蒼国来を相撲人生の絶頂からどん底へ突き落とした「ある事件」

1月19日(日)6時10分 Sportiva




向正面から世界が見える〜

大相撲・外国人力士物語
第6回:蒼国来(2)

 2003年秋場所(9月場所)、中国の内モンゴル自治区出身力士として初めて、土俵を踏んだ蒼国来。日本式の相撲は未経験だったものの、抜群の運動神経と筋肉質の体を武器にして番付を上げ、2010年秋場所、新入幕を果たした。

 ところが翌年4月、八百長疑惑によって、引退勧告を受けることに……。それを不服とした蒼国来は、2年以上にわたり、潔白を訴え続けた。

 そうして、裁判を経て、その訴えはついに認められ、2013年名古屋場所(7月場所)で土俵復帰。以降、現役力士として奮闘し、2017年初場所(1月場所)では、技能賞を受賞した。36歳になった今も、玄人受けする相撲で土俵を沸かせている蒼国来の波乱万丈の相撲人生に迫る——。

        ◆        ◆        ◆

 角界入りを決断した私は、2003年6月に来日しました。

 私は日本に来る前、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」という言葉だけは覚えたんです。でも翌朝、親方に「おはようございます」と言うべきところを「こんにちは」と言っちゃって……(笑)。

「おいおい、親方に向かって、その挨拶か?」と親方が笑っていたので、間違いに気がつきました。本当に恥ずかしい思い出なのですが、私の日本語のレベルはそんな感じだったのです。

 それから、9月の秋場所(9月場所)前に新弟子検査を受けて合格。四股名は、「蒼国来栄吉」です。

「雄大な内モンゴル草原の、抜けるような蒼い空と中国の広大な国土」をイメージして、親方が付けてくれたものです。

 ようやく力士としてスタートした私でしたが、相撲部屋での生活は、稽古以外に覚えることがたくさんあって、本当に大変でした。

 まずは、日本語。言葉というか、「コップ」「箸」などの単語を毎日一個ずつ覚えていきました。小学1年生の国語の教科書などを使って、おかみさんと2人で勉強したり、夜は近所に住んでいる台湾の人と一緒に勉強したりしました。そうして、半年くらい経った頃には、周りの人が話していることが、まあまあわかるようになったんです。

 でも、話の意味はわかるんですけど、自分からは話せない。「コップ」とかの単語は言えるんだけど、主語と述語をつなげることが難しかったですね。

 それと、食事にも苦労しました。内モンゴルでは、毎日白いゴハンを食べるという習慣がなかったので、昼も夜も毎日、白飯が出てくる相撲部屋の食事はキツかったなぁ……。最初のうちは、白飯に好物のヨーグルトをかけてガーッとかきこんでいました。

 その頃、荒汐部屋には、1歳上の兄弟子と私しか力士がいませんでした。親方、おかみさん、兄弟子が一丸となって、私を相撲の世界に馴染ませようと力を貸してくれました。部屋の雰囲気がファミリーのようだったのも、私にとっては幸運でした。

 2003年九州場所(11月場所)、初土俵からふた場所目ですが、序ノ口で私は全勝優勝。相撲の技もほとんどわからず、レスリング時代の技を駆使して勝っていたという感じでした。

 翌2004年初場所(1月場所)、序二段に番付を上げた私は、一番相撲で上腕を骨折して休場。続く春場所(3月場所)では序二段で全勝したのですが、優勝決定戦で敗れてしまいました。以降、三段目は3場所で通過して、九州場所では幕下に昇進します。

 大相撲の世界では、博多帯が締められる幕下昇進はひとつの区切りでもあります。初土俵から1年。相撲というより、レスリングや他のスポーツで身につけた力で上がった感じではありましたが、それなりに早い昇進だったと思います。

