スペイン人ライターのF1便り:WEC参戦が決定したアロンソ。デイトナ24時間を通じ何を得たのか

2018年2月8日(木)12時10分 AUTOSPORT web

 スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアのモータースポーツコラム。トヨタからル・マン、WEC世界耐久選手権への参戦を発表したフェルナンド・アロンソ。デイトナ24時間レースで何を得たのか。


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 何週間にもわたって噂が囁かれ、さまざまな情報源が明らかな方向を指している。もう秘密はない。アロンソは今年6月にル・マン24時間に出場する。彼はTOYOTA GAZOO Racingから参戦するが、トヨタはシリーズの中でも最高のマシンを彼に与えることで、彼に最高の勝利のチャンスをも与えることになるだろう。


 それだけではない、彼は富士6時間を除くWEC全戦に実際に出場するというのだ。ある一定のレベルでこれらすべてをやり遂げるために、2度のF1世界チャンピオンであるアロンソはデイトナ24時間に出場したのだ。目標は耐久レースの力学を学ぶことにあった。その結果は……。もっとうまくやれたかもしれない。

ユナイテッド・オートスポーツのリジェJS P217を駆るフェルナンド・アロンソ


 アロンソとの契約がトヨタにとって素晴らしいことだと誰もが思うことに疑いの余地はない。彼は2度のF1世界チャンピオンであり、彼の世代におけるベストドライバーのひとりだ。


 さらに、昨年のインディ500や今年のデイトナ24時間で証明されたように、彼は非常に多彩な能力を持つドライバーであり、彼がトヨタのマシンであるTS050に苦戦するところを想像するのは難しい。とはいえ、耐久レースのマシンはシングルシーターとは大きく異なる…。だがそれこそがアロンソにとってデイトナ24時間出場が不可欠だった理由だ。


 彼はマシン性能を最大限に引き出すやり方を学ぶ必要があった。最終的に貴重な経験となったが、そのなかでいくつか得たものがある。


 そのうちのひとつは明らかだ。レースで予想されていた結果を出すことができなかったことだ。


 コース上でも高いレベルのLMP2マシンのひとつを擁するユナイテッド・オートスポーツは、良いペースを出していたものの、相次ぐメカニカルトラブルにレース脱落寸前まで追い込まれ、チームは多くのタイムを失うことになった。


 その上、週末の間ブレーキトラブルが繰り返し起きていたようで、アロンソがドライバーを務めているときにより頻繁に起きていた。事実、プラクティスや予選セッションにおいても、チームのエンジニアたちにとってブレーキは主要な問題となっていた。


 アロンソがブレーキに苦戦していたと見られる事実は、トヨタとの新しい挑戦において憂慮すべき兆候だ。WEC全体においてブレーキングは、そのエネルギー回生システムのせいでおそらく最も繊細な操作となるからだ。

マシンのブレーキに苦戦したというアロンソ


 少なくともエネルギー回生システムは最近のF1で使用されているものに近いものになっている。もしアロンソがすぐに慣れることができるという根拠があるとすれば、それはF1とWECにおけるエネルギー管理システムの類似性だろう。


 その上、LMP1マシンは技術的にはF1マシンに近い。つまりアロンソは難しい挑戦に直面しているかもしれないが、望みはあるということだ。


 ふたつ目は、アロンソがデイトナ24時間で見せたレースそのものにある。


 アロンソはマシンのバランスに不満があったと伝えられており、ランド・ノリスのドライビングスタイルに合わせてドライブするのに慣れていなかった。それでも彼は素晴らしい走りで、他のライバルたち以上にスティントを伸ばすことができた。


 驚いたことに、23号車の“ベスト”ドライバーはノリスだった。彼は予選でアロンソと同等の速さを見せ、レースペースではアロンソよりも優勢だった。


 彼の夜間のスティントは驚嘆すべきもので、その走りを目にした人々はみんな感心していた。アロンソの将来にはなんら重要なことではないかもしれないが、ノリスがどれだけの才能を持っているかは注目に値するだろう。

チームの中でもベストドライバーと称されたランド・ノリス


 フィル・ハンソンでさえ週末の間パフォーマンスを伸ばすことができていた。プラクティスセッションのスタート時に取るに足らないミスを犯したが、最終的に他のチームメイトにほぼ匹敵するタイムを出すことができたのだ。


 残念ながら、パンクのせいでチームの希望は早いうちに絶たれてしまった。レースを完走することはできたものの、総合38位/クラス13位という順位だった。


 全般的にレース自体は、デイトナにおける歴史的なイベントとなった。優勝したマスタング・サンプリング・レーシングのマシンは、1992年にニッサンR91CPが打ち立てた歴代最多周回数、762周を大きく更新する808周を周回した。


 プロトタイプマシンのパンクが多発したものの、フルコース・イエローコーションが非常に少なく、トラブルがほとんどないレースに助けられた形だ。ディフェンディングチャンピオンであるキャデラックDPiは想定されていたよりも苦戦したが、予想通り総合優勝を飾った。


 LMP2マシンのトップはCOREオートスポーツで、非常に順調で効率が良いレース運びをし、総合3位につけた。もし物事があるべき方向に進んでいたら、アロンソはデイトナ24時間のデビュー戦で表彰台獲得という歴史的な業績を達成できていたかもしれない……。


 トップ3は同じ周回数でフィニッシュしたのだから、優勝さえ可能だったかもしれない。しかし、“計画では”という言い方は耐久レースには存在しない……。そしてそれは最も重要な教訓なのだ。

アロンソのデイトナ24時間参戦はアメリカでも大きな注目となった


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