セナに夢中になったアントネッリ「彼が成し遂げたことの一部でも達成できたら嬉しい」ジュニア時代から使う『12』も継続

2025年2月13日(木)7時0分 AUTOSPORT web

 メルセデスのルーキーであるアンドレア・キミ・アントネッリは、F1の旅に乗り出そうとしているが、彼が抱いているのは単なる野心だけではない。


 モータースポーツの頂点を目指すモチベーションと意欲について、18歳のイタリア人ドライバーは、伝説のアイルトン・セナから大きな影響を受けていると明かした。セナはレーシングヒーローであり、アントネッリのレーシングナンバーのインスピレーションでもあるという。アントネッリの物語は、情熱、決意、そして子ども時代の創意工夫でできている。

2024年F1メキシコシティGP アンドレア・キミ・アントネッリ(メルセデス)


■幼いファンのパドック潜入


 アントネッリのレースに対する情熱は幼い頃に燃え上がっていたが、F1パドックを初めて体験したのはかなり型破りな方法だった。


「それは2014年のホッケンハイムでのことだった。僕は小さすぎたからパドックに入れなかったんだ」と、アントネッリはメルセデスのウェブサイトに掲載されたインタビューのなかで振り返った。


「父は僕をタイヤの山のなかに隠し、台車に乗せて運ぶことにした」


「僕が見えにくくなるように、上に傘をかぶせたんだ! 僕はピットレーンに入り、父の友人がパスをくれた」


「1時間ほど見て回ったけれど、とても楽しい経験だった。でも、台車の話はいつも笑ってしまうよ」


 この初期の経験は、今にして思えば滑稽なものではあるが、彼がいつか大好きなスポーツで競技をするという夢を固めるきっかけとなった。


■子どもの頃の興味が生涯のインスピレーションに


 多くの若手ドライバーが、現在のグリッドに自分たちのヒーローを見つけている。その一方で、アントネッリが尊敬しているのは、F1史上最高のドライバーのひとりだ。


「セナのビデオを見るといつも本当に夢中になる。子どもの頃、1980年代から2000年代までのシーズンのDVDを全部観たけれど、そのなかのひとつでアイルトンを見て、それがすごく印象的だったのを覚えている」とアントネッリは説明した。


「僕は、彼がレースをしているところを見られるほど幸運ではなかったことはわかっているけれど、これらのビデオをすべて観たとき、彼が成し遂げてきた信じられないほどのレースの数々に気づき始めた。ドキュメンタリーと、最近のシリーズも見たよ」


「彼は僕のアイドルだ。彼はコースの内外で素晴らしかったからだ。素晴らしいドライバーだが、最高の人物でもある」


「そのことが僕にインスピレーションを与えた。彼が成し遂げたことのほんの一部でも自分のキャリアで達成できたら、とても素晴らしいだろうと思う」

2024年F1第16戦イタリアGP FP1に出場したアンドレア・キミ・アントネッリ(メルセデス)


 セナの影響は、アントネッリにとって称賛するだけに留まらないもので、文字通り彼のマシンにも刻まれている。この若きイタリア人は、歴史と感情に染まった番号である『12』をメルセデスの車体に付けることになる。


「それはアイルトンだからだ」とアントネッリは認めた。「でもこれは、僕がシングルシーターで初めて使った番号でもある」


 アントネッリにとって、ジュニア時代を通してカーナンバー12は幸運のお守りとなってきた。彼は2022年にイタリアF4とADAC F4(ドイツF4)でタイトルを獲得したシーズンにこの番号で走り、2023年には同じ番号でフォーミュラ・リージョナル・ミドルイースト選手権とフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン選手権でさらなる成功を収めた。


 しかしセナとのつながりによって、こうしたことはいっそう意味深いものになっている。セナは、1985年から1987年までの3シーズンにわたりロータスでカーナンバー12でドライブし、1985年に雨天のエストリルで行われたポルトガルGPでF1初優勝を飾ったことが有名だ。これは彼の伝説を確固たるものにしたパフォーマンスのひとつとなった。


 アントネッリのF1への道はセナのそれとは異なっているが、レースに対する野心、決意、情熱は同じままだ。

2024年F1アブダビテスト アンドレア・キミ・アントネッリ(メルセデス)


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