三浦泰年がブラジルでサプライズ。田舎チームが奮戦、選手に伝えたこと

1月21日(火)6時20分 Sportiva

 ブラジルで一番有名な日本人選手といえば、やはり三浦知良だ。彼が52歳でプロ契約を延長したことは、ブラジルでもかなり話題となった。しかし、記録をうち立てたのはカズだけではない。彼の兄、三浦泰年も最近、ある記録をうち立てた。史上初めて、ブラジルのチームを率いる日本生まれの日本人監督となったのである。

 ブラジルでは毎年1月にコパ・サンパウロというユース大会が行なわれる。1969年から始まり、今年でちょうど50回を数える伝統ある大会だ。ブラジル全国からプロアマ問わず、約120のU−20のチームが集まり、30のグループに分かれて、1カ月をかけて優勝を争う。若手選手の登竜門としても有名で、毎年ブラジル国内外のクラブチームがスカウトを送り込んでいる。

 昨年11月、三浦泰年はこのコパ・サンパウロを戦うチームの監督に就任した。ブラジルの北東部セルジッピ州にあるソコーロのU−20の監督だ。日本人で初めて、ブラジルのプロリーグでゴールを決めた選手として、ヤスはブラジルでも知られている。その彼が今度は日本人で初めてブラジルのチームを率いることになったというニュースは、ブラジルでも大きく報じられた。日本人どころか、アジア人、いや欧米人以外の外国人監督が、ブラジルのチームのベンチに座ったことは、今だかつてなかったからだ。


去年からブラジルを本拠に活動している三浦泰年(写真は昨年のコパ・アメリカ)photo by AFLO

 おしゃれな銀髪で笑顔のヤスは、このコパ・サンパウロに参加した127人の監督の中で間違いなく一番フレンドリーだった。メディアやサポーターの興味を大きく引き、ソコーロの試合があるたびに、スタンドではいつも彼を応援する「ヤス!ヤス!」の声援が上がっていた。

 ソコーロはブラジルでも一番貧しいと言われるセルジッペ州にあるチームだ。そこにヤスは2つの日本企業のスポンサーを連れてきた(パナソニックとYKK)。大会期間中のみのスポンサーだが、それでも故郷から2000キロ離れたサンパウロ州で戦わなければいけない彼らには、大いなる助けとなったことだろう。一方、ヤスはブラジル初の日本人監督の称号を手に入れた。うまくいけば、これを足掛かりに今後ブラジルのより大きなチームの監督に就任できるかもしれない。

 今後も、ヤスがブラジルで監督をする可能性はあるのか? 答えを先に言うと、ありえると私は思う。ブラジルのテレビ局のコメンテーターも私と同じ意見だった。なぜなら貧しい片田舎のユースチームに、ヤスはサプライズを巻き起こしたからだ。

 この大会、ソコーロは初戦からリオデジャネイロの強豪フルミネンセU−20と当たってしまい、0−5で敗れた。大敗のように感じられるかもしれないが、コパ・サンパウロでは9−1や8−0といった結果も少なくない。そしてフルミネンセは、これまでのところベスト3に入る強さを誇るチームで、最も多くのゴールを決めている。

 フルミネンセの監督エドゥアルド・オリヴェイラは試合後にこう言っていた。

「我々はもっと多くのゴールを決めるつもりでいた。若手の力を見せるコパ・サンパウロでは、すべてのゴールが重要だからだ。しかし今日の試合は難しかった。この結果もかなり苦労して得たものだ。ソコーロの守備はよく組織されていて、とにかく簡単な試合ではなかったよ」

 ソコーロの2戦目の相手は、イトゥアーノU−20。今度は、クラブ世界王者やW杯優勝に輝いたジュニーニョ・パウリスタもかつてプレーしていた、近代的で金持ちのプロチームだ。トップチームはブラジル1部に所属しているので、そのユースにも優秀な選手がそろっている。彼らはトップチームに上がるため、力を見せる必要がある。その戦いは真剣だ。だが彼らは、半分アマチュアのソコーロに対し、2ゴールしかあげられなかった。

 この試合を見ていたジュニーニョ・パウリスタに、私は話を聞いた。

「今日、私のチームは今大会で一番いいプレーをした。我々は何が何でもセカンドステージに駒を進めなければいけないからだ。しかしソコーロは簡単には勝たせてくれなかった。選手たちはかなり苦労してこの勝利を手に入れた。正直、相手チームがこれほど強いとは予想してなかったよ。彼らの闘志と勇気には驚かされた。常にゴールを目指していた」

