羽生直剛の心にグサッと刺さったオシムの言葉「少しでも受け継ぎたい」

1月26日(火)10時45分 Sportiva

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羽生直剛
 今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム——。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。
◆連載#1 森保ジャパンのコーチが唸ったオシムのマネジメント「すごく選手思い」
 鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。
 第8回に登場するのは、ジェフ時代にオシムに重用されて大きく成長した羽生直剛。現役時代に受けた指導、2018年12月の再会時にかけられた言葉から、羽生が見出した今後のキャリアとは。

オシム・ジェフで高く評価され、日本代表でも活躍した羽生(前中央)photo by Kyodo News
***
 2018年12月某日——。
 ベルギーのシント=トロイデンで研修を受けていたFC東京・強化部スカウト担当の羽生直剛は、オフを利用してサラエボを訪れた。
 かの地で暮らすイビチャ・オシムと会うため、である。
 羽生が恩師に連絡を入れたのは、半年ぶりのことだった。全日本大学選抜のセルビア遠征を視察した際にも、訪問を試みようとしたのだ。しかし、オシムがリハビリ中で時間が取れなかったため、2度目のコンタクトで実現した再会だった。
「オシムさんの自宅近くのレストランで会ったんですけど、何カ月ぶりかの外出だったみたいで。たぶん、半年前に会えなかったから、無理して出てきてくれたんだと思うんです。長時間つき合わせるのは申し訳なかったので、2時間くらい話をしました」
 羽生がスカウトをしていることを知ったオシムは「お前、なんでコーチをやらないんだ?」と訊ねた。羽生が「指導者としてオシムさんには勝ち目がないから」と冗談めかして答えると、「なんだ、その理由は?」といった感じで、オシムはフッと笑った。
「自分にとって最高の指導者はオシムさんなんですよ。オシムさんよりいい指導者になれるのかと思った時に、自信がない。例えば、FC東京U−18の監督がオシムさんだったら、10人中8人をトップに昇格させられるかもしれない。でも、自分が2人しか昇格させられなかったら、6人の人生を僕が狂わせてしまったんじゃないかと気にしてしまう。そういう気持ちを毎年、持ち続けるのは無理だなと。それで、『自分は指導者とは違う道で、自分らしくチャレンジしたい』と話したら、オシムさんが——」

 オシムに重宝された"オシムチルドレン"として知られる羽生だが、オシムがジェフユナイテッド市原(千葉)の監督に就任した2003年シーズン、開幕から3試合続けてベンチ外となった。負傷のためキャンプで出遅れたことも要因かもしれないが、前年、ルーキーながらトップ下のレギュラーを務めた羽生にとっては、喜ばしい状況ではなかった。
「不安はありましたね。今年は出られなくなるのかなって。開幕戦で4歳下の山岸(智)がスタメンに抜擢されたので、悔しいという思いもありました」
 だが、東京ヴェルディとの開幕戦で、羽生のモチベーションを高める出来事があった。
 リーグ戦初出場となった山岸が立ち上がりからミスを連発し、失点を招いてしまう。ハーフタイムにコーチ陣が山岸の交代を進言したが、オシムは「いや、待て。もう少し様子を見たい」と聞き入れなかった。すると後半、山岸が同点ゴールを決め、ジェフが逆転勝利を飾るのだ。
「その話をあとから知って、自分もしっかり頑張れば使ってくれると感じたし、活躍できるんじゃないかと思いましたね。実際、3節の(ヴィッセル)神戸戦で大敗した翌日、サテライトリーグの試合前に、コーチの江尻(篤彦)さんから『昨日の試合、見ただろ? チャンスだから、今日はボールがどこにあっても、その近くに自分がいるという意識でやってみろ』と言われて。そのようにプレーしたら、次の試合から使ってもらえるようになったんです」
 阿部勇樹、佐藤勇人、坂本將貴......といったオシムの教え子たちの中で、最もマインドを変えてもらったのは自分ではないか、という思いが羽生にはある。