 私には、レスリング部の監督と交わした約束がありました。

「1年間がんばって、ダメだったら戻ってきてもいいぞ」

 この約束があったから、1年間、私は必死で相撲をがんばることができました。それが、幕下昇進という結果に結びついたんです。

 新幕下の九州場所では負け越してしまいましたが、年末、私は内モンゴルに帰りました。といっても、実家に帰ったわけじゃないんです。1年半前、「がんばれ!」と送り出してくれたレスリング部の監督のところに行って、きちんと挨拶したいと思ったのです。

 日本に行く時は、「ダメなら(内モンゴルに)帰ってきてもいいや」くらいの軽い気持ちだったけど、日本の相撲界ではモンゴル人をはじめとする外国出身力士がたくさんいて、みんな必死にがんばっている。そんななか、途中で逃げ出して国に帰ってしまったら、「おまえ、やっぱり弱いヤツだね」と言われてしまうでしょう。

 ですから、結果を残すまでは、私は内モンゴルには帰れない。中途半端なことはできない——力士になって1年、こうした重みがわかるようになってきて、私はもう一度、送り出してくれた人たちに自分の決意を告げたいと思ったのです。

「今後、私は大相撲ひと筋にがんばります」

 レスリング部の監督、両親の前でそうけじめをつけて、日本に戻りました。

 帰国を許してくれた親方とおかみさんは、私がこのまま内モンゴルから帰ってこないんじゃないか……と心配していたみたいですけどね(笑)。

 ここから、私の本当の相撲人生が始まったと思っています。

 どんなスポーツでも、基本が大事。これは、レスリングの監督にも言われていたことですが、相撲はとくにすり足や股割り、テッポウなどの基礎が大切だと親方にも教わりました。だから、とにかく基本からしっかり取り組むことにしたんです。

 再度幕下に上がったのは、それから1年後。その後はまた、三段目に落ちたり、幕下に復帰したり、番付は一進一退が続いていました。

 こうした壁を突き抜けられなかったのは、太れなかったことも一因です。レスリングをやっていた頃は、減量をしていたこともあって、食べ物はゆっくり噛んで食べる習慣がついていました。

 でも相撲の世界では、「ガツンと食え!」「ガンガン飲め!」という感じですから、私にとっては苦しいわけです。

 幕下に上がって、5年くらいくすぶっていた頃の体重は120kg前後でしたが、2009年に入ると、体重も125kgくらいに増えて、相撲にも勝てるようになってきました。

 実際、2009年初場所からは6場所連続勝ち越して、2010年初場所では念願の新十両に昇進しました。



内モンゴル出身の、初の関取となった蒼国来。photo by Kyodo News

 内モンゴル出身としては、初めての関取。中国出身という意味でも、36年ぶりで、荒汐部屋からも初めての関取誕生です。親方、おかみさん、応援しているみなさんには、我が事のように喜んでいただきました。

 快進撃はさらに続きます。新十両の場所(2010年初場所)で9勝を挙げて、その後も3場所連続で勝ち越した私は、秋場所(9月場所)で新入幕を果たします。

 今振り返ってみても、11場所連続して勝ち越したこの頃が、相撲人生で一番楽しい時だったかもしれませんね。25〜26歳で、一番力が出る時期だったこともあったでしょう。

 2011年初場所も幕内で勝ち越して、ホッとしたのもつかの間、ある事件のために、私の人生はどん底に落ちてしまいます。

「ある事件」とは、大相撲八百長問題です。八百長に関与したとして、その年の4月に、私は相撲協会から引退勧告処分を受けたのです。

(つづく)

蒼国来栄吉(そうこくらい・えいきち)
本名:エンクー・トプシン。1984年1月9日生まれ。中国・内モンゴル自治区出身。荒汐部屋所属。玄人好みの取り口と実直な人柄で根強い人気を得ている。少年時代は、放牧生活を営む実家で、馬や牛、羊、山羊、犬に囲まれて育つ。昨年9月に日本国籍を取得。2020年初場所(1月場所)時点での番付は、十両10枚目。

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