 ソコーロが各州トップクラスの強豪でなく、やっと”普通”のチームと対戦できたのは、残念ながらすでに敗退が決まってからだった。これほどクジ運に見放されるとは、ヤスもその選手たちも思っていなかったろう。

 3戦目の相手はヴィリェネンセ。ブラジル北部ロンドニア州のチームだ。すでに敗退が決まったチームはモチベーションを保つのが難しいが、ヤスはそれをやりとげた。ソコーロはヴィリェネンセに1−1で引き分け。3戦全敗からも、無得点からも免れた(全敗のチームは20、無得点のチームは38もあった)。

 3試合で勝ち点1という成績を手に、ソコーロは故郷に帰った。この3試合の間に、ヤスは少なくとも20のインタビューは受けていた。そのうちのひとつはブラジルの有名なスポーツチャンネル、SporTVだ。

インタビューの中でヤスはこう言っていた。

「これはどこにでもあるようなユースの大会ではない。ネイマール、カゼミーロ、カカ……世界で名を馳せた選手たちの登竜門となってきた大会だ。参戦を希望するチームは星の数ほどあり、そのために何年も待つこともある。この大会でチームを率いることは簡単なことでない。まず何より大会の期間が長い。1カ月近く続き、参加するチームは127だ。世界有数のユース大会と言ってもいいだろう。この名誉ある大会で、私は監督、選手合わせて、唯一の日本人だった。このことを非常に嬉しく思う。とても大きな挑戦だった」

 ヤス監督は選手たちへの思いを続けた。

「私の選手たちは持ちうるすべての力をピッチで見せた。彼らにとっても、これは今後プロとしてプレーできるかもしれない大きなチャンスだ。人生がまったく変わる可能性を秘めている。ブラジルと日本のサッカー界で仕事をするうちに学んできたものを、何らかの形で還元できたらと思う。異なる文化を、私の経験によってひとつにできたら嬉しい」

 ヤスは大会に敗退したが、個人的にはふたつの収穫を勝ち取ったはずだ。

 ひとつは知名度と人気。ソコーロのあるセルジッペ州では、彼はすでに有名人だ。特に最後の試合を引き分けに終えたことは、この町に喜びをもたらした。ヤスが町を歩くと、「写真を撮ってくれ」という声があちこちからかかるそうだ。

 ふたつ目はブラジルメディアに対し、自らを印象付けるのに成功したことだ。それもかなりポジティブな印象だ。彼が練習を指導する様子は、SporTVでも取り上げられていた。エモーションやモチベーションという、言葉ではなかなか説明できないものを、彼は選手たちに理解させた。

 テレビのコメンテーターは、ソコーロの試合を見て「この日本人はどうしたらそれを成しえたのか」「彼こそが本当の監督だ」と言っていた。「もしすべての監督が彼と同じエネルギーとモチベーションを持っていたら、ブラジルのサッカーはもっと底力を持つことができるだろう」とも。

 テレビはまた、ソコーロの敗退が決まったイトゥアーノ戦の試合前後の監督と選手たちの様子をクローズアップしていた。試合前、ヤスはプレーの最終確認と相手チームの戦略について説明すると同時に、選手たちにこんな言葉をかけた。

「君たち全員に『自分がチームを引っ張るキャプテンだ』と思ってほしい。緊張はせず落ち着いて、しかし心は熱く持っていてほしい」

 試合後、敗退の決まったロッカールームでの言葉は、より選手の心に響くものだった。

「今日の君たちのプレーは本当によかった。私は満足している。君たちを応援に来てくれた人たちも、故郷でテレビを見ていた人たちも、私と同じように君たちを誇りに感じたと思う。私は自分の選手としての、そして監督としての経験を、この短い間にできるだけ君たちに伝えたかった。君たちそれぞれが、何らかのものを私から学んでくれたら嬉しい。君たちの監督だったことを私は誇りに感じる。君たちを率いるのはたった2カ月だったし、対戦するのは強いチームばかりだった。しかし、私は最初からこのチームの強さを信じていた。ブラジルと日本のサッカーのそれぞれのいいところを融和させれば、きっといいチームができると思っていた」

 これこそがまさに、ヤスが伝えたかったことだったに違いない。



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