スコーピオン弾の21歳も続くのか…プレミアリーグの歴史に名を刻んだアメリカ人たち
2022年1月25日(火)18時10分 サッカーキング
ノリッジに所属するアメリカ代表FWジョシュ・サージェント(21歳)が、今月21日に行われたプレミアリーグ第23節ワトフォード戦で2ゴールの活躍を見せた。
サージェントは今季ドイツのブレーメンから加入し、これがプレミアリーグ19試合目にして初ゴール。しかも先制点は右足のアウトサイドで“スコーピオンキック”気味に放ったシュートだった。さらにヘディングでもゴールを決めて、残留争い直接対決の重要なゲームでチームを勝利に導いた。これでノリッジは2連勝となり、2週間前まで最下位にいたチームが気づけば降格圏を脱出している。このまま残留できたなら、恐らくサージェントはサポーターからヒーローとして崇められるはずだ。
アメリカ人として、プレミアリーグの舞台で結果を残した選手はサージェントが初めてではない。これまで50名近いアメリカ人がプレミアのピッチに立ってきたのだ。それでは、歴史に名を刻んだアメリカ人選手を振り返ってみよう。
[写真]=Getty Images
■初出場
1992年に発足されたプレミアリーグにおいて、初めてピッチに立ったアメリカ人はMFジョン・ハークスである。ハークスはアメリカのバージニア大学で、後にアメリカ代表監督にまで登り詰める名将ブルース・アリーナの元で腕を磨いたあと、1990年に渡英。当時2部にいたシェフィールド・ウェンズデーに加入すると、1991年のリーグカップ決勝でマンチェスター・Uを下して同大会を初制覇。そして同年に1部リーグに返り咲き、1992年のプレミアリーグ発足を迎えるのだった。
ハークスは、開幕戦こそ欠場したものの、2試合目のノッティンガム・フォレスト戦で77分から途中出場してプレミアリーグ史上初のアメリカ人選手となった。ちなみに、1992年8月のプレミアリーグ初年度の記念すべき開幕節(全11試合)で、英国&アイルランドを除いたいわゆる「外国人選手」は13名だけだった。残念ながらハークスは、外国人“オリジナル13”には名を連ねることができなかったわけだ。
ハークスはシェフィールド・Wに加え、ウェストハムやノッティンガムにも所属してプレミアリーグ通算43試合2ゴール。そしてアメリカ代表としては2度のワールドカップに出場した。引退後は指導者の道に進み、現在はアメリカのグリーンヴィル・トライアンフというクラブでスポーツダイレクター兼監督を務めている。
■最多出場
プレミアリーグで歴代最多出場を誇るアメリカ人選手は、GKのブラッド・フリーデルだ。オハイオ州出身のフリーデルは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でプレーした後に英国に挑戦するも、労働ビザが下りなかったため試合に出られないままニューカッスルの練習に参加していた。その後、デンマークのブレンビーを経て、ガラタサライ(トルコ)、コロンバス・クルー(アメリカ)で経験を積み、1997年12月にリヴァプールに加入して晴れて労働許可も下りた。
翌年のアストン・ヴィラ戦でプレミアデビューを果たすのだが、守護神デイヴィッド・ジェイムズの控えに甘んじたため、2000年に当時2部のブラックバーンに移籍して正GKとして活躍。チームのプレミアリーグ昇格に貢献すると、2002−03シーズンにはプロ選手協会選出のプレミアリーグ年間ベストイレブンに選ばれた。その後はアストン・ヴィラやトッテナムなどにも所属し、2004〜2012年まで3クラブをまたいで310試合連続出場というプレミアリーグ記録を樹立。これは今でも破られていない。
フリーデルはプレミアリーグ通算450試合に出場。アメリカ人としての歴代最多記録を持ち、全選手で見ても歴代23位という数字を残している。ちなみにフリーデルは、GKながらゴールを決めたことがある。ブラックバーン時代の2004年2月チャールトン戦、終了間際の89分にコーナーキックの流れから、こぼれ球を左足で押し込んで同点弾をマークした。しかし物語はここでは終わらず、92分にチャールトンのクラウス・イェンセンに決勝点を許して歓喜から一転、何ともドラマチックな敗戦を喫するのだった。
■最多ゴール
アメリカ人としてプレミア歴代最多ゴールの記録を持つのはクリント・デンプシーだ。デンプシーはニューイングランド・レヴォリューションでキャリアをスタートさせると、2007年1月に移籍金400万ドル(当時レートで約4億8000万円)でフルアムに移籍。同年5月のリヴァプール戦(1−0)で初ゴールを決めて、チームにリーグ戦11試合ぶりの勝利をもたらすと共に、下位に低迷していたクラブを残留へと導いた。