現在は自身が立ち上げた会社「AMBITION22」の代表を務める(写真:FC東京提供)
 脳裏に浮かぶのは、シーズン開幕当初のオシムからの問いかけだ。それは、ことわざや比喩を用いた、いわゆる"オシム語録"ではない。もっと鋭く、本質的な指摘だった。
「オシムさんは僕らに『いつも中間順位にいて楽しいのか?』と。『優勝はできないけど、降格もない。なんのプレッシャーもなく、サッカーができていいよな。でも、それがいい人生だとは俺は思わない』と語りかけてきたんです。『なぜ、優勝を目指さないのか』『なぜ、代表を目指さないのか』『なぜ、野心を持たないのか』って」

 オシムと出会った頃、羽生はプロ2年目。若さゆえのハングリー精神は旺盛だったはずだが、今思えば、野心の欠如は否めない。
「大学からプロになる時、周りから『3年くらい思い出づくりをしたら教員になればいい』と言われて送り出されたんです。自分はそれくらいのレベルだった。でも、1年目から試合に使ってもらって、給料が上がって、時計を買ったり、美味しいものを食べたり。それで満足したわけじゃないけれど、野心に満ちていたかといえば、そうじゃない。でも、このままじゃダメだよな、とも感じていた時にオシムさんと出会い、その言葉や振る舞いが心にグサッと刺さった。そこからは、自分がちゃんとやっているのか、問い詰めまくるようになりましたね」
 ある練習でのことだ。ウォーミングアップを兼ねた4人対2人のトレーニングが始まり、2分が経った時、味方選手との連係がずれて羽生がパスを受け損なった。
 サッカーではよくあるミスのひとつで、羽生ひとりのミスとは言えない。しかし、その瞬間にオシムの雷が落ちた。
「『走って来い』と言われて、『は?』と思って。ふて腐れた感じで1周走ったんです。それまでも1周走ったあとは練習に戻れていたから、その時も戻ろうとしたら、『まだ走れ』と。それで3周くらいしたあとで呼ばれて、『練習が始まってまだ2分だからって、ミスしていいわけじゃないだろう。試合が始まって2分でお前のミスから失点したら、お前、責任を取れるのか? 責任を取るのは俺だ。全力でやってくれ』と言われて。次の日からは集中してやるようになりましたね。そういうことを、ずっと刷り込まれてきたんです」
 みんなの前で羽生を叱ることで、チーム全体に伝えるという狙いもあっただろう。オシムからよく叱られた羽生は、いわゆる"怒られ役"だったわけだが、いつも叱られていたわけではない。時に掛けられる優しい言葉もまた、羽生を奮い立たせた。

 羽生のミスからカウンターを浴びた試合翌日のこと。オシムは練習場で羽生を呼び寄せ、「俺はお前が下手だとは思っていない。むしろ、ああいうミスをしないやつだと思っている。できるんだからしっかりやれ」と声をかけた。
 若い工藤浩平がトップ下で起用され、羽生がサブに回っていた時期のこと。試合前にたまたまトイレで一緒になった時、オシムは「今は工藤のほうがいいパフォーマンスをしている。でも、またお前のほうがよくなったら、お前を使うから」と告げた。
「ただ走るだけの選手じゃないってことはわかっているぞ、みたいな感じで言ってくれたり、フェアに見ているぞ、と伝えてくれたり。オシムさんのそういうところが、僕、すごく好きなんですよ」
 この人を喜ばせたい、この人にタイトルをプレゼントしたい——。
 そう願いながら、2003年の1stステージをはじめ、あと一歩のところで実現できずにいた羽生たちに、千載一遇のチャンスが巡ってくる。オシム就任3年目となる2005年、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で決勝まで勝ち上がるのだ。対戦相手は、ガンバ大阪だった。
 この大一番で内転筋を傷めてハーフタイムに交代した羽生は、延長戦を含めた残りの75分間とPK戦をベンチから見守った。
「残念でしたけど、みんなでオシムさんにタイトルを届けられたという嬉しさは、自分の中にありますよ。オシムさんが笑ってくれるだけで嬉しいんで。あの時も、オシムさんが喜んでくれるなら幸せだな、と思っていましたね」

