輝いた。95年8月26日の近鉄戦(藤井寺)で、オリックス佐藤義則投手がノーヒットノーランを達成。当時の球界最年長となる40歳11カ月での快挙だった。同年1月17日には阪神・淡路大震災が発生。チームは「がんばろう神戸」を合言葉に、リーグ制覇をなしとげた。あれから25年、佐藤義則氏(65=前楽天投手コーチ)が当時を振り返った。【取材・構成=田口真一郎】
   ◇   ◇   ◇
その夜の藤井寺球場は、うだるような暑さだった。午後6時を過ぎても、気温は30度以上を計測。佐藤は回を投げ終わるたびに、ベンチを素通りした。裏に小さな部屋があり、クーラーが設置されていた。「マウンドを降りたら、そこでいつも頭を冷やしていた。とにかく暑くてさ」。そのせいか、チームに漂う緊張感を味わうことはなかった。佐藤のいないベンチでは遊撃を守る勝呂寿統が同僚に助言していた。「逆シングルだけはやめてくれ。ヒットになりやすい。正面に入ったら、エラーになる」。スコアボードの安打数ゼロをいかに維持するか。野手は意識していた。
試合途中、当事者の佐藤に偉業への意識はなかった。制球が不安定で6回まで4四球。「四球を出せばバント、で二塁にランナーを背負った。いつもピンチの気がしていた」。捕手の中嶋聡がこの日キレのあったスライダーを生かし、切り抜けていく。投手コーチの山田久志が中盤に声をかけた。「ヒットを打たれるまでいこう」。佐藤の内心はこうだった。「誰か早く1本打たねえかな…」。4回で7点リード。勝利を確信し、いつ降板してもよかった。無欲のまま、次第に調子が上がった。気付けば、最後の打者スチーブンスを迎えていた。
さすがにこの時点では佐藤に色気はあった。近鉄の助っ人4番に対し、フルカウント。中嶋は勝負球にやはりスライダーを選んだ。佐藤はこの試合初めてサインに首を振った。「左の外国人にスライダーが甘くなり、一、二塁間に打たれるのは嫌だった。自分の一番得意なボールで、縦のほうがいいと思った」。自身の代名詞ヨシボールで決める。「(指先から)離れる瞬間、祈ったよ。落ちたね。やったー、それしかなかった」。思い描いた軌道。スチーブンスのバットは空を切った。40歳11カ月、史上最年長(当時)のノーヒットノーランとなった。直前に5連敗を喫していたチームは、この1勝で勢いを取り戻し、オリックス初のリーグ制覇にひた走った。ベテランの奮闘は中年の星と称賛された。
偉業を達成した佐藤だが、この年、キャンプから開幕までどんな調整をしたのか、ほとんど覚えていないという。「練習の記憶があまりない。思い出せねえな」。この年の1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。神戸の山手にあるマンションに住んでいた佐藤に、大きな被害はなかった。しかし神戸を本拠地にするチームは、明日をも知れない状況に陥った。「家がつぶれたやつもいる。グラウンドにどうやって行こうか、という感じだったから」。春季キャンプは自由参加となったが、最終的には全員が集まった。沖縄・宮古島のチーム宿舎、朝食会場での話題は決まっていた。「朝に顔を合わせば、家がどうだ? とか、その話題ばかり。練習はしたけど、気持ち半分だった」。
混乱の中、佐藤は開幕投手に指名された。「がんばろうKOBE」のワッペンを右袖に縫いつけ、4月1日、地元神戸でロッテとの開幕戦は決行された。試合直前、右翼のブルペンに向かうベテランは、その光景を今も鮮明に覚えている。「誰も来ないと思っていたら、グラウンドを出たら、満杯だった。ビックリしたよ。震災から3カ月もたっていないんだから。なんで、こんなに来ているの? って」。スタンドは3万人の観衆で埋まっていた。
この試合、佐藤は7回2失点で上々の内容だった。勝ち星はつかなかったが、1点差で勝利。「自分なりにできたと思うよ。力みはなかった」。神戸のために−、その問いかけにはっきりと言った。「これが俺の仕事で、給料がかかっているんだから。プレーボールがかかったら、バッターをどうやって抑えるかしか考えていない。勝つことしか考えていない。勝って、ファンが喜んでくれたら、それでいい」。
この年、佐藤には何度もテレビ局からインタビューの申し込みがあったが、断り続けた。ファンのため、神戸のため、そんな美談に違和感があった。「オリックスの選手だけが、震災に遭っていないかのように、聞きに来るから嫌だった。野球をやっているから、何もないかのように。みんな、町の人たちと同じなんだから。みんな、一緒だって」。被災者はそれぞれの立場で日常を取り戻そうと必死だった。野球選手だから特別ということはない。佐藤も自らの本分に全力を尽くした。それぞれがひたむきに生き、オリックスのリーグ制覇が復興を目指す神戸の連帯感の象徴となった。
長いキャリアで、8月26日の快挙はどんな位置づけか。佐藤は断言する。「優勝はもちろんうれしいことだけど、個人のことでは、一番だ。辞める前にできてよかった。本当にうれしかったよ」。震災の年に生まれた40歳ノーノーは、プロフェッショナルの誇りから生まれた。(敬称略)
◆佐藤義則(さとう・よしのり)1954年(昭29)9月11日、北海道・奥尻町生まれ。日大から76年ドラフト1位で阪急(現オリックス)入団。現役通算21年で165勝137敗、48セーブ、防御率3・97の成績を残した。85年に21勝で最多勝、86年に防御率2・83でタイトルを獲得した。98年に現役引退。翌年からオリックス、阪神、日本ハム、楽天、ソフトバンクでコーチを歴任。昨年は楽天投手テクニカルコーチを務めた。181センチ、86キロ。右投げ右打ち。

日刊スポーツ

「最年長」をもっと詳しく

「最年長」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