攻撃的なポジションをどこでもこなすデンプシーは、その後フルアムで主力に定着して2010−11シーズンには12ゴール、そして翌11−12シーズンには得点ランク4位のリーグ戦17ゴールと大ブレイク。2012年1月のニューカッスル戦では、アメリカ人戦として初のハットトリックまで達成した。今のところアメリカ人でハットトリックを決めているのはデンプシーと、現在チェルシーで活躍するクリスティアン・プリシッチの2名だけとなっている。
そんなデンプシーにキャリアの転機が訪れたのは2012年の夏だ。ブレンダン・ロジャーズ政権のリヴァプールが獲得に動き出したのである。だが、なかなか交渉がまとまらず、同選手は同じロンドンのトッテナムに移籍することに。ちなみに、このときリヴァプールはトレード要員として、現在ではキャプテンを務めるイングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソンをフルアムに差し出そうとしていた。
結局デンプシーは、プレミア通算218試合57ゴール。ブライアン・マクブライド(36点)を抑えてアメリカ人としてプレミア史上最多ゴールを樹立した。さらに興味深いことに、デンプシーはアメリカ代表でもランドン・ドノヴァンと並び歴代最多ゴール記録を保持しており、そのゴール数も「57」となっている。
■リーグ優勝
これまで49名のアメリカ人がプレミアリーグのピッチに立ってきたが、意外にも優勝した選手は1名しかいない。そう言われると、大半の人が元アメリカ代表GKティム・ハワードを思い浮かべるだろう。ハワードは2003年にマンチェスター・Uへ加入すると、いきなり定位置を確保して1年目にはFAカップ優勝に貢献。しかし、リーグ優勝とは無縁だった。彼が所属した3シーズン、“赤い悪魔”はちょうど谷間の時期で優勝から遠ざかっており、ハワードは一度もプレミアリーグの頂点に立つことができなかった。
では、リーグ優勝の経験があるアメリカ人とは誰なのか? それは今もマンチェスター・Cに所属しているアメリカ代表GKザック・ステッフェン(26歳)である。2019年に加入したステッフェンは、これまで2年半で2度しかプレミアリーグのピッチに立っていない。クラブが頂点に立った昨シーズンも、ステッフェンは1試合にしか出場していないが優勝メダルを手にしている。
プレミアリーグの規則では、優勝クラブに40個のメダルが用意され、リーグ戦5試合以上に出場した選手はメダルが確約される。そして残りのメダルを、クラブの判断で他の選手やスタッフに分配することになっており、控えGKだったステッフェンも無事にメダルを胸にかけている。そして、今季もマンチェスター・Cは連覇に向けて視界良好。どうやらステッフェンも2つ目のメダルを手中に収めそうだ。
(記事/Footmedia)
サージェントは今季ドイツのブレーメンから加入し、これがプレミアリーグ19試合目にして初ゴール。しかも先制点は右足のアウトサイドで“スコーピオンキック”気味に放ったシュートだった。さらにヘディングでもゴールを決めて、残留争い直接対決の重要なゲームでチームを勝利に導いた。これでノリッジは2連勝となり、2週間前まで最下位にいたチームが気づけば降格圏を脱出している。このまま残留できたなら、恐らくサージェントはサポーターからヒーローとして崇められるはずだ。
アメリカ人として、プレミアリーグの舞台で結果を残した選手はサージェントが初めてではない。これまで50名近いアメリカ人がプレミアのピッチに立ってきたのだ。それでは、歴史に名を刻んだアメリカ人選手を振り返ってみよう。
[写真]=Getty Images
■初出場
1992年に発足されたプレミアリーグにおいて、初めてピッチに立ったアメリカ人はMFジョン・ハークスである。ハークスはアメリカのバージニア大学で、後にアメリカ代表監督にまで登り詰める名将ブルース・アリーナの元で腕を磨いたあと、1990年に渡英。当時2部にいたシェフィールド・ウェンズデーに加入すると、1991年のリーグカップ決勝でマンチェスター・Uを下して同大会を初制覇。そして同年に1部リーグに返り咲き、1992年のプレミアリーグ発足を迎えるのだった。
ハークスは、開幕戦こそ欠場したものの、2試合目のノッティンガム・フォレスト戦で77分から途中出場してプレミアリーグ史上初のアメリカ人選手となった。ちなみに、1992年8月のプレミアリーグ初年度の記念すべき開幕節(全11試合)で、英国&アイルランドを除いたいわゆる「外国人選手」は13名だけだった。残念ながらハークスは、外国人“オリジナル13”には名を連ねることができなかったわけだ。
ハークスはシェフィールド・Wに加え、ウェストハムやノッティンガムにも所属してプレミアリーグ通算43試合2ゴール。そしてアメリカ代表としては2度のワールドカップに出場した。引退後は指導者の道に進み、現在はアメリカのグリーンヴィル・トライアンフというクラブでスポーツダイレクター兼監督を務めている。
■最多出場
