やる気スイッチオン。山田哲人は高2でドラフト中継を見て別人になった

1月16日(木)6時0分 Sportiva

あの時もキミはすごかった〜ヤクルト・山田哲人

 昨年末、山田哲人(ヤクルト)は球団史上最高額となる5億円で契約更改した。入団10年目以内での5億円到達は、高卒入団の野手ではイチロー、松井秀喜に次ぎ史上3人目となる。

 これまで山田の活躍には何度も驚かされてきたが、ニュースに触れるたびに「まさか、あの選手が……」の思いは消えない。

 2010年のドラフトで”外れ外れ1位”ではあったが、山田は高い評価を受けてプロ入りした。しかし、高校入学時から見ていた者とすれば、ドラフトで1位指名を受けたこと自体が驚きだった。


昨年のプレミア12でも侍ジャパンの主力として活躍した山田哲人

 ドラフト1位でプロに進むような選手は、小学生や中学生の頃から飛び抜けた活躍をし、多少の尾ひれがつきながらもさまざまな”伝説”を残しているもの。しかし、山田にはそうした類(たぐい)の話が一切ない。

 以前、少年野球のチーム関係者に話を聞いた時も「こんなことになるとはだれも思っていなかった」「過去にもっとすごい選手がいました」といった話はあったが、「絶対にプロに行くと思っていました」という声は皆無だった。

 履正社に進んでからもそうだった。高校3年の最後の夏を控えたある時、大阪の私学の監督と山田の話題になった。すると、その監督はこう切り出した。

「去年、ウチも履正社と試合をしているんですよ。でも、正直、山田に関してはほとんど印象がなくてねぇ。ドラフト上位候補と騒がれるような選手は覚えているはずなのに、ほんと記憶らしい記憶がないんです」

 山田自身も、自らの少年時代をこう回想していた。

「小学生や中学生の時は、(自分の力が)そこそこ上のレベルにあるとは思っていましたが、プロに行けるなんて思わなかったですし、どこかの高校でレギュラーを獲って、甲子園に行けたらいいなと思う程度で……。それに中学の頃は友達と遊ぶほうが楽しくて、野球を辞めようとかと真剣に思ったことがありました。でも、お父さんの期待も感じていたし、辞めたら悪いなと思って続けましたが、野球が特別好きという感じではなかったです」

 とはいえ、強豪・履正社で1年秋からレギュラーとして出場すると、2年夏には3番を任され、チームのベスト4入りに貢献するなど才能を発揮した。俊足で強肩、守備力も高く、バッティングも悪くない。チーム内の評価は高く、岡田龍生監督やコーチは「いいですよ」「この先が楽しみです」と早い段階から言っていたのを思い出す。

 履正社の試合は何度も見ており、たしかに山田が走攻守揃った選手であることは間違いない。だが、力強さや存在感という部分で物足りなさがあったのも事実で、いわゆるドラフト上位で指名されるような選手には思えなかった。

 その当時、山田に対して勝手に抱いていたイメージは「高校卒業後は関東の名門大学に進み、そこで鍛え抜かれて4年後のドラフトでどうか……」といったものだった。今にして思えば、まったく見る目がなかったということだ。

 山田の高校時代、当時の大阪にはPL学園に吉川大幾(現・巨人)がいた。ともに下級生の頃からレギュラーとして活躍し、走攻守3拍子揃ったタイプの選手だった。

 とくに吉川の勝負強いバッティングは印象的で、チーム内でも存在感は抜けていた。また取材をしても、負けん気の強さを隠すことなく、早くから「プロ志望」を口にしていた。とにかく、「オレは野球で食っていく」という感じが全身から溢れていた。

 3年春の段階では、前年夏の大阪大会で5本塁打、甲子園でも一発を放った吉川のほうが注目度は高かった。

 しかし、冬のトレーニングで徹底的に鍛えると、履正社の先輩であるT−岡田(現・オリックス)の高校時を上回るスイングスピード(154キロ)を記録。そこから山田はホームランを量産。また、長打力が増したことに加え、ここぞという場面での一打も確実に増えた。

 そして迎えた最後の夏。スカウトたちが揃った初戦で満塁ホームランを放つと、大阪大会4回戦では吉川のいるPL学園を破り(8対7)、ついに13年ぶりの甲子園出場を果たした。

 甲子園でも2試合で6打数4安打(2四球)と活躍。初戦の天理戦ではホームスチールを決め、聖光学院戦では歳内宏明(元阪神)から左中間に会心の一発を放つなど、走攻守でアピールし、誰が見ても堂々のドラフト上位候補となった。

「去年まではチャンスに弱かったんで、そこそこ打っても目立たなかった。でも今年は、結構いいところで打てるようになって、そこが一番の成長だと思っています」

 ドラフトを目前に控えた取材で、山田はこの1年の変化についてこう語った。ひと冬越えた間に何があったのかと聞くと、いかにも山田らしい答えが返ってきた。

「去年の秋にドラフト中継をテレビで見ていて、ほんと突然なんですけど『来年はここで名前を呼ばれたい』と強烈に思ったんです。それまでは『プロは行けたらいいな』ぐらいで、無理やろうなと考えていたのに、テレビを見た時に『来年は絶対に自分が……』と思ったんです。あそこで気持ちが変わりました。

 それから練習に対する意識が変わって、それまではすぐに妥協していたのに、もうちょっと頑張ってみようとなったり、自主練習でバットを振り込んだり、今まで以上にトレーニングをするようになったり……。そういう積み重ねが結果として表われるようになったと思います」

 この話を聞きながら、気持ちだけでここまで変われるものか……と思うほど、山田のプレーは格別に変わった。単純に結果ではなく、プレーから伝わってくる自信やグラウンドでの立ち居振る舞いなど、少しオーバーに言えば”別人”になったような感じがあった。

 そしてスイッチが入ってからの山田は、いまも成長を続けている。アマチュア選手を取材するようになり20年以上経つが、いい意味で最も予想を裏切られた選手のひとりである。 

Sportiva

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