 2006年7月、日本代表監督就任とともにオシムはジェフを離れたが、羽生はオシムによって日本代表に選出され、2007年7月には東南アジアで開催されたアジアカップにも出場した。
「優勝も、日本代表も、オシムさんが目指すべきだと言ったことを僕はすべて経験できた。その目標に導いてくれたのは、間違いなくオシムさん。しっかりとしたビジョンを持って、教え子たちをそこに引っ張っていけるのは、あらためてすごいことだと感じます。自分もそういう人間でありたいなって思いますね」

 サラエボで再会した2018年のあの日も、オシムは「もっとチャレンジしないといけない」と語りかけてきた。その言葉は、またしても羽生の心をグッと捉えた。
「スカウトという仕事にやり甲斐を感じていたのは確かだし、自身がスカウトした選手が監督に褒められたと聞くと、これこそスカウトの醍醐味だなって思うんですけど、ジレンマも感じていて。そんな時にオシムさんと会って、思うところがあったというか。あの人みたいに生きたいと思っているんですよね。あの人の生き方を真似たい。腹の括り方とか、哲学とか。それを指導者ではなくて、違った形で——」
 羽生が思い描く大きなテーマは、恩返しである。
「自分が所属してきたFC東京、ジェフ、ヴァンフォーレ甲府、筑波大、八千代高の人たちが喜ぶようなサポートがしたいし、オシムさんや城福(浩)さんといった自分を評価してくれた監督に対して、感謝の思いを形にできる人間になりたいと思っていて。例えば、スポーツに価値を見出している企業があったら、その企業と地域の人々、スポーツクラブを僕が結びつけてWin−Winの関係を築いていきたい」
 2020年のコロナ禍において、自身の思い描く方向性を、高校時代の後輩が示してくれた。
「カンボジアとナイジェリアにクラブを持っている後輩がいるんです。その彼が、新型コロナウイルスが蔓延した時、カンボジアの地域の方々に身銭を切ってお米を配ったんですよ。それでカンボジアの方々に囲まれて、みんなが笑顔になっているのを見て、『すごく良い働き方をしているな』と。リーグが再開した時、『お米をくれたクラブ』だって、みんながスタジアムに足を運んでくれるじゃないですか。地域のシンボルになっていく。それがサッカークラブのあるべき姿なのかなって。企業の持つ夢と地域の人々の夢、サッカークラブの夢を繋いでいく。そういうことをして、サッカー界に恩返しをしていきたいです」
 それはピッチの中で人と人を繋ぎ、"潤滑油"のような役割を果たした現役時代の羽生のプレースタイルそのものだ。「サッカーと人生は同じ」というオシムの言葉を、羽生は体現しようとしている。

 羽生は自身の会社を「AMBITION22」と名付けた。22番は羽生がプロ入りから2017年にジェフで引退するまで、すべてのクラブで背負った番号。AMBITION——野心はオシムに言われ続けた言葉である。
「あの人の考え方を少しでも受け継ぎたいと思っているので、そう付けました。名刺にもオシムさんの直筆の文字をデザインに入れているんです。ただ、『Ambition』と書いてほしいと伝えたのに『Ambicija』ってセルビア語のスペルしか書いてくれなかったんですけど(笑)」
 あの日のサラエボでもオシムに、おぼろげながら自身が思い描いているビジョンを伝えると、オシムは「そうか、頑張れ」と言ったあと、こんな言葉を残した。
「もっと上を見ろ。空は果てしない」
 羽生はその強いメッセージを胸に刻み、野心を持って、夢に向かってチャレンジしていこうと思っている。
 自分を育ててくれたクラブや人々、サッカー界に恩返しをするために。スポーツの持つ価値を生かして、地域の人々がより豊かな生活を送れるように——。
■羽生直剛(はにゅう・なおたけ)
1979年12月22日生まれ。千葉県出身。2002年に筑波大学からジェフに加入し、オシム監督に重用されてレギュラーに定着。2006年に日本代表に初招集され、2008年までに国際Aマッチ17試合に出場した。その後、FC東京、甲府でプレーしたのち、2017年にジェフに復帰。翌年に引退し、FC東京の強化部スカウトを経て、現在は自身が立ち上げた会社「AMBITION22」の代表を務める。


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