プレミアリーグで歴代最多出場を誇るアメリカ人選手は、GKのブラッド・フリーデルだ。オハイオ州出身のフリーデルは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でプレーした後に英国に挑戦するも、労働ビザが下りなかったため試合に出られないままニューカッスルの練習に参加していた。その後、デンマークのブレンビーを経て、ガラタサライ(トルコ)、コロンバス・クルー(アメリカ)で経験を積み、1997年12月にリヴァプールに加入して晴れて労働許可も下りた。
翌年のアストン・ヴィラ戦でプレミアデビューを果たすのだが、守護神デイヴィッド・ジェイムズの控えに甘んじたため、2000年に当時2部のブラックバーンに移籍して正GKとして活躍。チームのプレミアリーグ昇格に貢献すると、2002−03シーズンにはプロ選手協会選出のプレミアリーグ年間ベストイレブンに選ばれた。その後はアストン・ヴィラやトッテナムなどにも所属し、2004〜2012年まで3クラブをまたいで310試合連続出場というプレミアリーグ記録を樹立。これは今でも破られていない。
フリーデルはプレミアリーグ通算450試合に出場。アメリカ人としての歴代最多記録を持ち、全選手で見ても歴代23位という数字を残している。ちなみにフリーデルは、GKながらゴールを決めたことがある。ブラックバーン時代の2004年2月チャールトン戦、終了間際の89分にコーナーキックの流れから、こぼれ球を左足で押し込んで同点弾をマークした。しかし物語はここでは終わらず、92分にチャールトンのクラウス・イェンセンに決勝点を許して歓喜から一転、何ともドラマチックな敗戦を喫するのだった。
■最多ゴール
アメリカ人としてプレミア歴代最多ゴールの記録を持つのはクリント・デンプシーだ。デンプシーはニューイングランド・レヴォリューションでキャリアをスタートさせると、2007年1月に移籍金400万ドル(当時レートで約4億8000万円)でフルアムに移籍。同年5月のリヴァプール戦(1−0)で初ゴールを決めて、チームにリーグ戦11試合ぶりの勝利をもたらすと共に、下位に低迷していたクラブを残留へと導いた。
攻撃的なポジションをどこでもこなすデンプシーは、その後フルアムで主力に定着して2010−11シーズンには12ゴール、そして翌11−12シーズンには得点ランク4位のリーグ戦17ゴールと大ブレイク。2012年1月のニューカッスル戦では、アメリカ人戦として初のハットトリックまで達成した。今のところアメリカ人でハットトリックを決めているのはデンプシーと、現在チェルシーで活躍するクリスティアン・プリシッチの2名だけとなっている。
そんなデンプシーにキャリアの転機が訪れたのは2012年の夏だ。ブレンダン・ロジャーズ政権のリヴァプールが獲得に動き出したのである。だが、なかなか交渉がまとまらず、同選手は同じロンドンのトッテナムに移籍することに。ちなみに、このときリヴァプールはトレード要員として、現在ではキャプテンを務めるイングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソンをフルアムに差し出そうとしていた。
結局デンプシーは、プレミア通算218試合57ゴール。ブライアン・マクブライド(36点)を抑えてアメリカ人としてプレミア史上最多ゴールを樹立した。さらに興味深いことに、デンプシーはアメリカ代表でもランドン・ドノヴァンと並び歴代最多ゴール記録を保持しており、そのゴール数も「57」となっている。
■リーグ優勝
これまで49名のアメリカ人がプレミアリーグのピッチに立ってきたが、意外にも優勝した選手は1名しかいない。そう言われると、大半の人が元アメリカ代表GKティム・ハワードを思い浮かべるだろう。ハワードは2003年にマンチェスター・Uへ加入すると、いきなり定位置を確保して1年目にはFAカップ優勝に貢献。しかし、リーグ優勝とは無縁だった。彼が所属した3シーズン、“赤い悪魔”はちょうど谷間の時期で優勝から遠ざかっており、ハワードは一度もプレミアリーグの頂点に立つことができなかった。
では、リーグ優勝の経験があるアメリカ人とは誰なのか? それは今もマンチェスター・Cに所属しているアメリカ代表GKザック・ステッフェン(26歳)である。2019年に加入したステッフェンは、これまで2年半で2度しかプレミアリーグのピッチに立っていない。クラブが頂点に立った昨シーズンも、ステッフェンは1試合にしか出場していないが優勝メダルを手にしている。
プレミアリーグの規則では、優勝クラブに40個のメダルが用意され、リーグ戦5試合以上に出場した選手はメダルが確約される。そして残りのメダルを、クラブの判断で他の選手やスタッフに分配することになっており、控えGKだったステッフェンも無事にメダルを胸にかけている。そして、今季もマンチェスター・Cは連覇に向けて視界良好。どうやらステッフェンも2つ目のメダルを手中に収めそうだ。
(記事/Footmedia)