生誕から100年の沢村栄治 その短い生涯で築いた伝説の数々

2月4日(土)7時0分 NEWSポストセブン

生誕100年。伝説の名投手の素顔に迫る

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 靴底が見えるほど足を高く上げる雄大なフォーム。そこから繰り出される豪速球と落差のあるドロップには、あのベーブ・ルースでさえもキリキリ舞いした──。沢村栄治。戦前期に活躍した伝説の大投手である。


 プロ野球史上最高投手との呼び声も高く、その功績を称えて創設された「沢村賞」は、今も先発完投型の投手に与えられる最大の栄誉となっている。今年は沢村の生誕100年の節目。これを記念し、貴重な証言を元に英傑の素顔に迫る。


 沢村は1917年2月1日、三重県宇治山田市(現・伊勢市)に生まれた。京都商業時代には春・夏の甲子園に出場、1試合23奪三振など才能の片鱗を見せていた。


 その名を世に轟かせたのは、日本にプロ野球が誕生する前の1934年、メジャーのスター軍団を招いて行なわれた日米野球だ。日本は米国に0勝16敗と散々だったが、その中で1試合だけ米国に冷や汗をかかせた試合がある。その先発投手が当時17歳の沢村だった。


 沢村は序盤から快投。途中、2番チャーリー・ゲリンジャー、3番ベーブ・ルース、4番ルー・ゲーリッグ、5番ジミー・フォックスという、後に全員野球殿堂入りする強打者から4連続三振を奪い、米国の度肝を抜いた。7回、ゲーリッグに意地の本塁打を浴びて0-1で敗れるが、沢村は8回1失点(被安打5、与四球1、9奪三振)。米国代表監督をして「沢村を連れて帰りたい」といわしめた。


 翌1935年の米国遠征でも日本のエースとして活躍し、21勝8敗1分け(47試合)。1936年に東京巨人軍(現・読売巨人軍)に入団すると、プロ野球史上初のノーヒットノーランを記録するなど、数々の伝説を残した。『プロ野球なんでもランキング』(イースト・プレス刊)などの著書があり、野球データに詳しい広尾晃氏が語る。


「現在使われる指標で解説すると、沢村は投手で重視されるSO/BB(奪三振÷与四球。2を超えれば好投手とされる)がズバ抜けています。当時はSO/BBが1以下の投手ばかりでしたが、沢村は1936年秋に1.93、1937年春に2.88、秋2.43(※当時は春・秋の2季制だった)といずれもダントツ。奪三振だけでなく制球力もあった、まさに沢村賞の名にふさわしい本格派投手でした」


◆出征ごとに変わるフォーム「悲運の豪腕」の素顔


 しかし、そんな沢村の野球人生に戦争が深い影を落とす。1938年に徴兵され陸軍に入隊。日中戦争で手榴弾を投げすぎて右肩を痛め、1940年に復帰した時にはオーバースローで投げることができなくなっていた。高校時代、当時の沢村を後楽園球場で観戦した元中日投手・杉下茂氏が証言する。


「サイドスローでしたよ。右肩を痛めたからだろうね。代名詞の速球やドロップを見ることはできなかった。でも抜群の制球力と大きく曲がるカーブは超一流でした」


 その後応召により再び軍へ。肩の状態はさらに悪化し、1943年の再復帰時にはアンダースローに転向した。だが満足な成績が残せず、1944年の開幕前に巨人から解雇され引退。同年秋、実に3度目の出征をし、屋久島沖で戦死(享年27)。


「沢村さんとは親戚関係なんです。沢村さんの弟のところに私のいとこが嫁いでいてね。家も近所で、私が沢村さんに抱っこしてもらっている写真もありました」


 そう語るのは、沢村と同じ三重県出身の元巨人投手・中村稔氏だ。


「亡くなったのが私が6歳の時だから直接野球を教えてもらうことはなかったけど、沢村さんと同じ指導者に指導を受けた。その人から聞いたのですが、体の手入れを怠らない人で、当時から銭湯の湯船で今でいうリンパマッサージをやっていたそうです」(中村氏)


 体のケアに気を遣っていたという沢村。時代に翻弄され、野球以外の理由で壊れゆく自身の肩に何を思ったのか──。『後楽園球場のサムライたち』(現代書館刊)などの著書があるノンフィクション作家・澤宮優氏の話。


「(巨人OBの)千葉茂さんは“長嶋(茂雄)のように光り輝く存在だった”とおっしゃっていました。出征する後輩には“思っている以上に戦況は厳しい。体を大切にせよ。野球を続けたければ手榴弾は投げるな”と、自身の経験から話していたそうです。


 千葉さんや川上哲治さん、(捕手の)吉原正喜さんでさえ全盛期を知らず、“緩い球しか投げられず顔で投げていた”といっていましたが、晩年にバッテリーを組んだ多田文久三さんは“キャッチボールした時、スナップだけで投げた球が唸りを上げていた。肩を壊していなければどんな球を投げたのかと思った”と語られていたのが印象的でした」


 故郷・伊勢市の倉田山公園野球場前には沢村の像が建つ。ここで3月に開催される巨人-日本ハムのオープン戦は記念試合として、巨人の全選手が永久欠番・沢村の背番号14を着用して行なわれる。


■取材・文/鵜飼克郎


※週刊ポスト2017年2月10日号

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