オシムジャパンのコーチだった小倉勉の驚き。間近で見た選手の進化

1月23日(土)16時5分 Sportiva

「オシムの教え」を受け継ぐ者たち(5)
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 今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム——。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。
◆連載#4 オシム・ジェフは休みなしの定説に当時のコーチが反論。休息はあった
 鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。
 第5回は、前回に続きジェフと日本代表でもコーチとしてオシムを支えた小倉勉が、その後のキャリアでも大切にしているオシムの指導者としての姿勢を話した。

2006年7月に発足したオシムジャパンでもコーチを務めた小倉(右から2番目) photo by AP/AFLO
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 2003年から2006年7月までの4年半にわたるイビチャ・オシム体制において、ヘッドコーチの小倉勉がフルタイムで指揮官を支えたのは、2003年、2004年の2年間だけだった。
 U−15日本代表監督の城福浩から要望され、2005年にU−15日本代表のコーチを務めることになったからだ。
「当時、U−17W杯への出場を2大会続けて逃していて、城福さんは『絶対に出たい』と。『ボールを動かし、人も動くサッカーでアジアを突破して世界に行きたい。オグの力を貸してくれないか』と誘われたんです。僕にとっても興味深い話でしたし、城福さんとは同時期にトレセンコーチを務めた間柄。トライする価値があるんじゃないかと」
 城福がジェフユナイテッド千葉のクラブハウスに足を運ぶと、オシムは小倉のU−15日本代表コーチ就任の打診を快く受け入れた。
「オシムさんは僕に『行くな』とも言わないし、『行け』とも言わなかった。でも、『うちでやりながら、活動がある時だけ向こうに行けばいいんじゃないか。両方やればいいだろう』というような話をされて。それで、掛け持ちしていたんです」

 2006年になると、小倉はジェフを離れた。この年にU−16アジア選手権決勝大会に臨む代表チームに専念するためだ。ジェフもコーチングスタッフを刷新した。
 だが、半年後、小倉は期せずしてオシムと再会することになる。オシムが日本代表監督に就任したからだ。
 この時、小倉は日本サッカー協会から、U−16代表とA代表のコーチを兼任し、オシムを支えるという任務を受けた。そして迎えた最初のスタッフミーティングの場で、オシム節が炸裂する。
「『どうしてここにいるんだ? 俺はお前のことを呼んだ覚えはないぞ』って、意地悪を言われて。ほかのコーチングスタッフの方々が大爆笑。参りましたね(苦笑)」
 オシムとともに戦った日本代表のゲームのなかで、小倉にとって最も印象に残っているのは2007年9月、オーストリアで対戦したスイス戦だ。翌年のEURO2008の開催国(オーストリアとの共催)であり、ベストメンバーのスイスに対して、打ち合いの末に4−3で勝利したのだ。
「逆転して勝ったという劇的な展開もそうなんですけど、かなりのメンバーを揃えてきたスイスとアウェーでこれだけの戦いができるんだなって。このサッカーを磨いていけば、世界で通用するんじゃないか、と手応えを掴んだ試合でした」
 オシムが脳梗塞で倒れ、代表監督を退任するのは、その2カ月後のことだった。
 
 その後、コーチとして2010年南アフリカW杯や2012年ロンドン五輪に参加し、大宮アルディージャの監督やヴァンフォーレ甲府のコーチ、ジェフのコーチなどを歴任した小倉にとって、ジェフ時代にオシムから学んだことは財産になっているという。
 例えば、エースの扱い方である。2003年にチーム内得点王だった崔龍洙(チェ・ヨンス)に対しても、オシムは特別扱いすることなく、厳しく接していた。
「チームの絶対的なエースというと、腫れ物に触るような感じになることってあるじゃないですか。でも、オシムさんははっきりと『20点取っていようが、30点取っていようが、エゴは許さない』と言っていたし、ヨンスがミスしたら、練習中に走らせていましたからね」

 その効果は絶大だったという。
「チームの得点王でも怒られるんだから、自分が走らないでどうするんだ、という雰囲気になって、ピリッと締まりましたから。ヨンスも新鮮だったんじゃないですか。彼が監督になったあとに話す機会があったけど、『最も印象に残っている監督はオシムさんだ』と言っていましたから」
 選手の成長を間近で見られたのも貴重な経験だったという。水本裕貴や水野晃樹といったルーキー、羽生直剛、巻誠一郎、佐藤勇人といった20代前半だけでなく、ベテラン選手も伸びていく様子は、いい意味での驚きだった。
「斎藤大輔はセレッソ大阪から2002年の途中でやって来て、オシムさんが監督に就任した時は30歳くらい。いい年齢だったんですけど、チャンスを与えられて伸びていった。あれくらいの年齢になっても学ぶ姿勢があって、体のケアをしっかりやれば、十分成長できるんだなって。彼自身、『引退しそうだなと感じていた年齢から、プラス数年できた』と言ってましたね」
 むろん、学ぶ姿勢が大事なのは選手に限った話ではない。
 指導者も学び続けなければならない——。
 それこそ、オシムから学んだ最も大切なことだった。
「あれだけの経験と実績を積んでいるのに、オシムさんには『このサッカーがすべてだ』という考えが一切ないんです。サッカーは時代とともに進化していくし、自分たちの戦力や相手によっても変化させないといけない。だから『毎日、ヨーロッパのトップレベルの試合を見て勉強しろ、分析しろ』と。オシムさんはスタッフミーティングで必ず、『昨日のあの試合、見たか』と聞いてくるんです。『あの守備のシーン、よかったよな』って。だから、必死になって海外サッカーの試合を追いかけていましたね(笑)」

 Jクラブでの指導を経て、2018年に横浜F・マリノスのアシスタント・スポーティング・ダイレクターに就いた小倉は、2018年9月にスポーティング・ダイレクターに昇格。2019年には積極的な選手補強を行ない、念願のJ1制覇を成し遂げた。
 チーム編成や強化がメインで、指導の現場からは離れているが、それでもオシムの教えを今も大切にしている。
 サッカーは常に進化しているから、学び続けなければならない。これがすべてだと思った瞬間に、次はない——。
 その教訓を胸に、変化し続けるサッカーシーンの中で、小倉はクラブの強化に情熱を注いでいる。
(第6回につづく)
■小倉勉(おぐら・つとむ)
1966年7月18日生まれ。大阪府出身。ドイツでの指導者経験を経て、1992年からジェフの育成組織で指導を開始。トップチームコーチも歴任し、2006年に日本代表のコーチに就任。2010年南アフリカW杯にも帯同した。その後、複数のJリーグクラブでコーチなどを務め、現在は横浜F・マリノスのスポーティング・ダイレクターとしてチームを支えている。


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